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2010年5月

2010年5月 6日 (木)

物語の外へ[3]吉田康一郎都議への訪問より

前回は失念してしまったけれど、
笹井さんの冊子の名前は
『東京都の青少年の健全な育成に関する条例の改正案についてのコピー本☆条例付き☆』
である。
オマケに改正案の条例全文が網羅されている。
増刷分は「文学フリマ」にて、どこかに委託されるのは決まりそうだ。

4日からこっち、改正案においては
「漫画家を都議会に参考人招致」なる記事が産経から配信されたけど、
それもどうも確度が怪しくなってきている。
同じ漫画家といっても僕には関係がない話だし、
そんなものかいと思って日記の追記で触れてみた。
けれどその後、招致は9月になっただとか曖昧になったり、
民主の会派で議論の俎上にものってないという話も聞こえる。
編集者時代に、国会議員番をしていた男が、
デマともホントともつかない情報を仕入れるたびに、
議員秘書へ吹聴してまわり、失笑をかっていたのを思い出して、
ちょっと自分を恥じてしまった。
政治の現場はこういうことばかりで怖い。
そして本当に大切な情報や動きは、隠していなくても表に出なかったりする。
気をつけないと。

[追記]この文は事実誤認がないよう、吉田議員本人より校閲をいただいてます。

で、レポートの続き、最終回。

■僕らは何をすればいいのだろう■

僕はYoutubeで、
石原都知事がこの改正案の提案説明をする映像を見ていて思ったことがある。
http://www.youtube.com/watch?v=seH8av-Gxcw
官僚の用意した文面の棒読みで、興味のなさそうな態度から、
知事は法案を十分に理解してはいないであろうということだ。
この改正案の話題が沸騰していた折、
一部の人は知事の著作「太陽の季節」を有害図書に指定してやれと、
皮肉った罵倒をしていたけれど、
僕はまったく別のことを考えていた。
もしこの改正案が通過してしまったら、最後の手段の一つとして、
都知事に拒否権たる再議権を行使してもらうことだ。
友人の作家・皆河有伽から教えてもらったのだけれど、
「太陽の季節」の映画化(1956年)の際に、
その過激な内容が性的に露悪で暴力的であり、青少年に悪影響を及ぼすと、
映倫の法制化の動きにまでなった。
そのとき、東宝の取締役だった森岩雄(ゴジラの企画を通した人)は、
民間の自主規制が謙虚に守られているにもかかわらず、映倫立法化の強制は
映画界のみならず日本民主化の戦いであると語った。
それがあって今の自分がある恩義と、作家としてその志を都知事に思い出してもらえれば、
自らの提案の体裁なれど、審議不十分として拒否権発動も可能だと思ったからだ。
まぁその実現性は「奇跡」のような可能性、実現性ではあるのだけれど、
その知事の作家としての運命の皮肉のようなことを目の前の吉田議員に話したら、
「是非、都知事にもアクションを起して下さい」と返されて、少し驚いた。
相手の活動を見極めてという注釈つきではあったけれど、
自公はもちろんとした他党の議員や知事にも、
罵倒や非難ではなく、大切なものへの想いを伝えていかないとならないと改めて諭された。
そこには先の都議会で、多くの人から寄せられた手紙やE-mailが、
古参の議員を動かした姿を見ているゆえの確信が感じられる。
吉田氏自身、自分の活動に市民の反応があると素直に嬉しいと言う。
お礼であれば達成感がみなぎる。活動を支え、モチベーションを維持してくれる。
活動への評価が個人献金に結びついてくれたら、地方議員の苦しい財布も救われると、
事務所の風景を見まわして苦笑する。
都の議員歳費が約100万として、そこから事務所を借り、
秘書を1人雇い(もちろん自分の生活費も)、
事務機や配布印刷物や通信費などの活動の諸経費を捻出していけば、
厳しいフトコロ事情になることが僕ら社会人なら容易に計算できるだろう。
議員活動は住民に対してその歳費でまかなうボランタリィなものではあるけれど、
企業や団体、役所と癒着などせずに、熱心に活動すればするほどキツイ。
寄付や献金は、活動のみならずその意思への大きな支えになる。
吉田議員の苦笑には、そんな本音が垣間見えた。

