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2010年3月 2日 (火)

雑味が欲しい

あさりよしとおさんの家を訪ねたときのこと。
コレクションされているオルゴールを聴きながら、
床に落ちていた同人誌を拾って眺めていた。
誰の本かは判らないけれど、
小奇麗でカワイイ絵が並んだ頁を繰りながら思ったことを口にしてみる。
「これ、コミスタ(ComicStudio)の線ですね」
Gペンなどのいわゆる「つけペン」を使った経験なしに
このソフトウェアで漫画を描くことに触れた人は、
押しなべて同じ線を描く。
淀みなくキレイに抜けていく硬質で鋭利な線。
ペンで描けばどうしても着いてまわる
インクのストロークの息つく所や、
不用意なアクシデントに歪む曲線、
かすれやにじみ、
白地とインクの黒の境界に存在するフラクタルで曖昧な灰色の部分、
そして墨線で描くという覚悟。
そうしたものが、ごっそりと抜け落ちた線が連なる。
それらは確かにあってもなくても良いものだけれど、
「全部が無い」姿は一様に気持ちが悪い。
あさりさんはそう言う僕に
「他人と同じ線を引くということが、どれだけ自分の価値を失わせているのか、
気づかないコイツラは愚か者だ」
と道破した。
コミスタは便利なソフトだとは聞いている。
実際、カスタマイズして素晴らしい仕事をしている友人もいる。
でも自分の線のイメージを持たない人が使うならば、
絵のボトムは容易に上げられようとも、
絵描きとして大事な資質を失うことになりかねない諸刃の剣だ。
資質とは技術だけではない、
描くことから養われるアイデンティティと魂の問題だ。
お遊びの同人誌ならばまだよかろう。
でも職業人であるなら、致命的な欠落になる。
そしてそういう作家が増えているのもまた事実。
さらにはその気持ちの悪い線を善しとする読者も。
漫画家を支えようとして作ったソフトかもしれないが、
均質化と平準化の果てには種の絶滅が待っているのは必定。
愚かしく危険な臭いがする

「コミックフラッパー」誌に連載を持って、もうすぐ1年になろうとしている。
仕事の環境も、編集者との相性も良く、
誠実さと安心に満ちて仕事ができているのは
幻冬舎など過去の出版社とのすさんだ関係を振り返ると、
本当に恵まれていてありがたい。嬉しい。
かつての富士見書房「コミックドラゴン」の頃の愉しさに通じるものがある。
そうした中で、唯一気になってならないのは
雑誌の印刷の仕上がりだ。
紙が悪いわけではない。刷り上りも綺麗だと思う。
だけどどうしても自分の描いた線とイメージが違う。違いすぎる。
もうなんというか、まるでコミスタの線なのだ。
ふくよかさも柔らかさもなく、温かみを感じない、
そして濁りというか雑味がない。
自分としては絶対に避けたい気持ちの悪い線。
最近では、そのギャップに耐えられず、自分の頁は正視できない。
見る度に泥のように落ち込む。
どうしてこんな線になるのかを考え続けている。
製版の問題なのか、
紙と印刷の相性なのか、
それともフラッパー誌から始めた
僕のフィニッシュのデジタル化において、
ペン画をスキャンしニ値化する過程で落ちる情報の問題なのか、
なかなか答えが見つからない。
連載を持つ他の漫画家さんにも印象を尋ねてみる必要もあろう。
答えのないまま、
試行錯誤も繰り返している。
不思議に思われる人もいるだろうが、
僕はあえて線を汚く描いている。
淀みや不安定さ、即興性や汚れを加えて
絵に引っかかりを与えようと思うから。
先日脱稿した原稿は、消しゴムをあまりかけていない。
キレイすぎない、ザラリとしたものが絵に残るように。
そうした線の向こうに託した想いがあることを伝えたいから。

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