かがやくもの
今週末、COMITIAに参加します。
といっても僕は今回、自分のサークルでは申し込みをしていないので、
知り合いのスペースでお店番が仕事です。
ご厚意で夏コミで出した自分の新刊も少しおかせて貰います。
2010年8月29日11時から。
COMITIA93(有明ビッグサイト・西ホール)
「つ-14b:Black Rose-Niger Rosa」
春日ひろ さんのスペースです。
今回の出展はそこで春日さんの多分最後になる同人誌の発行を告げるフライヤーを撒きます。
「チラシ」も「flyer」も散らして撒くっていう人の動作が語源。
僕らのような作家と名乗る存在は、
媒体にのせて自分の想いを広い空に撒いているようなもの。
知らない誰かのもとに届いて、気持ちが伝わればいいなと願う。
あてなくそれを繰り返す本質はフライヤーと変わらない。
春日さんは創作系では知られた作家さんで、
以前は活発な活動をされていたのだけれど、
病気を患ってからは、一線を退かれた感じになり、
今も腎細胞癌の闘病を続けられている。
進行する病にあっても、彼女は前向きに治療へ取り組み
小康にあるときは病床でも絵を描き、
「最後の夏コミになるから」と
先日のイベントではコピー誌ながら新刊を出された。
なんという想いの強さなんだろう。
数ヶ月前から、有志で春日さんのこれまでの画稿の集大成を作ろうと動いてきた。
本人にも快諾いただき、
なおかつ作品の自選と新作画をもという意欲を見せられ、
限られているであろう残りの時間と体力の中で
僕らははらはらしつつも、
11月のCOMITIA94に発行の目処がたち、
今回のフライヤーの配布まで漕ぎつけた。
昨日はアニメーション監督の今 敏さんがお亡くなりになった話題が駆け巡っていた。
漫画家をされている頃から作品に親しんで、
アニメーションに関り始めてからの作品もほぼ観てきているので、
40代半ばの訃報は本当に驚かされた。
漫画作品は、長編はどこか映画的な構成がされており、短編は心理描写や仕掛けが小気味よい。
映画作品は集団作業なのに、不思議に漫画作品のように「作家性」が強く、
他の誰にもそう真似のできない色を持っていた。
あの作品の色にもう触れる機会はないのだと思うと、残念でならない。
僕は外で仕事をしていたので、
そのblogに掲載された「さようなら」と題された監督の一文を読むことができたのは、
夜になってからだったけど、
まだ若い人が病気という形で余命を意識し、その時間を生きたことの気持ちが綴られていて、
悲痛さと、恐らくはこの長い文章にも収まりきらないものが、
さぞ心を交錯したことだろうことが伺われた。
そこには新作『夢見る機械』についての無念も記されていたが、
組織やスタッフは必ずや立派に遺作として完成させてくれよう。
そして恐らく病床でぎりぎりまでできることを監督はしていたと思う。
それらは強い熱意とスピードをもって伝わり、
完成する作品へ輝きとなって示され、
観客の心のどこかへ監督の想いのなにがしか大切なものを伝えることだろう。
それは老人のように老いて細り消えていくのではなく
若いがゆえに燃焼される命の力なるがゆえの輝きではないか。
病床で今、懸命に闘いつつ絵を描く春日さんにもそれを感じる。
悲しいことだけど、許される時間が限られたからこそ、
覚悟とともにこの輝きを身に纏えるように思える。
その輝きのバトンを僕らはちゃんと読者に受け渡さないと。
秋に出す彼女の本の表紙デザインは村田蓮爾ちゃん、
編集構成は僕をはじめ数人で行うことになる。
春日さんの「想い」が届くかたちになるよう、
気持ちと創意を尽くしたいと思っている。
そしてできることなら彼女の手にも早く届けたい。
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