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2010年9月12日 (日)

なるほど!!あそびにいくヨ!

連載のネーム作業にようやく目鼻がついた。(なので日記)
単行本で2ヶ月、そのあと企画物の準備もあって1ヶ月、そしてさらに諸々あって1ヶ月と
間に寄稿はしているけれど都合4ヶ月も休んでしまったこともあって、
身体のリズムとか、気持ちのテンションとか
いささか崩れてしまっていて、
思いの外、時間がかかってしまっている。
来週は巻き返しを図っていかないと。

アニメの「あそびにいくヨ!」が面白い
のだけれど、同時に作画の面で悩ましいものを抱えているのも
妙に気になって仕方がなくって、
お友達が原作を書いてることもあり、
ここはなんとか全面肯定という恣意的なアプローチをしたいところで
なにか糸口はないものかなと
けっこう悶々と考えたりしていた。
そうこうしているうちに先週、
「いだいなるさいしょのあしすとろいど」が放映になった。
原作ももちろん秀逸なエピソードなんだけれど
とても端正な脚本でじんわりと心に染みいる。
人の業というものが、それがもちろん秀でた科学力を有する宇宙人でも
乗り越えるために幾世代もかかる重いものであることや、
その罪の意識は種族の記憶に刻むことで戒めとし、かつ未来に臨む姿勢に、
舞台が沖縄ということもあって、
かつての円谷作品で語られた視線の位置に通じるものを感じる。
そしてそれらの異種であり異文化を包摂し融和へ導く鍵のように示されるのが
アニメ「キャプテン・フューチャー」の挿入歌であり、その詩情である。
本来「マクロス」がSF作品として有していたはずの着眼のセンス・オブ・ワンダー、
今や商品の方便として貶められたその価値を
本作では問いかけなおし、まさにアンセムがごとき普遍の輝きを持たせるに成功している。
通常のOPやEDを外して、「この歌ひとつ」の印象に絞った判断も素晴らしい。
原作では文章でしかなかったそれが
アニメになって音を得て、何倍もの力を有する瞬間に触れられて
とても感動的だった。
さりながら!絵的には、どうにも変に稚拙なレイアウトや構図、安っぽい美術、
才気を感じさせない凡庸な絵コンテなど
どうにも歯がゆく悔しい想いをやっぱり今回もぬぐえない。
むしろこのエピソードは
ラジオドラマ(CDドラマ)で発表されたほうが幸福だったのではないのかと
そんな気持ちにまでなってしまい、
全肯定したいという僕の気持ちとの相克にまた悶々としてしまった。

そんな折、やはり同エピソードを褒めていらした知人とのやり取りの中で、
「21世紀に作った80年代アニメ」という着眼に触れた。
僕は80年代に作られたアニメを世代的に一応観てきているものの
正直、そのチープさと表現には概して良い印象を持っていない。
(日本の歌謡POPSも80年代はスカだと思っている)
でも原作の「あそびにいくヨ!」が
外国TVドラマを含め、映画やアニメと70~80年代に親しんだ作品へのオマージュとして
実に小気味良く配されて構成されているのを踏まえて
現代のアニメでありながら、
あえてそのチープさに踏み込んだアプローチなのではないかと思い到った。
チープであっても、あの頃のアニメに確かにあった「熱」のようなものを取り込もうという試み。
もしそうであれば、なんという解釈、なんという愛情、
なんとしたたかにして、なんと豪胆ではないか。
それはもう賞賛するしかない偉大な意志の姿ではないか。
そう、ここにきてやっと僕は胸をはれるのだ。

アニメ「あそびにいくヨ!」は傑作なんだと。

ちなみにTVの公式webの「応援イラスト」のコーナーでは今週、
僕のイラストが公開であります。
今日の24時間は壁紙もDLできるようになってますです。
http://www.asoiku.com/sp_ouen.html
他のページも含めてぜひ作品に触れてくださいませ。

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