2017年1月 1日 (日)

2017年 新春の慶びを申し上げます。

あけましておめでとうございます。
17s

大晦日のコミケット91でお越し下さった皆様。
ありがとうございました。

久しぶりにお会いできる方も多く、 
楽しい時間を過ごすことが出来ました。 
また、新設になった東7ホールが人の波で大混乱だったゆえ、 
思うように御挨拶に伺えなかった方々におかれましては 
非礼をどうぞお赦し下さい。 
この数年はヤマトの連載に追われて、なかなかまとまった同人誌を作ることが叶わず、 
今回も在庫を持参するだけでしたが、 
今年はプライベートな時間を前よりは少しとれそうなので、 
亡くなったイワえもんとの「年1冊は同人誌を作ってコミケに出よう」という約束を 
また果たしていきたいです。 
売り子を手伝っていただいたKIYOさんと話している中で、 
(事実上、お店はKIYOCLUBに占領されていましたがw) 
誌面に参加してくれる描き手さんたちが 
いかにワクワクして、楽しんで、そして挑戦的に絵を描ける場を作るか、 
手にとってくれる読者が受取る 
驚きや懐かしさの中の新しさといったドキドキを 
いかに大切に考えているか語る彼の言葉に触れ、 
改めて同人誌というものと自分の立ち位置を考えさせられました。 
オリジナルの個人誌はさておき、 
もっぱら参加することの多い二次創作的なものは、 
営利を貪欲に追求するスタンスは好まないということ。 
僕にとっては友達を作っていく場であるからであって、 
同人誌で生計を立ててしまうようなまでの利益追求は 
そもそも目的や理念に該当しないからです。 
そして僕は元編集者であったこともあり、誌面企画における 
二番煎じ、二匹目のドジョウ、成功の合成、売れ線のルーチン化 
といったクリエィティブな志向とは程遠い心の甘えが大嫌い。 
編集者時代に年間企画を練る会議では 
読者や関係者に好評な連載企画は2年で打ち切ることを強く主張してきました。 
「ウケているのにその必要はない」と反対する人が殆どでしたが、 
そういう成功の踏襲が、 
結局は読者の心や伝えるべきもの、表現の自由さから乖離して、 
惰性と思考停止したルーチンに支配されやすいこと、 
また編集者が新しい企画を考えるという 
最も大切なことへのノウハウや精神性を養う機会を奪うからです。 
仮に新企画が振るわない結果でも、そこから反省し、失敗を活かして 
新しいものを生み出す糧になります。 
出版不況で組織としてはそうした冒険的な暴挙は好まれない時代でもあります。 
でも個人としてこのマインドは失ってはいけないし、 
ましてや同人誌であれば、なおさらその自由は自分にあります。 
そして二次創作で扱う作品や題材に、編集する立場として 
愛情は持っているか。興味を持って惹かれているか。 
誌面に参加する描き手にその魅力や楽しさを伝え、 
一緒に作っていく心と場を作っていけるか。 
それを本という形にすることに気持ちを注げているか、 
自ら手間をかけているか。 
そういう姿勢やマインドを欠いて創意も愛情も手間もかけないなら、 
原稿を寄せてはしてくれても周囲の心はやがて離れていってしまうでしょう。 
原稿料などが基本的に発生しない同人誌であるがゆえ、 
描き手が参加することで感じる喜び楽しみが大切だということは 
疑いのない現実だと思うのです。 
描き手であり、編集者でもあり、もちろん読者である僕は 
手に取った同人誌に、それを感じるかが、最終的にその本を好きになれるかの 
基準になっている。 
で、同人誌とかで自分が参加してて、 
編集のこととか気になって、 
本のタイトルまであれこれ言いたくなるけれど、 
基本的には相談されるまでは我慢。 
相談されるとヒントとかブレスト的な関わりはするけど、自主性を尊重。 
そして本が発行になると、あとからぶーぶー文句を言う。 
というそこがいけない!でもさぁでもねーだってねぇ。 
ということで、KIYOさんには 
新刊のタイトルが良くないとか、表紙の色やデザインが前回と大差ないとか 
色々あとから難癖つけておりましたです。 
あいすみません。 

