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2010年5月 5日 (水)

物語の外へ[2]吉田康一郎都議への訪問より

4日はCOMITIAだった。
ハプニングで販売が午後になったものの、
笹井一個さんのスペースでコピー誌は500円で販売され、めでたく完売した。
僕も吉田議員に送る見本の分などを購入。
しばし笹井さんともこの件について話をする。
以前からちらりちらりと顔を出してはいたけれど、
僕にとっては羨望のイラストレーター様で、
一ファンに過ぎない自分には、
ちょっと不思議な嬉しい時間をプレゼントされた気分。(寄稿の役得?)
ともあれ、意見の交換もできたし、この寄稿は収穫の多い機会だったと思う。
この条例改正案に対して、
極端な色を主張せず、考えを巡らせるきっかけになったらという趣旨の本冊子は、
6月までの間にチャンスをみて再刊もしていくそうで、
見つけたら手にとって貰えればと願う。
ちなみに執筆者は、僕以外に
笹井一個+中村公彦+大野修一+keijohumei+さいとうよしこ+まぐ太+トビケ+湯木
の各氏。
皆さん僕よりは洒脱なアプローチで羨ましい。
同イベントでは、徳間書店よりこの改正案についての書籍が緊急出版される旨、告知されていた。
http://www.sarnin.net/tokuma/index.htm
友人知人もアンケートへ回答を寄せている様子。
ぜひ読んで見たいと思う。

[追記]
4日付けの報道で、都議会は漫画家の参考人招致を実施するそうな。
事態は目まぐるしい。
[追記2]5/6
上記の報道は産経配信なのだけれど、どうも確度が曖昧になってきた感じ。
会派内でも議論の話題に上がってきていない様子。うーん。

そして僕のレポートの続き。

■今、何をしようとしているのか■

6月の定例都議会に向け、
民主党としては修正案の準備に入っているところだ。
(9月まで審議を延長との意見もある様子)
民主の中でも原案のままを支持する人、つまり規制をすべしという議員もいる。
また、党議拘束をかけても、議員数で少数党の賛同が得られなければ、
自公に対抗が出来ないパワーバランスにおかれた事情の中で、
規制賛成の人を納得させられる修正案を練ることが肝要と吉田氏は強調する。
自公の議員にも今回の法改正に賛同しきれない人もいる。
しかし党の性格からヒエラルキーが強く、反対を表明はできない。
でもだからこそ修正案の着地点を見出すときに、
そうした議員の存在は大きな力になる。
ゆえに吉田都議の働きかけは党内にとどまるわけではない。

4月5日に民主党は「青少年健全育成条例プロジェクトチーム」を発足させた。
20数名の都議会議員が参加する形でスタートし、
この場で修正案を検討していくことになる。
先の都議会では
都側から「漫画やアニメと青少年の性的被害の因果関係は認められない」
という答弁を引き出したものの、
警察のことだからそれを改めて覆すべく、
御用学者・御用弁護士を動員して、何らかの新しいデータを提出してくるだろう。
それらへ抗する理論武装をするために、
チームでは識者の協力も得ながら、
定量的なデータの収集と精査・検証を加えていく予定でもあると言う。

