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2011年2月 2日 (水)

ハリー・ポッターと黒い玉

遅ればせながら「ハリー・ポッターと死の秘宝part1」と「GANTZ」を観て来た。
思い返せば12月1日の「実写版ヤマト」以来、丸2ヶ月、映画を観ないで
正月どころか休日なしに1日17時間も働き通しだったのだから、
観たい映画もかなり公開を終えており、
「ハリー」はやっと滑り込めた感じ。
大嫌いなクリス=コロンバス監督の1、2作目も含め、一応劇場で観てきた作品なので、
なんとかそれを堅持できたのは嬉しい。

映画は池袋で観た。
「ハリー」の上映がかなり終わっていたのでそういう選択に。
新宿や渋谷はちょっと遠いのと、ハシゴのダイヤグラムが上手く組めなかったからだ。
劇場は「ハリー」がHUMAX、「GANTZ」がサンシャイン。
「GANTZ」は初回の10:00から、「ハリー」が13:10の今日1回きりの上映。
映画の日だけど平日なので楽勝かなと9時半に赴いたら、
受験シーズンもあってか、高校生風情が大挙した行列が劇場の前に30mはあってビックリ。
席は2階席の二列目になってしまった。
ここからだと42型のTVとさして大きさが変わらない感じ。
観やすいけど、映画的な画面の広がりが感じられなくてつまらない。
シート自体は悪くないが、
池袋の客層と言う人もいるし、高校生だからとも思えるが、
客のマナーが凄く悪い。
予告編の上映中でも喋り続け、嬌声が止まない。
2本の映画ともだったけれど、上映中も携帯を眺め続けているし、
僕の隣の席なんて映画本編が始まるまで、ゲーム機でプレイしていた。

で、「GANTZ]。
原作は飛ばし読みしているので、概ね理解はしているけど、
細かい設定やストーリーは抜け落ちている。
10巻を超える漫画を読み続けるのは僕には昔からつらい。
なので原作原理主義者でない僕は今回も腹蔵なくリベラルに臨んだが、
映画は面白かった。
脚本も演出も映像も丁寧で、前後編の前とは言えども、
単体の映画としてきれいに完成されていた。
原作自体がそもそもかなり場当たり的、直感的な話作りで、
そのイージーさの醍醐味や即興性をもって臨んでいると聞き及んでいるので、
ドライブ感の異なる映画化にあたって換骨奪胎は必定。
その組み換えが成功していると思う。(某宇宙戦艦映画とは大違い)
配置された多くのキャラクターに与えられた決して多くはない言葉と表情の中で
人間性を感じさせる演出がちゃんと施されているし、
謎の黒い玉の存在に執することなく、
与えられた環境や条件という位置に落とし込んで
反応する人の心と行動に軸を持っていったことの判断が成功している。
篠房六郎の漫画にあるようなゲーム世界での人間性のぶつかり合いという、
世界の存立基盤を問うことへ終始せずに、ドラマの心理展開を構わずに見られるという
バーチャルを前提にできる感覚の醸成も手伝っていると思う。
映像はライティングも自然で、都会的な青い光に覆われており、
その陰影はロケとセットとCGマットを違和感なく馴染ませて、
なおかつ沈静し薄く冷めた人間関係をも映しこんでいく。
加藤と弟だけの食卓。
心の通わない父親との相克や憎しみを抱え、
親の顔のない食卓を見つめ続けたことがあるなら、
その二人であることのささやかで温かな存在の大きさは、十二分に胸を締め付けるものだ。
原作漫画でギャグとしても表現されていた、
敵対する星人の珍妙な違和感からもたらされる狂気と異様は、
映画でも気持ちの悪い恐怖の存在に昇華されていて、
田中星人などは真骨頂。
さながら文楽の「がぶ」か「チャイルドプレイ」のチャッキーのような印象をかもす。
また、それらを支えるCGも
これまでの日本映画で観たことがないほど画面に自然に馴染んでいて、安っぽさがない。
ここがチープだと映画が台無しになるのが常だったけれど、
これはもう合格点。
衣裳も小道具もそのデザインは秀逸だし、世界観を支えている。
今年最初の映画として満足できる作品だった。
後編は一転、原作から大きく離れてオリジナルの展開になる様子だけど、
この感覚で作られていくなら、俄然楽しみになった。

そして「ハリー・ポッター」。
今更なんだけれど、よくこんなつまんない正月映画をみんな重宝して観たもんだ。
こういう映画を素直に喜べるのは僕のほかにそんなにいるとは思えないんだけどな。
大好きだよ。
お話の筋書きなんて書こうものなら100字もあればいい。
これは筋ではなくてそこに交錯する人の心理が殆どの映画で、
ファミリー映画御用達のクリス=コロンバスなんかには決して撮れない作品だ。
(ああ、僕は家庭的にファミリー映画の幸福感や温度が信じられないのね)
逃避行であり、探索であり、
失意であり、誤解であり、
別れであり、再会である。
不思議な魔法世界の楽しいアイテムで愉快な冒険をなんて顔はかなぐり捨て、
すでに可愛くもなんともなくなった男の、顎のしゃくったメガネ面と胸毛の半裸とともに
喪失と死に向かい合い続ける。
その苦悩を写し、重ねるかのようなイギリスの色が褪せ荒涼とした冬の原野が、
素晴らしい表情を見せてくる。
そうまるでアンドリュー=ワイエスのテンペラ画のようじゃないか。
この映画は観なくても最終章たるPart2の展開についていけると思うけれど、
逆に大詰めの前にこんな陰気な映画を作った制作側の胆力に脱帽。
ハリー・ポッターのブランド力で良くぞ観客をだましたもんだ。
素晴らしい。
この映画に苦言を述べるとしたら
パンフレットの出来が最悪。
役者の顔と場面のスチルばかりで、記事が殆どない。
前から「ハリー」のパンフの出来はこんな手間も工夫もない安っぽいものだったけれど
今度も変わらず最低だよ。ありがとう、松竹の出版商品室。

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