コミケ会場からの帰途、 
KIYOさんと夏の次、来冬のテーマをどうしようという話題になって、 
そこでやっぱり、 
描く人も読む人も、驚いてワクワクして、意外性に挑戦し甲斐があって、 
それでいて笑っちゃうような 
そんな題材にしようとあれこれ考えたりしていました。 
そこで僕が提案したのはこんな企画。 
1. キャンディキャンディ 
 作者間のトラブルで和解になるはずもなく、封印された超有名作品。 
 アニメや原作に触れる機会は失われ世の中に既に知らない世代も多い中、 
 知っている人は懐かしく。知らない人は想像の「キャンディ」をイメージする! 
 題して「幻のキャンディを求めて」 
2. ロウきゅ〜ぶ 
 ハードなタッチを得意とするKIYOCLUB参加の描き手の方々が、 
 究極に苦手であろう、この萌え絵の頂点を目指す、過酷なトライアル! 
3. デレマス 
 懐古的なテーマが続く中で、もっとミーハーなものを追求することで、 
 オッサンの描き手を動揺させるべく、アイドル路線をひた走る! 
 KIYOさんがラブライブを渋るので、デレマスに。 
 なんでデレマスかというと、しぶリンが可愛いから! 
 仮題「デレマスdeデレます!」 
4. おねしょた 
 劇場版999で幼い心に刻まれた究極のおねしょたに感動したオッサン。 
 半ズボンの少年の無垢な肢体にときめいたオネエサン。 
 その感動を絵に閉じ込めたい! 
 KIYOさんに最も似あわなそうなネタ狙いで。 
5. 昭和ヌード 
 18禁ではない昭和を冠したヌードというテーマへの試行錯誤を描き手は深めつつ、 
 編集する方は最終的なパッケージでビニール封をするという、 
 ビニ本を知らない世代にその存在を訴えかけるKIYO的オヤジギャグの極地。 
 タイトルは「エロディストピア」 
と、30分くらいの ゆりかもめの中で考えてみたのですが、 
KIYOさんはどれも笑いながら逃げようとするのでありました。 
そしてそのまま、KIYOさん配下の方々とコミケ慰労会の宴席へと雪崩れ込み、 
日本酒をたらふくいただきながら、美味い料理に舌鼓を打つ頃に、 
これら5つを吹き飛ばすような物凄い企画が参加者から出て、僕は脱帽。 
宴席はそのテーマに盛り上がり、凄まじい熱気に包まれました。 
来冬のKIYOCLUBに乞うご期待! 

ということで年が改まりまして、 
特に正月らしい料理を作るわけでもなく、 
買い置きで簡単な食事をしたところです。 
元旦くらいは冷蔵庫の奥にしまってある 
小布施ワイナリーの日本酒「ソガペール エ フィス」でも封切しようかな 
と思っていたのですが、 
昨晩、しこたま飲んでしまって、お酒は今日はパスな感じゆえ、 
このあとは漫画は一休みで企業依頼のイラスト仕事を進めていきます。 
3日はひとりぼっちで正月を過ごすオッサンを集めて新年会を企画しました。 
名づけて「ドキィ!ぼっち男ばかりの胸キュン新年会!!17年は愛の戦士たち?」です。 
そこで日本酒をまた沢山飲むからいいもんね!
そんな感じで、また1年、お付き合いいただける友人に感謝しつつ
頑張ってまいります。
本年もどうぞよろしくお願いします。

1/17のヤマトーク第5週にお越しの方は、そこでお会いしましょう。

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2016年12月30日 (金)

