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2010年1月

2010年1月22日 (金)

募金をしようとおもうのだけど

ハイチの震災被害に対して、
さすがに15年前の阪神淡路震災の時のように
自分が現地にボランティアとして入ることも難しいので、
何らかの形で募金はしたいと考えている。
世界各地で天災以外にも、困窮や政情不安などで苦しむ人は多い。
その「どれか」にテコ入れをするならば、
同じ意思をもって他にも寄付なり奉仕活動なりをしなくてはいけないのでは
などと思ってしまうこともあるので、
阪神の時は「現地にいる」という状況を作り出して
半ば当事者としてその地でボランティアをする理屈でクリアしたけれど、
今度の震災でも、ハイチだからこそ募金するという筋道が通る方法を探っている。
僕はTVの地震や災害関連ドキュメント番組は全部チェックしたり、
区の市民レスキューやマンションの防災担当の役を請け、
大震災後のマンション罹災時活動マニュアルを密かに作ったりと、
災害・地震マニア的なところがあるけれど、
だからハイチの地震に無関心でいられないって理屈も
あまりよろしくないので。

で、募金方法や募金先など調べるうち、
やはり気になったのが「財団法人日本ユニセフ協会」。
相変わらず国連組織のUNICEFの皮をかぶって商売が盛んだ。
ここの協会は
募金や寄付は基本的に上前をはねて、自分の懐に入れる。
つまりピンハネする。
全額、被災者はもちろんユニセフにも届かない。
(そのハネたお金で自社ビルを建設する団体だ)
今回のハイチ緊急募金だって
全額が被災地に贈られるとは一言も触れてない。
そもそも明解な会計報告をしない。
かつて僕は公益法人の仕事をしていたけれど
そういう組織だからこそ会計内容の公開と厳しい監査をモラルとしていた。
つまり日本ユニセフは後ろめたいから開示しないと理解されても仕方がない。
数十億のアガリをいただく、まさしくおいしい募金商売ではないのか。
webにあるハイチ募金の文面がまた絶妙なごまかしで、

14日に日本での緊急募金活動(ハイチ地震緊急募金)をスタートさせた日本ユニセフ協会も、同日、50万米ドル(約4600万円)を、緊急拠出することを決定しました。今回の拠出は、ユニセフ本部の要請に基づき、自然災害や紛争など緊急事態の発生時に柔軟に対応するために積み立てている緊急拠出積立金より拠出するものです。また、日本政府も、ユニセフを通じた支援を準備しています。

日本政府が自分たちを通じて支援するかのような誤読を生みやすくしてある。
不潔極まりない。
この団体の黒さについて詳しくは、以下が簡単にまとまっている。
http://tanukur.blog8.fc2.com/blog-entry-281.html

なので、募金を考える場合は
(財)日本ユニセフ協会をぜひ「論外」「対象外」にしてほしいと思う。

調べると今は様々な募金や寄付の方法がある。
日本赤十字の口座へ直接振込という定番から、
yahoo!ポイントを使って赤十字に寄付する方法
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1301013/
webmoneyを使った方法
http://www.webmoney.jp/cam/cgibin/donation/do/index.html
チャリティイベントへの参加や
曲のダウンロードのお金が募金に廻る仕組み、
i-Tunesを使った方法まであるらしい。
多くの企業もその窓口を作っている。
上場企業は、有価証券報告書で会計の公開が義務付けられているし、
日本ユニセフよりよほど明解だ。
とりあえず僕は、
使うあてもないyahoo!ポイントは募金に回しておいたところ。

募金はあわててする必要はない。
すぐにお金が形や援助になるわけではないから。
罹災後しばし時間を置いたときこそお金と物資が必要になり、義捐(義援)金が意味を成す。
それまでの間、僕らは適正な募金先を選べばよいのだ