僕は今の主戦場は議会であると考えている。
あえて物語り風に例えるなら、
闘うのはそれぞれ持つ武器も異なれば頭数も異なる会派(党)という部隊に所属する議員だ。
僕らは後衛か補給部隊、または故郷の家族でしかない。
であれば僕らは何をするべきなのか。
気持ちを多くの手紙にしたためたり、情報や理論武装をつめた弾を送ったりと、
議員が闘いやすい条件を作ってあげることしかない。
議場の外から援護射撃できる人や組織も限られている。
その限られた条件をどう支えるかだ。
議員もその考えに肯いてくれた。
そして改正案を学ぶこと。
法学部卒の僕から見ても、およそ現代に作られたとは思えない醜怪で理解しづらい文面。
都や規制派は「誤解がある」という戦法をとって議員や識者の懐柔を図り始めている。
某漫画の表現は大丈夫などと記した珍妙な見解や、解説の資料の配布もしている。
そこを突くには学びしかない。
さらには、規制の反対を趣旨にした話し合いの場を作っていかなければならない。
これは一般の個人では限界がある。
漫画家協会(政治活動はしないと明言している)でも、
全国同人誌即売会連絡会でも雑誌協会でも良い。
http://sokubaikairenrakukai.com/
http://www.j-magazine.or.jp/
組織が音頭をとったり、ノリシロとなって手を取り合い、
一定の権威を有して理論と戦略をとりまとめていって欲しい。
それでないと推進派の組織活動と同じ重さで対抗できない。
僕らはどこかの組織に音頭をとるよう働きかけることしかないだろう。
そして出来た場所に意見を持ち寄るのだ。
どこかの陳腐なゲームのストーリーのように、陰謀や黒幕を設定し、
「表現の自由」という自らの正当をもってして全面対決を煽っていく先には、
荒んだ不毛な結末しかない。
黒幕も、規制賛成派の議員ですらも対象の敵などではないからだ。
不謹慎な性描写や暴力は子供に好ましくないと至極簡単にイメージを抱いてしまう、
市井のありふれた多くの人達、その心の中にある公約数、想いの総体が相手なのだ。
それをはたして「敵」と呼べるのか。
吉田議員は経験的にそれに気づいている。
戦場と例えたが、内なるものとの対話に近い。
だから正論によるぶつかり合いではなく、多くの相手を納得させられる修正にこだわる。
着地点を見出そうとするのだ。
それが人の社会であり、現実だから。
冒頭述べたように、すでに身体の一部は持っていかれることは覚悟した戦いになろう。
どこの部位になるのか、それによっては批判も生まれようけれど、
内ゲバのように中で争えば、その部位は増えていくばかりだ。
そして「どろろ」のようには取り返すことなどできないのを、忘れてはだめだ。
かかる不安を解決するため、
物語が好きな僕らは、自ら創った物語の外へでていかなきゃならない。

漫画やアニメには確かに非倫理的で過激な描写が一部に存在するけれど、
そこには語るべき心があると、漫画家として僕は認識と自負をしている。
唐突なネットや雑誌の裸とか、AVの煽情的に羅列する画像とは異なるのだ。
漫画に描かれる性が仮に悲劇や暴力を伴っても、
そこに悲しみや苦しみがあると理解してもらえるし、
幸せなものならそこに価値を見出してもらえる。
実際の被害者など存在しない創作物であるからこそ、
漫画のみならず文学も、その心の追体験をもってして教訓性を長く使命の一つとしてきた。
また作品単体の清濁に左右されるのではなく、
多くの作品に触れることの混沌とその相対化こそ自立した情操を育む。
そして無秩序で多様な情報が、否が応でもある現代だからこそ、
そこに方向性を与えるのはドラマであり心だ。
その機会を奪うことは、教育や育成という観点からは時代にそぐわないのではないか。
僕は漫画の表現においては放任主義に近いのかもしれない。
その意味では議員の運動とは完全には一致しない。
(議員の他の政治信条とは相対してしまうものもある)
でも選別された類型の物語に閉じ込めることこそ、人間性を貧困にする。
それを回避し、機会を奪わないために最善を尽くすことでは、志を重ねられると思う。
議員事務所を退出するとき、
書棚にUCCコーヒーのエヴァ缶、アスカとレイが飾ってあるのに気づいた。
そう、僕らは同じ大切なものを守ろうとしているのだから。

