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2009年12月10日 (木)

漫画絵を塗るということ 4

その4「そこでアプローチを考察」

先月から引っ張ってしまった、
漫画絵を塗るという課題についての考察というか提案のつづき。
PCでの彩色がかなり普及するに至って、
大手少年漫画誌の成立過程の中で培ってきた、
墨線のきっちり入ったコントラストの強い絵に淡彩で彩色する方法の
問題点がかなり際立ってきている現状がある。
明らかにPC導入後の絵の方が肉筆の時代より劣ってしまった漫画家の
カラー画を多く見かけるようになったし、
その系譜にある友人漫画家の幾人かがやはり
カラーが苦手だという意識を強くしてしまっている。
自分もカラー画の手ほどきをするほど上手ではないのだが、
一般的な絵画の彩色の発想を追いかけることで
その打開の着想が得られるのではないかなというのがこの文である。
そこで、その2、3で絵画の東西における特徴的な部分を俯瞰してきたところ。

現在、漫画の彩色や漫画絵でのイラストを見るとき、
日本的な絵画の系譜に連なるアプローチと
西洋的な絵画のアプローチが見て取れる。
というよりその両者のバランス配分の上に存在していると言えそうだ。
ちなみにここで問題視している「安易なPCでのブラシ塗り」は
その集合に含まれないと自分の心情的には言っておきたい。
理由は、おしきせのルーチンに身を任せて
自分で思考し、バランスすることを放棄しているから。
思い悩むことから逃げ、打算に安寧し、
創意工夫と試行錯誤を放棄した人は好きじゃないので。

漫画絵は輪郭線の存在をなかなか無視できない。
これは漫画の宿命として逃れられない。
(安彦良和さんや山下いくとさんの彩色画などは例外的なものだ)
日本画には朦朧体という線画表現を退けた彩色思潮が、
横山大観、菱田春草らによって提示されたけれど、
革新的で異彩を放ったものの、それも現在は一技法として収まり、
決して主流にはなりえていない。
線の存在は強く大きい。
明治期以降の日本絵画、特に日本画と称されるものは、
西洋絵画の影響、特に彩色とパース感を
どのように輪郭画・線画の中に落とし込むのかという発想と技法の
積み上げとバラエティの歴史のように見える。
そして現代の漫画絵の彩色の多くはやはりこの彩色の試みに通じる
技法と着想で構成されていると言えるだろう。

少女漫画の彩色は
描線をかなり細くし、かつ主線をセピアなどのカラーインクを用いたりと、
線のボリューム感を弱める方法を採ったことが幸いして、独特の成功を収められていると考える。
これには少女向けの媒体で人気を博した
戦前の竹久夢二から戦後の中原淳一、内藤ルネ、高橋真琴ら先達の影響もあろう。
(中原の線は太く強いけれど)
彼らは時に編集者や事業家として時代の少女のイメージを牽引した。
そうして淡い色調の色付けにも耐え、さらには色彩表現として美観をもって確立されていく。
女性のもつ美的感覚と嗜好に適った繊細な線描と色彩感覚は、
表現の多様性と豊かさをもって70~80年代にそのピークを迎える。
(漫画としての黄金期とは異なる)
だが悲しいかな、少年漫画にはこうした美観の牽引者がほぼいなかった。
美輪明宏が「戦争が日本人の色彩感覚を衰えさせた」とよく嘆いているが、
戦争の影の残る時代に創刊された少年漫画誌には、
その男子に求められる精神性も相まって
彩色としての美に踏み込むことを女々しいことのように捉えられ
注視することはなかったのであろう。
印刷工程や予算、時間的制約を優先させた彩色スタイルがデフォルトになっていく。

この少年漫画の強い線描と淡彩との相性はそもそも悪いことは、その1で説明した。
では日本絵画でこの強い線描に色を載せたものは無かったのか、
と問えば、浮世絵に行きつく訳で、
その絵画表現的なピークは江戸期ではなく、
明治大正にかけて西洋画の流入で衰退を見せる流れにあるとき、
西洋画のエッセンスを吸収しつつ花開いた「新版画」にあろうというのが、その2である。
つまり近代的なパース感や自然光の放つ色彩感覚を用いたことにより、
江戸期の浮世絵よりも、より現代の漫画絵への馴染みが良く、イメージを結びつけやすいのだ。
この「新版画」の描法というより色彩表現技法はしかし、
色彩設計のセンスや技巧的な緻密さを除けば江戸期の浮世絵と大差は無い。
版木によって再現された強い墨線の線描に、薄墨による線描の追加などで
多様な輪郭線の表現を有し、
その輪郭に囲まれた中にまずマットに色を流し込んだものを基本にして
そこに色や薄墨によるグラデーションや数段階に分解された階調を施す。
グラデーションはなめらかさ、
段の階調はコントラストを持った色の存在感をかもす。
刷りの工程で時には広い面積の一部分のみにタッチや階調、にじみを付けるなど、
職人の高い技が実現している。
大手少年誌の彩色の系譜にあって、その表現に苦しみ悩む場合は
まずここから参考にしてみること薦めたい。
そして既にお気づきの人も多いだろうが、
現代にこの色彩技法を採用しているのは日本のアニメの彩色である。
昨今はPCでの着彩にこちらも移行しているから、
頬の赤みや滑らかな影といったブラシ処理や色トレスなども簡便になったため、
ますます、この「新版画」の域に相似してきている。
(アニメだから背景は違うんだけど)
なので、お悩みの貴兄は所謂「アニメ塗り」をすべしという結論というか、提案なのだ。

実は僕も、幻冬舎版「虚数霊」の単行本を刊行した際は、
(マイフォトの虚数霊の「幻冬舎版カバー画」を参照)
PCを彩色に導入したばかりに加えて、
タブレットも持たず、マウスで作業し、
彩色ソフトもデジカメのバンドルソフトだったAdobe社のPhotoDeluxe forBIZ 2.0しかなく、
無意識にこの「アニメ塗り」に近い形で彩色を行っていた。
当時この僕のカバー画を見たマイミクの希有馬氏が
「PC塗りはこの位のほうが下品じゃなくって好いよ」と評してくれたが、
今まさに彼の言っていたことが実感できる。
見直してみると、そうした環境下で描いた拙さもあるが、
その拙さゆえにこの描法で体裁を取り繕えているのだとも思う。
現在はタブレットと自分のスタイルにマッチした彩色ソフトを見出せたので、
アクリルでの手彩色のイメージを変わらないところまで持ってこれたけれど、
アニメ塗りは僕もPCでの塗りに迷っていた際に通ってきた道だったとは。
カラーが苦手な人間の至る方向ってそんなに多くはないのだろう。
(今は上手くなったというより、自分の絵に近づけられたという感じ)
ただゆえに、まずはお試しアレと自信をもって薦められたりもする。

日本画の描法を俯瞰すれば、多くの参考事例はあろうけれど、
今回の考察はその細部に分け入って、
塗り方を指導するような大それたものではない。
懸念するブラシ塗りの悪癖に、
一番効果的で簡易なアプローチの発想を提示できればというものだったので
ここで筆をおきたいと思う。
前フリが長かったので、さぞや凄い解決策が出ると思われていたなら、ゴメンナサイ。
ただ絵の描法のスタイルを変えるという行為は
絵描きにとってかなりの勇気を必要とし、ストレスも不安も大きく、
特に僕のように美術教育を受けていない人間は
描法や色など絵に対する経験値がとても低いゆえに、怖いのだ。
簡単そうな結論でもなかなかに踏み込めないのが現実であるのも、ご理解を。

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