追記:一般企業の募金活動は
どうもそうした業務の片棒をNGOや慈善団体に担がせて
作業の軽減化をしている様子で
そうした中に日本ユニセフにお金が流れているケースがけっこうある感じです。
最初に書いたドラえもん募金などは
その意味が不明確に日本ユニセフにお金が流れる仕組みができているのを
知人の指摘で発見しました。
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/14650506.html
これはスマトラ沖地震のケースですが、ハイチにも同様の流れになる可能性が高いです。
これはやっぱり赤十字へ直で入金するのが一番安全なのかも。

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2010年1月20日 (水)

「君に届け」は好いタイトルだと思う

原稿に追われつつ、少し日記を記す。
幾分、空気が温まっていたようなので、1時間ほど外出して、
銀行口座からこの数日の生活に必要な少額を引き出したり、
ホウレンソウとヨーグルトを和えたトルコ料理の前菜を作るべく
スーパーで食材を買った。
合間に雑誌に目を通そうとコンビニに立ち寄る。
駅前の書店まで出かけるほどの時間的余裕はないから。
そうしたら「君に届け」の10巻が置いてあった。
TVアニメは時折タイミングが合えば観ていたけれど、
何かとても心惹かれるものがあったので、その単行本を手にして立ち読み。
あっというまに読み終えてしまった。
でも、そのスピードとは裏腹にズシンと胸に来た。
人間にとって時間と想いは必ずしも比例しない。
呆けて過ごす時間は緩慢で長いものだけれど、振り返ると空虚で何もない。
思い巡らせ、瞳を凝らし、身体を動かして過ごす時間は、
あっという間だけれど、振り返ると多くの事が心に刻まれている。
その時間感覚と同じ印象が残る。
そして長く忘れていたけれど、
少女漫画の本質の一つはこの「想い」ひとつに身も心も費やして見つめる
この世界の構造と感覚だったということ。
漫画家になって、自分の感覚に埋没して作品を創ることに没頭し、
僕は僕のロジックに支配されていたから、
この感覚を随分忘れていた。
「君に届け」の既刊は未読なのだけれど
10巻は一つの区切りにして想いを届けるエピソードになろうが、
ここまでに10巻も費やすその世界と時間の認識の素晴らしさよ。
人間にはこの感覚があるのだと思い出させてくれた。
僕は少年漫画を殆ど読まずに育ってきた。
埼玉の寒村で育ったゆえ、
大学生になった時分でも3㎞四方に書店がないようなところだから、
一般的な漫画誌を手にとることがなかった。
当時の少年漫画は絵に繊細さに掛ける面もあったので、
その忌避感から、長く遠ざけてしまった。
なので、誰しもあげるような代表的な少年漫画すら読んでいない。
(例えばドラゴンボール、キン肉マン、こち亀、北斗の拳、うる星やつらなども当然未読)
逆に妹が定期購読していた少女漫画雑誌は月に数誌、読む機会があった。
僕の漫画の絵やお話がちょっと変わっているのは
たぶんそのせいだと思う。
「君に届け」の感覚はもともと僕が触れてきたものだった。
少女漫画には少女漫画独特の文法の限界みたいなものがある。
そこへの疑問から僕は自分の漫画の切り口を見出してきたのだけれど、
女性心理と記されるものが、心理とか定型というよりも
4次元的な空間の感覚に存在する個性が
他者の同じ空間と接する界面で生じるものだと知っているし、
その凄さもそれなりに理解しているつもりだ。