ここでとりあえず筆を置くことになる。
個人商店の漫画家としては、仕事の進行に支障をきたしてしまうので。
多くの漫画家やアニメ関係者が規制反対の意思を持ちながらも
発言や行動ができないでいるのは、
厳しい仕事に追われていたり、業界独特の事情がからんでいたりするためだと知っている。
僕はこの2ヶ月、たまたま単行本作業などの関係で
連載をお休みしていたから、自分にできる範囲で動いて考えて、発言をしてきたつもり。
(まぁその間、無収入なのですが)
それはおこがましいと指差されるかもしれないけれど、
声をあげることが難しい状況の仲間の代わりに
今、自分ができるのなら、やろうという気持ちがあった。
それが叶ったかはわからないけれど、
編集者や団体交渉、企業法務や経営、そして漫画家など
どうにも珍妙な経歴で得てきたものを動員して、
この問題について冷静な目線で発信に努めてきたつもりだ。
また今回の議員への訪問で、僕は霧中から抜け、遠くが見渡せた気がした。
だからもう変な力みも、おかしなブレもないところに立てたつもり。
つもり…ばかりの自己満足かもしれないけれど、
それらが何か少しでも誰かに伝わり、役にたてたのなら、嬉しい。
改正案周辺の動きはまさにナマモノで、あちらこちらできな臭い。
東京発で全国に飛び火しているこの動きを、
やはり決着の指針になるのも東京だ。
吉田議員の言っていたように、納得性の高い修正案が
騒動のすべてを左右するだろう。
筆を置くとは言っても、注視はしていきたいし、
こうしてまとまらずとも、発信はしていくつもり。
何かあれば身体をつかって行動もしよう。
その意味ではきっと
[まだまだつづく]

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2010年5月 5日 (水)

物語の外へ[2]吉田康一郎都議への訪問より

4日はCOMITIAだった。
ハプニングで販売が午後になったものの、
笹井一個さんのスペースでコピー誌は500円で販売され、めでたく完売した。
僕も吉田議員に送る見本の分などを購入。
しばし笹井さんともこの件について話をする。
以前からちらりちらりと顔を出してはいたけれど、
僕にとっては羨望のイラストレーター様で、
一ファンに過ぎない自分には、
ちょっと不思議な嬉しい時間をプレゼントされた気分。(寄稿の役得?)
ともあれ、意見の交換もできたし、この寄稿は収穫の多い機会だったと思う。
この条例改正案に対して、
極端な色を主張せず、考えを巡らせるきっかけになったらという趣旨の本冊子は、
6月までの間にチャンスをみて再刊もしていくそうで、
見つけたら手にとって貰えればと願う。
ちなみに執筆者は、僕以外に
笹井一個+中村公彦+大野修一+keijohumei+さいとうよしこ+まぐ太+トビケ+湯木
の各氏。
皆さん僕よりは洒脱なアプローチで羨ましい。
同イベントでは、徳間書店よりこの改正案についての書籍が緊急出版される旨、告知されていた。
http://www.sarnin.net/tokuma/index.htm
友人知人もアンケートへ回答を寄せている様子。
ぜひ読んで見たいと思う。

[追記]
4日付けの報道で、都議会は漫画家の参考人招致を実施するそうな。
事態は目まぐるしい。
[追記2]5/6
上記の報道は産経配信なのだけれど、どうも確度が曖昧になってきた感じ。
会派内でも議論の話題に上がってきていない様子。うーん。

そして僕のレポートの続き。

■今、何をしようとしているのか■

6月の定例都議会に向け、
民主党としては修正案の準備に入っているところだ。
(9月まで審議を延長との意見もある様子)
民主の中でも原案のままを支持する人、つまり規制をすべしという議員もいる。
また、党議拘束をかけても、議員数で少数党の賛同が得られなければ、
自公に対抗が出来ないパワーバランスにおかれた事情の中で、
規制賛成の人を納得させられる修正案を練ることが肝要と吉田氏は強調する。
自公の議員にも今回の法改正に賛同しきれない人もいる。
しかし党の性格からヒエラルキーが強く、反対を表明はできない。
でもだからこそ修正案の着地点を見出すときに、
そうした議員の存在は大きな力になる。
ゆえに吉田都議の働きかけは党内にとどまるわけではない。

4月5日に民主党は「青少年健全育成条例プロジェクトチーム」を発足させた。
20数名の都議会議員が参加する形でスタートし、
この場で修正案を検討していくことになる。
先の都議会では
都側から「漫画やアニメと青少年の性的被害の因果関係は認められない」
という答弁を引き出したものの、
警察のことだからそれを改めて覆すべく、
御用学者・御用弁護士を動員して、何らかの新しいデータを提出してくるだろう。
それらへ抗する理論武装をするために、
チームでは識者の協力も得ながら、
定量的なデータの収集と精査・検証を加えていく予定でもあると言う。