年末の御挨拶

昼食を食べに寄ったインド料理店で流れてる民放TV。
今年の重大ニュース50を「放送時間数で算出」したランキング!
ってさもまっとうそうな数字を言うけど、
やっぱりゴシップが上位になることで、
自分の番組はどれだけ社会的に重要かよりも、
離婚や不倫や醜聞と犯罪ばかり扱ってきたかという
お里ががばれる見事なお馬鹿コーナーになってる。
報道とかジャーナリズムとかの名を使って公共の電波を用いた発信をする存在は、
どんなに小さな話題でも、自らの見識と哲学にしたがって、
社会の中の意味を問うスタンスを見失ったら、
単なる客ウケ狙いのゴシップちんどん屋だろ。
スポンサーが喜ぶように馬鹿話と珍妙な音でビラが配れればそれでよくなる。
事実と関係なしに自分で筋書きをこしらえる
最高の手抜きと無礼である
「感動レイプ」も横行するわけだ。
その中でSMAP解散にやはり触れて、
今日のクラウドファンドによる全面新聞広告を
ファンの心が彼らに伝わって喜んでいるだろうとか勝手にコメントしてる。
志しを受け取っても、何も出来なくなってしまった自分達を
悔やみ苦悩するとはまったく考えないんだな。
表現者がその大切な術を破壊された姿なのに。
そしていつか再結成をとか美談でまとめようとする。
それってメンバー達の心を無視したエゴだとは思わないのか。
呆れた。
スマスマは料理番組好きだから、バラエティが大嫌いな僕も結構観てた。
最終回はビデオ振り返りで新規収録の出演はなかった様子。
本人達の納得のいく形であれと願うけど、
マスコミは放送前でも有終の美を評価として吹聴するのは、誰の思惑なんだろうね。
どう観たって、バックのタレント事務所の
金と欲と保身に翻弄され引き裂かれた惨めで哀れな姿じゃないか。
事務所は猛省を示さなければならないはずなのに、
親心を口にして、責任を曖昧に誤魔化す汚らしさ。
あるいはそれも分からない老害なのか。
四半世紀も国民に愛された存在を、「大人の事情」で私物化し汚して傷つけ、
日本で最もみすぼらしい顛末を迎えた象徴としてさらした自覚をもって、
経営は全員退陣するのが道理ではないのか。
そこへ踏み込めないで、報道とか自称するのか。

昼食後に年始の食材を買出しにスーパーへ。
季節行事に用いる物以外の普通の食材も便乗か高騰してて買う気が起きない。
昨日一昨日まで100円以下だった青菜が今日は150円以上してる。
キャベツや白菜は数日前の安いときに買ってあるし、
正月らしい料理を食べたいわけでもないので、まぁいい。
仕事納めも済み、もう年末の休みのはずだが、
客層は高齢者ばかり。
よたよたと歩き、手にしたカゴへの配慮も忘れるから通路が塞がれ大渋滞。
レジでは小銭を出すのもおぼつかず、計算もろくにできない。
高齢化社会ってこれが普通になることなんだな。
僕は効率主義じゃないし、利益主義でもない。
でも普通にできることができなくなっていくことが常態化した社会は、
存在そのものが物凄く無価値で無意味なロスと無駄を抱えて動くことになる。
それは恐ろしいことなんだ。
レジの支払いで財布の小銭を数えてはやり直す老いた男と
それに連なる長蛇を見て寒気がするのは、
今が年の瀬だからばかりではない。

今年は、色々あって、原稿を描いても掲載できない事情になり、
長く交渉を続けるばかりの日々だったように思う。
角川はその中で、時折、頓珍漢なことはあっても
とても心強く支えてくれた。
深く感謝している。
まだまだ霧は晴れず、来年に課題は持ち越しになってしまったけれど、
漫画をちゃんと描いていける環境にしたいと切に願っている。
別にケンカをしているわけではない。
それぞれの思惑の違いをどう乗り越えていけるのか。
それがコミカライズという仕事の基本の一つでもあるのだから。

映画はあまり数を観られなかったけれど、
なんだかほぼ全部がアタリだった。
ガルパン劇場版に始まり、ユーフォニアム、シン・ゴジラ、
君の名は。、聲の形、この世界の片隅に、レミニセンティア。
実写が少ないなw
カラー10周年記念展は上京していた玉盛さんと観た。
そのまま一日連れ回してしまって、まるでデートだった。
(オッサン二人なのに)
桑島法子さんの宮沢賢治朗読会も行けた。
仕事が中断の間に、でも少しは人間的なことができた1年だったかもしれない。
アニメの設定もやってるし。

そして明日はコミケット91だ。
さっき、親しい編集者から電話がきて話していたら、
僕が3日目に出ているのを知らなかった。
今回もそうだけど、サークルmsのコミケwebカタログでは
僕のサークルは必ず「お気に入り」から削除される。
毎回だ。
だから登録したつもりの人は普通に
「ああ、落選してコミケに出てないんだな」と思うだろう。
それが見事に裏付けられた感じになる。
一応コミケ3日目に出る予定。
12月は漫画の執筆の合間に依頼された同人誌の寄稿をするのが精一杯で、
とうとうまた自分の本は作れなかった。残念。
それでも寄稿した「KIYO CLUB」さんの本を委託でお受けして
お店に並べることになっている。
他に寄稿したあびゅうきょ先生のガルパン本は東 j-35bで
ガルパン三世もまた参加したけど、3日目はどこも扱ってないのかな?
よく知らない。
Galupin2cover_rgb
で、自分はというと
東7ホール d-02a 「むらかわみちお党」
で待っておりますので、
お暇なときにお越しいただければ、年末の御挨拶もできるし嬉しいです。
それ以外の方は、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
来年もよろしくお付き合い下さいますようお願いいたします。