吉田氏自身の修正案のイメージを尋ねると、
改正案の文言をいくつか削るだけでもかなり有効と答えながらも、
自らの腹案を披露してくれた。
この問題は喫煙者嫌煙者の権利の話題に似ているという。
愛煙家に所持の禁止など求めるのはナンセンス。
誰でも買えてしまってはいけないし、どこでも吸って良いというわけでもない。
喫煙習慣やマナー、健康被害についての教育指導も必要。
もちろん国が管理をし、税金がからんだタバコとの違いはあるけれど、
吸う人と吸わない人がいて社会が構成されている現実に、
どう折り合いをつけるのか、
それは大きな示唆を与えてくれるというもの。
今の改正案では子供の目に触れなくするのみならず、
大人も触れられなく余地がある。
それは住み分けではなく排除だ。
漫画家などの作り手が今より表現する手段と、
表現する場を不当に削られることがないようにしたいと議員が言うと、
同行した漫画家の環 望氏が賛同する。
「90年代の有害コミック問題の騒動以来、
漫画家に求められてきた表現の規制は大きな影響を及ぼしており、
描写や演出は限界にまで削ぎ落とされている。
改正案がまま通過すれば、
警戒から萎縮した出版社から更なる切削を要求され、
成人漫画は成立できなくなるだろう」と言うものだった。
吉田都議は、
改正案の修正という体裁とはベクトルが異なってしまう可能性があるとしながらも、
民間におけるレイティング、ゾーニングに活路を見出そうとしている。
国や自治体などの行政が担うことは、
ミニマムな基準を示すだけにとどめるというもの。
基準とは例えば青少年の定義。諸外国でもその年齢や定義はバラバラだ。
成人年齢や結婚可能な年齢も異なる。
発育と教育の観点からも時代的変化があるからだ。
吉田議員としては、第二次性徴や学制を鑑みて13歳に線引きをイメージしている。
誰も分別のない年齢の子供にエログロを与えたいと思っているわけではない。
排除の発想に立つのではなく、届けるべきところへ物を届ける。
そういう場を作っていくだけだ。
場作りには、民間の相場観が欠かせない。
民間は読者に媒体を通じて触れながら相手を常に探り、バランスをとれるが、
行政にはそれが出来ないからだ。
そして得たバランス感覚をもって、レイティング、ゾーニングも
民間に自主的にやってもらうことを考えている。
業界共通の表示を持って「○○歳以上推奨」を謳う。
そもそも雑誌書籍などは対象読者を想定して企画されているから、労が少ないし、
書店など売る方も、買う読者や親も確認しやすく、
かつそこに判断と責任が生まれる。
「ウチは早めに触れさせたい」「ウチは禁欲的に」という家庭の方針があるのならば、
それを目視で実践できるのだから。

同改正案にはネットへのアクセス規制も抱き合わされている。
議員はこれも自治体が規制する内容ゆえ、同様に問題視している。
アクセスの制限はあってよしと思えども、
やはり民間のバランス感覚で臨むべきというスタンスだ。
その吉田氏も、ネットカフェの利用時における本人確認は、
受け入れていかざるを得ず、
同じ都議会で審議されていた「インターネット端末利用営業の規制に関する条例」には
民主党として同意した。
ただ、今年7月1日から施行されるこの条例の効果をみて、
健全育成のための規制も程度や段階を考えていくべきではと思っているそうだ
(つまりは6月での決着を図らずに議論を深めるということか)。
これは駆け引きなのかなと僕は思う。
ネットカフェの利用者規制には、この健全育成条例の改正と同じ臭いがするから。
犯罪の温床になりつつあるといわれるけれど、
犯罪数の統計的には規制するに値するものを示していないようだし、
業者の自主的行動やネカフェ難民等への福祉救済の施策など、
対応する両輪があってこその規制だと思う。
僕自身もそうだけれど、
ネカフェという場所への理解不足からくる、
「よく分からない物」への不安なイメージのため、
安易にスルーしてしまった気がする。
規制をしようという人々の思惑は解放区をなくすことだ。
この事案もネットへの包囲を狭めている表れだったのに。
吉田議員はどんなイメージをもって同意したのか、聞きそびれてしまった。
こちらへの猶予を引き出すための、
人身御供という判断になってしまったのであれば、
それはそれで難しく厳しい選択が行われたのを、
僕らは意識しておかなければならない。
つまりもう、身体の一部は持っていかれたということだ。

[まだつづく]

「インターネット端末利用営業の規制に関する条例」
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/02/20k2h101.htm
「インターネットカフェ(漫画喫茶)規制に反対する共同声明」
http://d.hatena.ne.jp/yomawari-mitaka/20100215

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