吉田氏自身の修正案のイメージを尋ねると、
改正案の文言をいくつか削るだけでもかなり有効と答えながらも、
自らの腹案を披露してくれた。
この問題は喫煙者嫌煙者の権利の話題に似ているという。
愛煙家に所持の禁止など求めるのはナンセンス。
誰でも買えてしまってはいけないし、どこでも吸って良いというわけでもない。
喫煙習慣やマナー、健康被害についての教育指導も必要。
もちろん国が管理をし、税金がからんだタバコとの違いはあるけれど、
吸う人と吸わない人がいて社会が構成されている現実に、
どう折り合いをつけるのか、
それは大きな示唆を与えてくれるというもの。
今の改正案では子供の目に触れなくするのみならず、
大人も触れられなく余地がある。
それは住み分けではなく排除だ。
漫画家などの作り手が今より表現する手段と、
表現する場を不当に削られることがないようにしたいと議員が言うと、
同行した漫画家の環 望氏が賛同する。
「90年代の有害コミック問題の騒動以来、
漫画家に求められてきた表現の規制は大きな影響を及ぼしており、
描写や演出は限界にまで削ぎ落とされている。
改正案がまま通過すれば、
警戒から萎縮した出版社から更なる切削を要求され、
成人漫画は成立できなくなるだろう」と言うものだった。
吉田都議は、
改正案の修正という体裁とはベクトルが異なってしまう可能性があるとしながらも、
民間におけるレイティング、ゾーニングに活路を見出そうとしている。
国や自治体などの行政が担うことは、
ミニマムな基準を示すだけにとどめるというもの。
基準とは例えば青少年の定義。諸外国でもその年齢や定義はバラバラだ。
成人年齢や結婚可能な年齢も異なる。
発育と教育の観点からも時代的変化があるからだ。
吉田議員としては、第二次性徴や学制を鑑みて13歳に線引きをイメージしている。
誰も分別のない年齢の子供にエログロを与えたいと思っているわけではない。
排除の発想に立つのではなく、届けるべきところへ物を届ける。
そういう場を作っていくだけだ。
場作りには、民間の相場観が欠かせない。
民間は読者に媒体を通じて触れながら相手を常に探り、バランスをとれるが、
行政にはそれが出来ないからだ。
そして得たバランス感覚をもって、レイティング、ゾーニングも
民間に自主的にやってもらうことを考えている。
業界共通の表示を持って「○○歳以上推奨」を謳う。
そもそも雑誌書籍などは対象読者を想定して企画されているから、労が少ないし、
書店など売る方も、買う読者や親も確認しやすく、
かつそこに判断と責任が生まれる。
「ウチは早めに触れさせたい」「ウチは禁欲的に」という家庭の方針があるのならば、
それを目視で実践できるのだから。

同改正案にはネットへのアクセス規制も抱き合わされている。
議員はこれも自治体が規制する内容ゆえ、同様に問題視している。
アクセスの制限はあってよしと思えども、
やはり民間のバランス感覚で臨むべきというスタンスだ。
その吉田氏も、ネットカフェの利用時における本人確認は、
受け入れていかざるを得ず、
同じ都議会で審議されていた「インターネット端末利用営業の規制に関する条例」には
民主党として同意した。
ただ、今年7月1日から施行されるこの条例の効果をみて、
健全育成のための規制も程度や段階を考えていくべきではと思っているそうだ
(つまりは6月での決着を図らずに議論を深めるということか)。
これは駆け引きなのかなと僕は思う。
ネットカフェの利用者規制には、この健全育成条例の改正と同じ臭いがするから。
犯罪の温床になりつつあるといわれるけれど、
犯罪数の統計的には規制するに値するものを示していないようだし、
業者の自主的行動やネカフェ難民等への福祉救済の施策など、
対応する両輪があってこその規制だと思う。
僕自身もそうだけれど、
ネカフェという場所への理解不足からくる、
「よく分からない物」への不安なイメージのため、
安易にスルーしてしまった気がする。
規制をしようという人々の思惑は解放区をなくすことだ。
この事案もネットへの包囲を狭めている表れだったのに。
吉田議員はどんなイメージをもって同意したのか、聞きそびれてしまった。
こちらへの猶予を引き出すための、
人身御供という判断になってしまったのであれば、
それはそれで難しく厳しい選択が行われたのを、
僕らは意識しておかなければならない。
つまりもう、身体の一部は持っていかれたということだ。

[まだつづく]

