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2010年12月16日 (木)

やめておけば?

東京都の青少年育成条例改正案が議会を通過して、
来年には施行になることに決まった。
これにはもうすでに日記で触れたような、ある程度の考え方は自分の中でまとまったし、
今それにもう一度言葉を割くにはちょっと時間が無い。
(恥ずかしながら仕事が遅れている)
昨日は作画のための下準備(枠線とかフキダシとかを原稿用紙に書く作業)だったので、
適度にネットに接続しながら、かといって深堀もしないのだけど、
つらつらと眺めながら仕事をしていた。

その中で気になったのが
「石原都知事オンリーイベント」なる同人誌即売会の話題。
知事の著作、とりわけ「太陽の季節」あたりを題材にするのだろうけれど、
どうなのかなぁ。
人の言動や思想、作品に批判的になるのはまぁ良しとしても、
正々堂々とした作家性をもって批判や風刺、パロディの作品にする。作品にしようとするなら
理解もするけれど、
単なるあてつけや品性のない罵倒や嘲笑、おためごかしのパロディにもならない間に合わせ漫画に
満ちたイベントになったなら、
それは負け犬の遠吠えでしかない。
そんな態度や作品で溜飲を下げるなんて情けなくも見苦しい。
おまけに僕らの守ろうとした漫画の表現とはそんな程度のものだと
相手につけいる隙を作るようなものだ。
それに特定の個人の言動や作品であっても
人格への攻撃や侮辱を目的としたものなら、
当然、都知事から名誉毀損の訴えを持って裁判になるリスクは覚悟してしかるべき。
長い裁判にお金と人生をかけて耐えうるだけの覚悟と作品への責任や自負があるなら、
やればいい。
ただいつものなかよしクラブでやっているアニパロのようなノリであれば
太刀打ちはできないと思う。
同人誌だからと、無責任に二次創作で暴利をむさぼり、
誰もとがめないからってヘラヘラ笑っていられるお祭り気分でよいものではない。
今回の騒動で高らかに鼓舞していた「表現の自由」とは
自分の一身をかける覚悟の上に成り立つものであることを忘れていけない。
評論でも作品でも自分と自分の能力をさらして立ってこそ、相対せる資格を有する。
漫画家や作家はみなそうしている。
同人誌でも「本気」で堂々とやってのけるならやればいい。
でなければやめたほうがいい。
せめて主催者はその覚悟をもって、
参加するサークルでも個人でも
開催の趣旨と指導を徹底するべきだろう。
主催者が幼稚にはしゃいで煽っていたなら最悪だ。

そもそも都知事の挑発的な暴言に煽られて、
今回の条例改正への批判の矛先がぐちゃぐちゃになってはいまいか?
都知事名で提案されようと、案件は役人が作ったものだし、
議案とは議会があって承認通過される。
都知事が別に親玉でもラスボスでもないのは自明だ。
それをいちいち個人攻撃してなんの意味があるのか。
挙動を妄言をいちいち槍玉に嘲笑して何が報われるのか。
無駄な行為をしている自分に空しくはないのか。
それこそが議論や行動の本質を見失い、相手の思う壺だろう。

都知事の言動なんて無視してやればいいだけだ。




追記:12/17
どうやら各方面からの指摘や注意で
このイベントは趣旨を変え、大幅トーンダウンになった様子。
というか指摘を受けてここまで変説ってことは、
最初から何も考えてない、配慮もしてない、単なるお祭気分であったということで、
それも真っ暗な気分になります。

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