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2010年7月 8日 (木)

宇宙ショーと告白

久々に映画の感想文。

「宇宙ショーにようこそ」
僕にしては珍しく試写会に当たったので、
半蔵門の東京FMホールにて観賞。
音楽ホールとして使用する会場なので音響は良いのかなと思っていたら、
フラットな床に会議用のイスが200ばかり並んでいる状態にビックリ!
しかも僕の前にはやたら座高が高い男性が座って、
しかもしかも上映中もイスにもたれて頭を低くしてくれるような配慮がぜんぜんなく、
お蔭さまで音響のことに気が回るどころか、
画面の中央下がずっと見えない状況で
左右に首を振ってなんとか観た感じ。参った。
僕のすぐ後ろの座席の人は途中で席を立って帰っちゃったのは
この前の男性のせいではないかと思うほど高くそびえておりましたよ。
なんだか普通の劇場でもそうだけど、
大勢で映画を観るときの配慮のない人が増えた気がする。
何年か前に、母親を映画に誘ったことがあったけど、
もう何十年も劇場で観る機会がなかったため、上映中のマナーが失われていて、
家でテレビを見る感覚で隣の僕に普段と同じ音量で話しかけたりと、ヒヤヒヤしたが、
レンタルDVDとかで映画を観る感覚で
劇場に来る人がけっこういるのかもしれない。

で、件の映画だけど、
そんなこともあって、もう1回はちゃんと観たいなとは思えど、
「もったいない」っていう印象の作品だった。
とても丁寧に作られていて、
作画の質も高いし、お話も誠実、総じて好印象なんだけれど、
2時間17分の尺がありながら、絵もお話も詰めこみ過ぎ。
「かみちゅ!」の神様世界の描写はこういうボリューム感で
表現したかったのだろうなという圧倒的物量が
なんだかずーっと画面に溢れている印象で、
とにかく構図にも動きにも「ヌキ」が感じられない。
どこを見ればいいのか迷ってしまったりと、オナカいっぱい。
登場人物たちの役回りには齟齬もムダもあまり感じなかったし、
心理をそれぞれ追っかけてはいるけれど、
このそれぞれゆえに、人物描写が散漫で弱くなってしまって
どっしりと気持ちが染みてくる感じが足りない。
もうちょっとナツキに寄ったドラマ仕立てにしたほうが、
しっくりと伝わるものが語れたように思う。
あと、終盤の子供達の活躍を支える設定が、
多分、一般の観客には理解しづらいかも。
恐らく重力と筋力がその鍵だと思うのだけど、
それを語る2回ほどのシーンがそれほど印象的じゃない。
「ドラえもん」の月でのエピソードで
1/6の重力ゆえに力持ちになったのび太たちの描写を
皆がこの映画と結び付けられれば大丈夫なんだけれど、
どうなのかな。
そしてこの画面の物量とお話の細かさが映画の理解を妨げ、印象を複雑化して、
すっきりしたカタルシスを得にくくしている。
「アバター」が絵的な物量に対して
脚本が極めてシンプルなプロットなのは、そういう意味で正解だったのだなと思う。
と、文句をつらねているけれど、
良い映画だと思う。ゆえに残念でもったいない。

「告白」
浦和での昼食会のあと、同席した松たか子ファンの友人を誘って
駅前のユナイテッドシネマで観賞。
1人で観ないで正解だったかな。

「リリィ・シュシュのすべて」を観たあとと同じような後味が残る。
中島監督は「嫌われ松子」や「パコ」で見せた
悲喜劇の文法を今回は用いることなく、
徹頭徹尾、怜悧な美しい画面で静かに狂気を描ききっていた。
子供は社会の未来だと思う。
しかし子供は社会の中心でも王様でもない。
その子供が自らを主役と気取り、その錯覚の狂気に満たされ、
モラトリアムを永続させていけば
社会は自死を迎える。
だから学校という閉鎖空間にありつづけたこの映画は
救いなんてないんだろうな。
僕は周囲に子供のいる環境に触れていないので、
今の学校がどのような状況にあるのか、その理解は想像でしかない。
でも描写された発狂した中学校は、
笑顔で「殺してやる」と目玉に鉛筆を衝きたてられ、避けなければ失明していた
そんな境遇を経験した僕の小学校時代の温度に酷似している。
僕が子供の頃から子供が大嫌いな理由を作った空間。
(僕の左目の下のほくろは刺さった鉛筆の芯の炭素が残ったものだ)
あの差別と暴力と集団主義と意味不明な無責任感に狂騒した感覚は
今や中学まで支配しているのかなと思うと、
なんとかその支配を解く強い必要を感じずにはいられない。
この映画は一縷の希望も楽観も許しはない。
でもだからこそ、映画を観た者に希望を与えると思う。
己を主役と錯覚し、しかし満足するほどの全能感を得られずに苛立ちを募らせる
狂った子供達に、
復讐という形で大人が全身全霊でそれを否定し、
己が小ささ惨めさ弱さ、そして無力無能を知らしめる。
自分が世の中において絶対的に脇役である。
それを意識したときから人は大人になる。
その機会が不足した社会であるからこそ、この映画は価値がある。
社会に子供への回答という希望を灯すのだ。
松たか子が演じる教師が最後に口にするセリフは
まさにここからが大人なのだと諭すように甘美だった。
R-15になんて指定せず、子供も大人もどんどん観て欲しい。

ちなみに昨今、「子供」を「子ども」と表記する風潮があるが、
だからこそ僕はその逆の思想で
編集者時代からずっと「子供」と書いてきている。

そういえば、劇場で「借りぐらしのアリエッティ」の予告編(第2弾?)を観た。
主役を演じる志田未来は普段の演技を見ると滑舌が悪い印象だったのだけど、
思いの外、味わいのある声質と芯のある演技で良かった。
垣間見える画面やセリフから、どこかにドロっとした重さがお話にも感じられ、
宮崎駿監督が脚本に入っているとは言え、
(またどこまで手を出してるか分からないけど)
これまでの宮崎ジブリ作品とは違う感触の心理描写に出会えそうな予感。
楽しみになった。

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