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2010年12月23日 (木)

今頃ヤマトの感想

連載も脱稿したし、そろそろ感想を記しておこうと思う。

正直な気持ちで、この映画はヒットして欲しいなと思う。
「復活篇」の時はまったくそんなことは思わなかったが、今度は切に願う。
「復活篇」の空前の大失敗で、作品の信用とブランドに傷をつけ、
またなおかつこのブランドが過去の栄光に過ぎないのではないかという
烙印を押されてしまったがゆえ、
ヤマトという作品、コンテンツを未来へつなげていくためには、
この実写版ヤマトが相応のヒットをして貰わないといけない。
宇宙戦艦ヤマトがそれこそ人類の命運を託した一本の矢であったように。

公開3週間を過ぎ、上位ランキングを維持しているようで、まぁヒットとは言えそう。
まずは安心とは言いたいが
ヒットすれども、評価はされないだろうなというのが、また正直な感想。
キムタクファンや適当にデート映画を探している人はどうぞって印象。
ネタバレになってしまう文章は映画の感想を書く際にはなるべく控えているのだけど、
もうこの作品ばかりは堪えられないかもしれない。

実は公開初日に観に行っている。
劇場は自転車で10分少々のTOHOシネマ西新井。
平日とはいえ封切りにして「映画の日」なので、
混雑を警戒して、都心部の映画館は避けたが、
開場前の劇場にはすでに50人近い行列が。
どうやら殆どがヤマト待ちだったのは、チケットカウンターで判った。
客層は僕と同世代のオヤジかキムタクファンであろうことが見え見えの女性陣。
それで初回の入りは座席の6割程度。
僕は前寄りD列の中央だからまずまず。
ここを選んで正解だった。

この映画は山崎貴監督に決まる前の話を個人的に聞いていることもあるけれど、
キムタクのヤマトへの強い執着と事務所の力があっての製作実現だし、
Part1や「さらば」の幹や末枝に呪縛されての作劇は必定だったのは
容易に想像できるから、苦労があったろうなとは思う。
まぁ頑張ったなとは思うけれど、
映画としては及第点にはならないかな。
僕はヤマト原理主義者じゃないので、お話の改編もデザインのアレンジも
基本的には楽しめるし、構わない。
(石津版小説もひお版漫画も好きだし、ミードヤマトも復活篇ヤマトも好き)
もちろん、旧作への愛情や解釈は大事だけど、
まずは単体の作品として楽しめるかだと考える。
じゃあこの映画がどうであったかというと、
アニメ劇場版Part1よりは骨とドラマがあったけれど、
映画としてお話が薄っぺらで、ドラマが軽い。

ヤマトのお馴染みのキャラが勢ぞろいはいいけれど、
どうにも人物描写が中途半端だったり、浅かったり、効率が悪くて、
そこにきて所謂「名セリフ」をトレスするものだから、上滑りの連続で、
さらに大仰な音楽の付け方をするものだから、興醒めしていく。
(音楽自体が悪いわけではない)
特にキムタクが全艦総員に高説を垂れる場面は、
演技の酷さが相まって、誰がこんな演説聞いて命をかけるかっていう代物。
古代進を演じたキムタクの演技はそう全部駄目なわけじゃない。
無言だったり、力まずに語る限りは、やさぐれていた古代に合った感じはする。
ただ、ああいう絶叫調の演説は陳腐でみすぼらしい。
彼はコンサートなどを除けば
実生活で大勢の多様な考えを持った人に語りかけて
気持ちを動かそうとした経験とかないんだろうなと思う。
そんなことで、お約束のように「名セリフ」は消費され、自壊を繰り返す。
そもそもそれらに意味を与えるドラマと場をかもす雰囲気が決定的に貧弱だ。
もういつからだったか判らないけれど
日本映画にはどこかこうした芯が欠如してしまっているように感じる。
画面から伝わる濃密な時間や空気、念みたいなものがない。
人の生き様ってものが描かれてない。
(難病の恋人が涙ながらに死んでいくばかりが生き様ではないと思う)
古代守の最期、沖田とのやりとりも軽く珍妙で情感のかけらもない。
苦渋に満ちた悲壮さなど伝わってこない。
古代と森雪のラブシーンも失笑をかいそうな唐突さで、
内なるものの発露として、あまりにもどかしい言葉に
堪えきれなくなった情動とその交錯とはちっとも見えない。
まるで古代と雪は恋人になるという前提とか予定調和を消化する
お約束としてのプロセスのようだ。
ここを有無を言わさぬ強い脚本と演出で語らなければ、どうする気なのか。
また14万8千光年という旅の時間の感覚がまるで語られず、
あっという間の出来事に見える。
経てきた時間という経験を感じさせないから、
物語にもセリフにも重さが無くなる。
ヤマトという制約と言うか約束事がドラマのシナリオと演出を絞め殺していると
考えていては足りない様子だ。
決定的な欠落感は脆弱な脚本と演出の不足、つまり脚本家と監督の責任だと言える。
そもそもこの映画を観ていて
どうして「STAR BATTLE SHIPヤマト」=「宇宙戦艦ヤマト」というタイトルなのだろうと思う。
アニメのヤマトを下敷きにしているとはいえ、
この映画は艦(ふね)としてのヤマトのアイデンティティが殆ど感じられない。
島の「良い艦(ふね)だ」というセリフも、まるで実感を持たず空虚だ。
この映画はヤマトを名乗りながらヤマトである必定を示してはくれていない。
なにかもうその辺りから、根本的な間違いを犯しているのではないか。

デザイン面のアプローチは試みとしては悪くないけれど、
これまでの山崎監督の流れでしかなく、
リターナーでもジュブナイルでも見た形で、 どこか安っぽく、
「復活篇」のデザインには在ったデザインの思想や理念が本作からは感じられない。
それとヤマト艦内に、船としての流れが感じられない。
今回アニメのスケールの倍にしたとはいえ、
ヤマトは艦船で曲面と竜骨で構成された「流れ」があるはずだ。
アニメのヤマト艦内は例えば廊下がRを描いているように、
それが意識されていたけれど、
この映画ではどこも直線的な部屋でしかない。
船という場をどれだけ意識して、表現しようと思っていたのだろうか。

まぁでもCGはさすがに白組で綺麗だったと思う。
ただグリーンバック撮影のせいか 、はたまた予算か時間のせいか、
場としての空気感とか光の感覚が弱くて
そこにセットの安っぽさが相まって
ここでも雰囲気を作り出すまでには到っていなかったと思う。
山崎監督はライティングがどうも平板で、セット臭さが目立つ。
そのせいもあるのだろう。
SFは実感のある実生活社会や風景とことなるので、
ことさらセットやライティング、空気感にこだわって存在感を強調しないと、
映画が学芸会に見えてしまうのだけどな。

昨年の「STARTREK」で
お話への切り込みとイマジネーション、旧作への敬意と解釈と創造、
そして巧みな脚本と演出を見せ付けられているがゆえに、
実に悔しい。
ああでもなにかいいところを探そう。
………
アナライザー凄げぇ!


画像はその昔描いたヤマトの絵。

Tower

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