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2009年12月12日 (土)

光に溢れた映画だった

9日の夜のうちにネームを仕上げたので
翌午前中を利用して「マイマイ新子と千年の魔法」を観賞する。
http://www.mai-mai.jp/index.html
公開終了は近づいているし、こちらは年末進行もあり、
これがラストチャンスだったからだ。
上映館が少ないので、新宿ピカデリーを選択。
新装になってから初めてだった。
劇場もきれいだし、イスも良いけど、どこもシネコン式ってのは少し淋しい。

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で、感想。
映画というものが
物語というドグマに支配されることがすべてではなく、
一瞬一瞬の体感をもってしてその輝きを伝えることができるのだという
思いを深くさせられる作品だった。
もちろんこの映画にお話が無いということではない。
逆に緻密すぎるほどに編まれていて、そつが無い。
評判の良かった「サマーウォーズ」のほうがよほど粗忽だと言える。
この粗忽さは時として映画としての絶妙なスパイスになるのだけれど、
どこまでも心配りの行き届いた本作はしかし窮屈などということはなく、
躍動感と奔放に満ちたシーン一つひとつの輝きが、心を解放してくれる。
その美しさがあるから、お話はきっかけにしか過ぎず、
映画を支配するものではない。
「三丁目の夕日」の人気で、俄かに昭和を珍重し懐古するあのいやらしさもない。
少しでも田舎で暮らす時間をもった者ならば、誰しもが必ず重なるであろう
そんな普通の静かな体験の、でも確かな光ばかりが隣に居るだけだ。

かく言う僕も、「となりのトトロ」でもそうだったけれど、
昭和の時代に農村で育ってしまうと
そこここに自身の経験と重なってしまうものがやたら多い。
麦畑を抜ける時の音や匂い。その上を渡る風の紋。広い視界。
用水路とも川ともつかない水の流れに見出すもの。
生活の傍らにいる牛や鶏。
木造の校舎。先生との心の距離。
五右衛門風呂や縁側の高さ。
山口弁は、夏を過ごした島根県石見地方の方言に似た響きを持ち、
天の川を初めて仰ぎ見たのは、島根の夜道だった。
ついでに親戚が山口大学の地質学の教授だったことも思い出す。

今の時代には失われてしまったものも多かろうとは思うけれど、
確かにそれはそこに在ったし、
それは千年前に在ったものとも通じるものだ。
小さな何か一つを共有できるならば
きっとそこから在る事の本当をこの身の内に染み入らせることが
観客に普通の想像力があるのなら可能だろうと思う。
今はそんな時代じゃないとヤサグレル必要などどこもにも無いのだ。

片渕監督は「ブラック・ラグーン」のTVシリーズの監督・脚本もされているが
まったく構成も毛色も異なるドラマ性の強い作品から
こうしたコアの部分を宙に飛ばすような作品まで演出ができるのは
素晴らしいと思う。
CGの使い方はとても地味な要所要所に抑えられ、
基本の画面の作り方は日本のアニメーションが獲得した
PANやFOLLOWなどの手堅いものが多いのも演出の底力を感じる。
音楽も押し付けがましくなく、軽やかでまるで鼻歌のように空に広がっていく。
そしてこの映画が実写ではなく描かれた絵であることが
表現したいものの純度を上げていくことに結実しているのだ。
絵、特に漫画絵は省略と誇張である。
あたらリアルになることばかりに美徳は無く
省くことで見せたいものに集約もできるが、
省かれたがゆえに見えてくるもの、省かれたがゆえに膨らむ想いもある。
それが絵の力だ。そしてそれが動くことの至福。
ウツギの花のなんて美しいことか!
絵の表現できる輝きと体験を信じられるこの映画を僕は心から賛美したい。

今年はアニメの劇場映画が豊作だったと言われているが、
僕にとってこの映画が締めくくりになったことは
何より幸福であった。
残念なのは、観客数としては不入りが続き、来週にも上映は終わってしまう。
「宇宙戦艦ヤマト復活編」もいいけれど、
できればこちらを多くの人に見て欲しい気持ちでいっぱいだ。

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