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2009年11月18日 (水)

漫画絵を塗るということ 1

その1「違和感」

まず最初に断っておかないといけないのは、
「僕自身、カラー画が下手である」という前提である。
以前、友人の皆河有伽からもきっぱりと言われているのだが、
なんとか取り繕っているけれど、僕にはそもそもカラーに才がないのだ。
経験や工夫でなんとかごまかせても、
それでは隠し切れないものがやはりあるし、
ヘタクソなりの強い個性でも絵にあればいいのに、それもない。
それは描いている自分が一番感じる。
色をこねくり回したあげくドドメ色になっていく過程を目の当たりにしているのだから。
絵具の色は重ねるほど混ぜるほど濁っていく。
自分には光がないのだ。
そのために、どうやったら上手なカラー画が描けるのか、
下手なりに他人様の絵を見ては考えるように努力してきた。
その見聞の中で気になってきたものが今回のお話になる。

漫画絵におけるカラー彩色にPCでの着彩が見られるようになってもう10年を過ぎ、
すでに珍しくないどころか主流になろうとしている。
そうした世の流れにある中で、
PC彩色を導入して、アナログのときよりも明らかに
カラー画が驚くほどみすぼらしくなった作家が頻出している。
絵具と筆による肉筆画よりも味わいがなくなったというようなレベルではなく、
稚拙で素人の描いたような著しい表現の減衰だ。
単純に言えばPhotoshopのブラシ塗りになって明らかに見劣りがしている。
メリハリのないぼやけた色と筆致が輪郭線の中で泳いでいて
それでいて絵具の拘束から解き放たれた勢いで
ビビッドでかつ重い色を調和性など考えずに用いてしまっていて
補色が乱立し気持ちの悪い状態に陥っている。
単純にPhotoshopの扱いに慣れていないと見ることもできよう。
もちろんそれも理由の一つではあろうけれど、
このブラシ塗りによる、タッチのない朦朧とした絵を描いてしまっている人を、
大勢見かけるのは、どうにも他に要因があると思う。
なぜならばそれは、所謂メジャー誌や週刊雑誌の作家さんとその系譜に属する人に
とても多いという印象があるからだ。
(検証はしてないのです。スミマセン)
このような絵を好しとする感受性が醸成される環境があるように思う。
もちろんこれは僕の主観であり、
僕の示す絵が好きだという人はいるであろうことは理解しているし、
好きならそれで良いのだ。

それでも、この状況がなんだろうと考えるとき、
古くは赤本漫画から、発行スパンの短い週刊漫画誌などにおいて
主に印刷上の便宜から求められてきた多色刷りの現状がまずあるのではないか。
赤本は黒と赤の2色(3色はあまり見かけたことないけど)で印刷して、
紙面の色彩表現を増すのだけれど、
製版で2色分解をすると(ダブルトーンではない)
かなり擬似カラーとしての印象を安価にできたこともあって
漫画誌ではフルカラー印刷のコストが下がるまではかなり用いられてきた。
その現場では、限られた時間で作品を制作する漫画家にも簡便さが求められ、
本来は主線と色の馴染みや配色のバランスなど手間と試行錯誤を要する彩色ではなく、
墨ベタとペン入れが済んだ原稿に朱と薄墨で陰影と色を付ける方法、
短時間でできる割り切りをしたこの二色での原稿がデフォルトになっていった。
日本には色彩の限られた人物水墨画の伝統もあるから、
そう大きな違和感は生まないのだけれど、
この漫画の彩色の方法は、
やがてフルカラーにおいてもそのままの発想で流用されるようになり、
ペン入れ原稿に彩色というルーチンが漫画家にとっても無頓着に出来上がっていく。
ここに大きな問題を内包したまま。
それはつまり、日本の漫画絵、特にペンの入った状態というのは
形状の省略と誇張ばかりではない、
色も光源も白黒のみで表現するべく削ぎ落とされた2値化がされた完成の状態であって、
そこに色の情報はすでに余計な要素でしかないということである。
スクリーントーンは薄墨の階調としてまだ許容される要素があるが、
色の表現する情報を加えてしまったら、明らかな「過多」なのである。
なかでも少年漫画はそこへの配慮を欠いたまま、
(少女漫画は独特の解決策を女性的な感受性の中で産んでいくのに)
2値の線と色の不和を、見慣れたあたりまえの絵として処理してしまってきた。
そして媒体にのって拡大再生産を生んでいるのが現代だ。
その経緯の中でも、絵描きとしての感受性が作用して
多くの先人が落としどころや妥協点を見出してきたが、
僕のようにカラーに対してのセンスの不足や配慮の足りない人は、ただ流されていく。
それでもアナログ肉筆における彩色の時は
筆やマーカーの筆致やにじみなどのタッチが補ってくれていたが、
PCでの彩色になって、無頓着にブラシ塗りで済ます人が増えたゆえに
この内包していた違和感が噴出したように考える。

そもそも真っ黒に塗って、しかも艶ベタまで入れた髪の毛のタッチと
ぼんやりとした表情の薄いブラシ塗りのタッチや階調で
素材を表現するものが混在しているなんて
明らかに違うものの同居でしょう。
整合性をとらないと絵として殺し合いになってしまう。
線から見た色の在り方、
色から見た線の在り方、
そこの発想に立って、彩色というものを考えていかないといけないはずなのに。

では、その打開策はあるのかということで、
西洋と日本の伝統的な絵画にヒントを求めていきたいと思う。

[つづく]

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