「インターネット端末利用営業の規制に関する条例」
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/02/20k2h101.htm
「インターネットカフェ(漫画喫茶)規制に反対する共同声明」
http://d.hatena.ne.jp/yomawari-mitaka/20100215

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2010年5月 3日 (月)

物語の外へ[1]吉田康一郎都議への訪問より

先日、「東京都青少年健全育成条例」改正案のことで友人二人と訪問した
東京都議・吉田康一郎氏の事務所での話のレポート。
明日のコミティアにて
http://www.comitia.co.jp/
笹井一個さんのスペース(O09b ガソリン)での冊子に収められる予定の文章を再構成し、
数度に分けて日記にあげていこうと思う。
以前に僕が書いた文章をヒナ型に用いた部分もあるので
既読感を感じるところもあろうけれど、そこはお許しを。

■まえおき■

継続審議とは、もうこれまでどおりではいられないということの意味。
それを知ったとき、
「どろろ」で百鬼丸が妖怪に身体の部位を奪われているように、
僕らは自分の何かを奪われたかたちで生きていくのだと思った。
そしてその量は放っておけば増えていく。
どこで歯止めをかけるのか、それを皆で考えて戦わないといけないのに、
こちら側の足並みはどうにもおかしい。
全面対決を唱えて火に油を注ぎ続ける船頭。
内輪で叩き合う荒廃。
ネット上の噂や情報に一喜一憂しているばかりの内弁慶。
および腰の業界団体や企業、著名人。
中でも異様に感じたのは、
不都合で思い通りにならない環境へ、自分の思い描けるストーリーをあてがって、
解釈をして、その物語に準じて視野狭窄をしたまま、
超個人的な距離感や範疇で発言や対処、行動をする。
そしてその妄想を共有できた人とだけ、慰め肯きあうだけの小さな共闘ができるという姿だ。
(例えば背景にいる警察出身官僚を黒幕だと叫び、個人の排撃が解決策だと唱える人とか)
仕事で長く交渉の現場やそのサポートをしてきた僕にとっては、
それは他人を動かし納得などさせることもできない
まったく価値のない行為にしか見えない。
6月の都議会が迫る中で
同行した友人の計らいで議員の訪問が叶い、
この焦りと虚しさに道を求めるがごとく、出かけていった。
この文章はそんな前置きを持った僕のレポートと感想のようなものだ。

Yoshida3

■そこで何がおきていたのか■

「非実在青少年」なる奇妙な単語をもって取り沙汰された、
3月の東京都議会における一連の騒動。その動きが何だったのか。
ネット上に具体的に露出した情報は、
3月19日の「Gigazin」に、時系列で元ソースを照らした網羅をされていたので、
そちらで参照してもよいと思う。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100319_hijituzai_seisyounen/
でもこれ以外に、
背景となる状況や議会内部の動き、いくつかの噂の域を出ないエピソードなどがある。
僕なりの理解には、そこを確認していかなければ足りないと考えていた。

吉田都議の事務所は、中野駅から徒歩10分少々の距離にある集合住宅の一室にあった。
お世辞にも広くはない1Lの部屋の中に、うずたかく積まれた資料の山や、
書架に収まった多くのファイルの中で、
議員は訪問した僕ら三人を迎えてくれた。
42歳。若々しい風貌の民主党二期目の若手だ。
吉田氏は滑り出すようにその端緒を語り始める。
平成22年第1回東京都議会定例会に提案された件の改正案は、
与党自公が支配的だった頃と変わりなく、
大きな話題も集めずに議会で通過される見込みで動いていた。
行政(都)側が立案したものへ異議を唱えることに得はないと、
無関心を決め込む古参の議員は民主党にも少なくない。
多くの審議議案中の一つにすぎないそれに、疑問を差し挟んだのは、
先の都議選で初当選した民主党一年生議員たちと、
改正案に影響を及ぼした答申書の段階から疑義を訴えていた吉田都議だった。
しかし一年生は議会の中や外で発信をしていくノウハウと戦略に乏しい。
二期目の吉田議員がそこに「戦い方」の心得を伝えていく形で、
異議は中に外に動きを始める。
数年前から国会での児童ポルノ法案へ抗する働きかけをしてきた
コンテンツ文化研究会という民間団体がある。
http://icc-japan.blogspot.com/
接触してきたここへも同調を依頼し、
議会の外からの援護射撃と運動の広範な拡大を求めていく。
その中で議員は、
研究会が議会や媒体に向けて作成する資料の発想やスタイルまでもアドバイスをする。
自分の言葉で手紙やFAX、E-mailなどを都議会議員のもとへという方法もその一つだったそうだ。
実際、吉田議員の手元にも手紙とFAXだけでぶ厚いファイル1冊、
E-mailは3冊にもなる量が届いた。
古参も含めて多くの都議のもとへもそれは殺到し、
驚きと共に「騒ぎになっている」という認識へ改まっていく。