今月から始まったTVアニメの「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」をネット配信で観たのだけれど、
「けいおん!」と同じような臭いがどうも気になる。
絵も登場人物も少女漫画のそれのように見えるのに、
男の体臭がするのだ。
「けいおん!」はドラマの脆弱さ、音楽から開かれるものや体感など何もないが、
逆に少女漫画的な時間の使い方があって。その方向はユニークだとは思う。
でもキャラはみな男の妄想か男の自己投影だ。
言い方を凄く悪く例えると、エロ漫画やAVの女優の演技と同じ。
「君に届け」にあるような心象空間感覚を理解しないまま、
男性視聴者の求める型と人物設計に支配された
女の皮を着た雄犬の群れのようなキャラクターと戯言の反復がされる。
そして少女漫画の空間性を是認しきれないところから始まる
時間と骨子を与えられたドラマツルギー。
この型に関しては否定的なのだけれど
ドラマツルギーは致し方なしとは思う。
でも僕の鼻にはつき続けるだろうし、
物語自体もこの男臭とドラマゆえに型として進み、
心の解放を見ないのではと思ったりする。

「虚数霊」のネームにOKが出て、
まがりなりにも担当編集からは
お褒めの言葉をいただく内容に仕上がってはいるけれど、
「君に届け」を読んじゃうと
ああ、もう下書き入っちゃってるけど、もうちょっとあそこは工夫できたな。
でもそうしたらもう1話分は必要だったな。
それにしても「君に届け」ってタイトル、
まさしく漫画とか物書きの心だよなとか、
そんなことにぐるぐる思い巡らせてしまう。

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2010年1月 1日 (金)

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

10

多分、一年中で一番好きなTV番組なのじゃないかしらと思う
NHKの「ゆく年くる年」を観ながら年が明けました。
(で、今はさだまさしのTV番組をラジオで聴きつつ)
今年はいささかナレーションが多かったように思いますが、
余計なBGMのない、生音で綴られる日本各地の風景は、
まるでそこの空気が染みてくるようで心地良いです。

コミケを引け、友人達とささやかな打上げを済ませて帰途につき、
家のドアを開けるまでの間、
「良いお年を」と口にする機会が何度かありました。
駅の改札の駅員さんであったり、
区営駐輪場のシルバーサービスのおじさん、
そしてマンションのエレベーターに相乗りした人。
「あの刺青がある人に渡しといて」と
見送りの車の男性に言いながらエレベーターに乗ってきたのは、
髪を金色に染めた中年の女性でした。
ウチのマンションにはここ最近、暴力団関係の人が住んでいるのは
気づいておりましたが、間近で見るのは初めてのこと。
僕は、拳銃でも射ち込まれる事件にならない限り、
生活の場として住まい、家族と暮らす方には嫌悪感を特に持ちません。
ごく普通にお付き合いをします。
その女性と互いに「良いお年を」と挨拶を交わして
エレベーターを降りました。
考えてみると駅員さんを始め、普段は特に言葉を交わしません。
でもそんな見知らぬ同士が
お互いにその人が良き新年を迎えられるようにと
声を掛け合うときに
心の中で何かがちょこっとつながったような気持ちに満たされます。
それが暴力団の関係者であろうと隣人の幸せを願う
そんな魔法のような言葉と心を
僕らは持ち合わせているのだということを、
忘れてはいけないなと思いながら
年を越えました。

旧年中は皆様、大変お世話になりました。
漫画家に転身しての一年、かけていただいた言葉に支えられてここまでこれました。
またコミケの僕のブースまでお越しいただいた方々も
ありがとうございました。
どうぞ健やかで穏やかに新年のひとときをお過ごしください。
僕はラジオを聴きながら年賀状の図案を仕上げたので、
元旦は印刷と宛名書きかなと思っています。
この時間までおきていると、初日の出はまぁ無理かななので、
時間があったら南千住の素盞雄神社でも初詣に行くかもしれません。
そしてあとは多分、仕事してます。ははは。
でも今年は春に単行本もまた出ますし、一層の飛躍ができるよう頑張りますね。

そういえば2010年。
クラーク原作、ハイアムズ監督の「2010」の年ですよ。
ハイアムズの理性的な画面と
エドランドの美しい特撮(一部マスクが見えるけど)が大好きな映画ですが、
あの頃の未来に僕らはいるのですねぇ。

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