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2010年1月20日 (水)

「君に届け」は好いタイトルだと思う

原稿に追われつつ、少し日記を記す。
幾分、空気が温まっていたようなので、1時間ほど外出して、
銀行口座からこの数日の生活に必要な少額を引き出したり、
ホウレンソウとヨーグルトを和えたトルコ料理の前菜を作るべく
スーパーで食材を買った。
合間に雑誌に目を通そうとコンビニに立ち寄る。
駅前の書店まで出かけるほどの時間的余裕はないから。
そうしたら「君に届け」の10巻が置いてあった。
TVアニメは時折タイミングが合えば観ていたけれど、
何かとても心惹かれるものがあったので、その単行本を手にして立ち読み。
あっというまに読み終えてしまった。
でも、そのスピードとは裏腹にズシンと胸に来た。
人間にとって時間と想いは必ずしも比例しない。
呆けて過ごす時間は緩慢で長いものだけれど、振り返ると空虚で何もない。
思い巡らせ、瞳を凝らし、身体を動かして過ごす時間は、
あっという間だけれど、振り返ると多くの事が心に刻まれている。
その時間感覚と同じ印象が残る。
そして長く忘れていたけれど、
少女漫画の本質の一つはこの「想い」ひとつに身も心も費やして見つめる
この世界の構造と感覚だったということ。
漫画家になって、自分の感覚に埋没して作品を創ることに没頭し、
僕は僕のロジックに支配されていたから、
この感覚を随分忘れていた。
「君に届け」の既刊は未読なのだけれど
10巻は一つの区切りにして想いを届けるエピソードになろうが、
ここまでに10巻も費やすその世界と時間の認識の素晴らしさよ。
人間にはこの感覚があるのだと思い出させてくれた。
僕は少年漫画を殆ど読まずに育ってきた。
埼玉の寒村で育ったゆえ、
大学生になった時分でも3㎞四方に書店がないようなところだから、
一般的な漫画誌を手にとることがなかった。
当時の少年漫画は絵に繊細さに掛ける面もあったので、
その忌避感から、長く遠ざけてしまった。
なので、誰しもあげるような代表的な少年漫画すら読んでいない。
(例えばドラゴンボール、キン肉マン、こち亀、北斗の拳、うる星やつらなども当然未読)
逆に妹が定期購読していた少女漫画雑誌は月に数誌、読む機会があった。
僕の漫画の絵やお話がちょっと変わっているのは
たぶんそのせいだと思う。
「君に届け」の感覚はもともと僕が触れてきたものだった。
少女漫画には少女漫画独特の文法の限界みたいなものがある。
そこへの疑問から僕は自分の漫画の切り口を見出してきたのだけれど、
女性心理と記されるものが、心理とか定型というよりも
4次元的な空間の感覚に存在する個性が
他者の同じ空間と接する界面で生じるものだと知っているし、
その凄さもそれなりに理解しているつもりだ。

今月から始まったTVアニメの「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」をネット配信で観たのだけれど、
「けいおん!」と同じような臭いがどうも気になる。
絵も登場人物も少女漫画のそれのように見えるのに、
男の体臭がするのだ。
「けいおん!」はドラマの脆弱さ、音楽から開かれるものや体感など何もないが、
逆に少女漫画的な時間の使い方があって。その方向はユニークだとは思う。
でもキャラはみな男の妄想か男の自己投影だ。
言い方を凄く悪く例えると、エロ漫画やAVの女優の演技と同じ。
「君に届け」にあるような心象空間感覚を理解しないまま、
男性視聴者の求める型と人物設計に支配された
女の皮を着た雄犬の群れのようなキャラクターと戯言の反復がされる。
そして少女漫画の空間性を是認しきれないところから始まる
時間と骨子を与えられたドラマツルギー。
この型に関しては否定的なのだけれど
ドラマツルギーは致し方なしとは思う。
でも僕の鼻にはつき続けるだろうし、
物語自体もこの男臭とドラマゆえに型として進み、
心の解放を見ないのではと思ったりする。

「虚数霊」のネームにOKが出て、
まがりなりにも担当編集からは
お褒めの言葉をいただく内容に仕上がってはいるけれど、
「君に届け」を読んじゃうと
ああ、もう下書き入っちゃってるけど、もうちょっとあそこは工夫できたな。
でもそうしたらもう1話分は必要だったな。
それにしても「君に届け」ってタイトル、
まさしく漫画とか物書きの心だよなとか、
そんなことにぐるぐる思い巡らせてしまう。

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