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2016年12月17日 (土)

5週目出ますよ。

2202の公式webで告知されている来年2月の劇場公開の応援企画
「たっぷり7週ヤマトーク2199 〜road to 2202〜」。
もう既にスタートしており、
僕も2週目は客席に座り、懐かしいYRAの公録的な雰囲気を楽しませていただいた。
で、来る1月17日の第5週ヤマトークの登壇者の欄にある「他」ってのは
多分僕のこと。

そもそもこの連続ヤマトークの企画段階で
僕の登壇の依頼を郡司Pから受けたときに、
複数回予定される舞台の内容の相談をされたので、
それではと僕から9つ企画案を提出させていただいた。
そのうちの一つがこれ。
自分で出した企画なのに、何で名前が削除されてるんだ!?
紹介するwebニュースによっては
テーマから「漫画」すら削られていた。
ヤマトが大好きで誠実に努力をしてきたつもりなのに
そんなに嫌われていたのかなと
かなり凹んで苦しんだ。
嫌われているかもしれないのに自分の扱いを尋ねるってことは
どれだけ惨めなことかを察してもらえるだろうか。
それでもそれだけ追いつめられて、
製作委員会やMCの小林治さんに状況を尋ねたところ、
むらかわの出演で話は通ってるとのこと。
で、どうやら角川がwebへの出稿時に僕の出演を
勝 手 に 保 留 に し た ら し い
ということが分かってきた。
描いても描いても原稿を掲載してもらえない状況の中で
僕が関係各位に悪感情を持って出演拒否をするかとでも思ったのだろうか。
角川は事前に何度も何度も登壇の意志の確認を僕に直接してきたのに、
それでも疑心暗鬼のリスク管理を優先させたってのは
僕を信用していないってことだよね。
これも悲しいことだった。

ともあれ、2週目のヤマトークの際に楽屋へお邪魔して、
小林さんと話題の腹案など簡単な打ち合わせをさせていただいた。
1時間少々の時間の中だけれど、
メディアミックス作品の創作法や苦労、醍醐味などを
豊田さんと一緒に濃密にお話できたらいいなと思っている。

角川から僕の登壇がwebに追記されるのは
12月26日だと報告がきたけれど、
この日はチケットの発売日。(あと連載のComicNewtypeでの更新日)
宣伝戦略としてはもうアウトの絶望的タイミング。
公式webの担当にはもっと前倒しにしてもらう交渉をしたのか尋ねたけど
その気配はなく、鵜呑みで報告してきたっぽい。
この日程で了解しろというので、状況は理解したが了解はしないと拒否した。
それじゃどこまでも蔑ろにしてるじゃないか。
僕の対面ではなく、ヤマトークの参観者に事前に正確な情報が提示できない。
「交渉なくして妥結なし」昔の上司に教わった僕のモットー。
代替条件を述べて交渉に臨むよう要望をしたが、
あまり期待はできないかも。
ということでフライングかもしれないけれど、
損をする人は誰もいないので、
自分の日記くらいだが、告知をした次第。

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2016年11月12日 (土)

再開

連載が再開になった。
12日0時からComicNewtype
14日にはニコニコA
16日にComicWalkerでの配信だ。
7月から関係者間でずっと交渉を重ねている中にあって、
こちらは原稿を描いて納めているのに掲載・更新がされず、
「ヤマトの連載は更新も止まってるし、もう終わりだな」
「メンタルでもやられてダメになったんだろう」
なんて言葉もネットでは散見されるようになり、
悲しく虚しい想いを強いられてきた。
でも2199という漫画を自分の思うようにちゃんと最後まで描ききるために
今はかがんでいることが必要だったのだと思う。
別に争いをしているわけではない。
皆で未来を築こうとする意志において、
タイミングや思惑が交錯していく中で生じた課題への関係調整を
時間をかけておこなっていたのだ。