人伝えに聞いた話が僕にはあった。
それは今回の改正案を含めた児童ポルノ規制に関する動きの背景にある推進組織のことだ。
都の改正案には前述したように、影響を及ぼした答申書が存在する。
都の「青少年問題協議会」によるものだ。
吉田都議はこの答申書審議の時点より協議会委員へ内容の是正を求めてきたが受け入れられず、
また答申へ諸団体から寄せられた多くのパブリックコメント・意見書も、協議会は無視をし、
それらを非公開のまま封殺の姿勢でいる。
都が選出するはずの委員に、なぜこのような偏向した姿勢ができあがるのか。
僕はその疑問とともに、後ろにあるものについて議員に問うた。
背景の一つは警察。
協議会の面子を指名する部署「青少年・治安対策本部」に、
警察庁出身の役人がいるのは知られた事実だ。
(その人物の来歴がいかなるものかは、今の時代、容易に調べられると思うが、それはこの文の本旨ではない)。
その役人が黒幕だと吹聴する人もいるのだけれど、
議員は個人の恣意ではなく、警察組織の意向が働いていると言う。
法的規制という御旗の下に、管理監督する権利を手に入れれば、
天下り先や集金システムのような、自らの利権を獲得する流れが新たに構築できるという、
彼らの思惑を指摘する。
もう一つはラジカルフェミニズム思想にたつ、特異なキリスト教系の団体の存在。
http://swiki.jp/w/dckil5d1c1a2e1dl5fza6q
ECPATやVAWW -NETなどが代表的。
http://www.ecpatstop.org/
http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/index.html
日本のアニメや漫画、ゲームの類、ネット上のサービスや情報は、
国際的にも児童ポルノが異常に氾濫した状態であるとの主観に立って、海外で非難を繰り返し、
それに感化された国内の下部組織や団体が、
マッチポンプ的に問題に火をつけておいて、
自ら消す行為でその権威と成果を鼓舞する態度をとっている。
アグネス=チャンが看板の国連組織を偽装する日本ユニセフ協会も、
その一つであるのはつとに有名だ。
http://yagi.tc/archives/2007/10/07/unicef_matome/
この二つの思惑の利害が一致したところに、
この規制の根があることを議員は語ってくれた。
国政での児童ポルノ法の働きかけを諦めて、健全育成という変名での地方自治体への展開、
特に影響力の強い東京へ矛先を切り替えたというわけではなく、
国の児ポ法と地方の動きは並行であり、止まったわけではないのだとも言われる。
つまり縦横にかつ狡猾に自らの主張を実現しようとしているのだ。

友人が、
出版社の一つが有害図書を審議する都の部署から、度重なる注意指導を受けながら無視して、
露悪的な描写を一般漫画誌で掲載し続けたことが、
今回の規制強化の発端になったという噂を確認する。
つまり自主規制を破って営利にひた走ったこちら側に非があり、
自ら招いた結果ではないのかというものだ。
都議はそのような会社が存在したことを認めつつ、
その例は口実を与えたことにはなるが、本質は別にもっと前から進行していたものだと語る。
(松文館事件がそれに該当する様子。でもこの事件は別の要素もあるし、雑誌ではなかったはず)

閑話休題。
民主党若手を中心に興った改正案への異議は、他の議員にも伝播するに到り、
都議会の中で火がついていく。
繰り返される質問に都側も慌てて「誤解がある」として火消しに走るものの、
スルーで可決されると高を括っていたがゆえに、答弁は一貫性を欠いて迷走を繰り返し、
いかに曖昧なイメージであるのかを露呈していく。
コンテンツ文化研究会の働きかけは、大御所漫画家による都民主党総務部会への請願、
都議会場での記者会見とシンポジウムに結実して、話題性をさらに広げていく。
吉田都議は奔走をしつつも、十中八九の率でこの法案は可決されてしまう覚悟をしていた。
しかし小さな灯りが点り、それが沢山集まって輝きを増していくような感覚に接し、
それが「継続審議」に漕ぎつけさせた姿に驚きと感動を禁じえなかったと、
言葉を詰まらせて目頭を押さえた。

[つづく]

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