僕は漫画を描くことしか立場としては持てないがゆえ、
角川編集部が長い交渉に力を尽くしてくれたことへ深く感謝する。
かがんでいる間に失ったものは多い。
数ヶ月無収入だったというだけでなく、
漫画家としての信用、引いてはヤマトという作品への読者の温度も信用も。
ただ拓かれた可能性も大きい。
可能性を形にしていくことに、これからも努力をしていく所存だ。
ということでアニメの設定をしたり漫画の続きを粛々と描いている。
https://gyazo.com/310a66ede40fe5061778a1f89c145261

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2016年9月28日 (水)

自分の中の火

体調は悪くないけれど色々と事情が錯綜していて
漫画の掲載は止まっている。
だけど原稿は描いてるし、脱稿したものは編集部に預かってもらっている。
https://gyazo.com/bfbdabd051c8fc9c369c948a14626923
https://gyazo.com/a4e838e7fc2676d72a95120d05ff5e45

角川編集部も連載の再開に向けて親身になってくれているので、とても心強い。
心強いが、漫画家は原稿が載らないと基本的には稿料が発生しないので、
この3ヶ月間は無収入ということだ。
それに秋に予定されていたコミックスの発売も当然ながら延期になってしまった。
社長時代に、経営責任から手取りで7万円という月給で5年も過ごし、
赤貧に喘いだ経験があるので、貧乏には強いつもりだけど、
それでも無収入は重く、心虚しいものだ。
併行して新作アニメのお手伝いもしている。
羽原監督の頑張りは凄いし、小林さんのビジュアルイメージも魅力的。
福井さんの物語へのアプローチもユニークで惹かれる。
玉盛さんのメカもカッコイイ。
自分も連載の中断でできた時間を使って設定を描いている。
来年2月の公開に向けて盛り上がっていったらいいな。

ブランクを自分が責任放棄をしてサボっているように見られてしまうのも
個人商店として信用やブランドを作り守る必要のあるがゆえに厳しい。
ずっと仕事はしているのにね。
忙しくしてるので、映画もゴジラ以降観てないし、出かけることも少ない。
なので世間様の話題とずれてしまうのもいたしかたない。
ずれたついでに、遡った話題なども含め少々。

僕はロボット物があまり好きじゃない。というか興味ない。
僕は極めて無趣味な人間で、
アニメや漫画で扱われるその手のアイテムやジャンルで好きなのは宇宙戦艦だけだったりする。
自分がなぜにロボが好きじゃないのか、気になっていたので
チケットを譲ってもらったこともあり、昨年夏に上野での開催されていた「大河原邦男展」へ行ってみた。
http://www.okawara-ten.com/
これがなかなか興味深かった。
デザイナーとしてコアにある個性がしっかりあるのに、
時代に影響され、周囲の若い才能と流行に迷い、
工業技術系の素養の少なさゆえに葛藤して、
表現がブレまくっている姿が見えてきて、心に痛みが走った。
マクロスの河森デザインを真似てみたり、
リアル指向の潮流の中で、むやみに線を増やし、
しかしそこに技術的な裏づけがないから、意味不明のまま、かっこ悪くなっていたり。
まるで素人のような模索をしているさまに、
ロボットデザインのアイコンとして一線で活躍している御大の印象とは
別の姿を見たような気がした。
大河原風の立ち姿で描かれるヒーローロボを、
玩具メーカーの要請か方眼紙に多面図に置き換えた所在なさとか、唸ってしまった。
奈良の大仏を肉眼でなく、図面的に見たときの不恰好さに通じるもの。
本来アニメとして大きく見せるものを小さく収める商業的必要性が、
デザインの魅力を殺しかねない恐ろしさ。
そしてそれを本人に描かせるむごたらしさ。
今のデザイナーさんは六面図の上でもカッコよく見えるデザインを
最初から意識しているだろうし、要求を理解してるのだろうが、
それでもアニメのロボで3DCGと手描きの表現でなかなか埋まらない、
外連味というか、印象に基づく調整の姿を
同時にデザインの現場で垣間見た感じ。
その意味で御大のデザイン画は、絵としてのびのびとし懐かしい香りがする。
そういう「デザインする」苦労に触れながら、同時に思ったのは、
大河原的ヒーローロボが網羅されているのを眺めて、
昔からまったく自分の趣味でなかったものばかりという衝撃。
そう。僕は大河原的ロボの容姿が嫌いだったのだ。
僕のロボ嫌いの根幹は、長く時代の主流にあったものと、
自分の趣味との隔絶感が根幹にあったのだ。
僕はスーパーカーより、野良の耕運機や市場のターレットが好き。
よく考えたら、ロボだって、
パトレイバーやザブングルのギャロップとか働くロボは好きだった。
ヒーローロボなんていう役者顔した、
日々の仕事に何の役にも立たない存在に、
自分は魅力を感じないのだ。

ひらこーの漫画「ドリフターズ」。
アニメ化もされるらしいけれど、恥ずかしながら正直な話、
何が面白いんだか、まったくわからん。
というか僕が人生や物語に求めるものが何も感じられない。
この間の「マッドマックス・怒りのデスロード」を観たときと同じ。
ジョージ・ミラーは70過ぎてよくこんな温度の作品が撮れるものだ。凄いなーとは思うけど、
僕の心に何も残らない。
楽しいと思う要素もないから娯楽にもならない。
散歩しているときに見る空に浮かぶ雲の形の方が魅力的に感じる。
これもなんだかロボ嫌いに通じるな。
日本史にあんまり興味ないので、史実の武人や豪傑に惹かれないからなのかなぁ。
それともそういう業を負って無為に戦う姿を、
物凄く遠くから、それこそ雲の形のように眺められれば、面白くなるのかもしれないな。
あの中で雷雲が起こっているい違いない!的な感動が。
キャラをばら撒いて勝手にケンカしてる姿って、
水槽にカブトムシとかクワガタを適当に入れて、争うのを眺めるのと同じじゃないんかね。
僕は「カブトすげー!」ってのは、その場の見世物としか見えないし、どうでも良くて、
そこに物語はあるのだろうかというのが気になる。
でも虫には五分の魂はあろうが、虫だからね。
それが生き様?この様?諸行無常なの?
ジャンプの漫画もそうだけど、子供の頃から自分には面白くもなんともない作品が多い。
40年200冊だろうが、自分の心に何も訴えてこない作品というものはある。
ただ娯楽としてとてつもない規模で許容されている
そういう作品とかジャンルとかがあるっていうのは凄いことだ。
漫画の地平が広いってのは良い事。フロンティアが開かれているのだから。
僕は漫画を描くって行為は、もちろんお仕事なんだけど、
基本の基本は、こんな小さくて偏屈な自分ができる、友達づくりなんだよね。
自分はこういう人様が面白くもないものを愛でて生きてますっていう自己紹介みたいなもので、
そうなると多分商業的なメジャーなものが目指す視野とは見ているものが違うんだろうな。

KIYOさんのつぶやき見てたらこんなものが。
https://twitter.com/kiyo1205/status/774261104411148289
うーん。1位2位ともオイラが表紙描いてるけど、
オイラのサークルはこんなに人気もないし売れもしないぞ。
つまり同じものを扱っていても
オイラの色がつくことで、流行らないものをやってると見なされているのだろう。
これは井上純弌が自著「中国嫁日記」の発売に
「絶対褒めるな。アンタが褒めるものは売れないから」と言い放った意味に
通じているように思う。

僕は新卒での就職のときもそうだったけど、
大企業とかメジャー指向がそもそもないし、
企業の営利主義的活動ってのも好まない。
昔から日々寝食に困らなければそれで善し。
経済成長なんて馬鹿らしい限り。
顧問会計士から「アナタの様な人は社長をやってはいけない」って言われるのももっともだ。
大学出て、給料は安くても人に喜んでもらえる仕事に満足して働いているのに、
父親から
「そんな安い下らない仕事してないで、俺の会社にくれば、今の3倍の給料だしてやるぞ」
って言われて、ぶん殴ってやろうと憤ったのを思い出した。
会社は畳んでも多くの社長さん達と今も親しくお付き合いをしている中で思うのは、
企業経営者って普通の人以上に、心の中に強い火を持っているということ。
執着でも欲でもいい。名誉や金、アイディアやドライブ感、それらを求める熱を抱えている。
僕は自分の会社にそういう熱をまったく持つことが出来なかった。
努力はしても経営が行き詰るのは当然なんだよね。
漫画家も個人事業主ではあるけど、
そこには熱を持っているから、なんとかなっているんだろうな。
やはり、井上純弌に「アンタ、なんで漫画描いてるんだよ」と問われて、
「友達が欲しいから」と答えたときの妙なものを見るような顔を思い出す。
でも、自分にはそれがとても大切な火なんだ。

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