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2011年6月19日 (日)

なんの免罪符だ?

TVのCMや、新聞、雑誌、webに到るまで、その広告欄の端々にやたらと
東日本震災の被災者へのお見舞いの言葉を目にする。
あまりにも似たような文言で、あまりにもあちらこちらで出くわすと、
もうルーチン化してしまったそこに心がこもっている様には思えない。
というか逆に呪符か祈祷札のように見える。
何に怯えてるのかっていえば想像はつくけれど、
企業が広告を打つこと、商行為をすることは
そんなに不謹慎なことなのかな?
技術やサービスを売ったり、幸せや愉快さのイメージを届けたり、
仮に贅沢品の売買であっても、
それは経済や社会の機能を担い支える大切なものだし、
自分達の活動に誇りと自信を持って、堂々と胸をはればいいことじゃないか。
これは震災直後にACの広告ばかりになったころから感じていたけど、
さすがにもう災厄への喪に服して首を垂れ、口をつぐむ時季ではないだろう。
「不謹慎だ」という的外れのそしりによるイメージ低下を恐れるのは、
うがった見方をすれば
自分達が不謹慎な広告なり企業活動をしているという自覚があるということ。
少なくとも自分達が口に糊するための行為行動が
無理解や理不尽な理屈による非難を退ける哲学も理念を持ててない。
自らに責任がとれないという弱い心の裏返しに見られても仕方がないだろう。
被災者への配慮にかこつけて
リスク管理という美名に摩り替えた保身としての思惑ならば
そういうスタンスが広告を打てるような日本の有名企業の心根なんだろうか。
人は組織になると、どうしてこんなに無責任で愚かになるんだろう。
そしてなによりもそれが被災者の困苦を愚弄していることには思い至らないのかな。

マンションの自治会の役を受けたので月例の会合など出ると、
地元の公的行事の報告の中で「自粛」という言葉がちらちらとまだ聞かれる。
そういえば6月上旬にある地元のお祭りも
ポスターは貼ってあったのに今年はお囃子が聞こえなかったなと思っていたら、
さっき買出しの折に見た近所の町会の掲示板には、
「氏子祭りの中止のお知らせ」と差し替わっていた。
(僕の住む地番はこの神社の氏子に当たらない)
神殿で定例の祭式は行うけれど、
震災被災者に配慮して神輿かつぎはしないことで決定したそうな。
はてな?
祭りは祀りであって、
単なるお楽しみ会でもお遊びでも、お祭騒ぎでもないはず。
もちろん神社の縁起にもよるけれど、
神殿での祭礼だけでなく、神輿にも祀りとしての意味があって、
それぞれに関係性を持ちながら成立するものでしょう。
神輿は進む先々に神威を満たし、地を鎮め、豊穣を祈るもののはず。
それこそ地震があったのなら、
地鎮めに念入りに執り行なうのが筋道じゃないのかな。
お祭りって、祭事であると同時に、
地域や世代間のコミュケーションの機会だったり、地元の経済振興だったり、
文化芸能の伝承だったりと、
担う役目も多いし影響も大きい。
それなのに被災地に申し訳ないような
「お楽しみ」としか考えてない人が沢山いるってことだ。
祀りとしての意味や筋道を立てて主張できる人がいないってことだ。
そうしてまた「不謹慎」のレッテルを恐れてばかりで
責任を逃れたい人ばかりなんだ。
神社としてするべき責任を全うし、
被災地への慰霊と地鎮へと祭の意味と意義をきちんと打ち出して、
氏子や地域に呼びかけ志を共有し、
堂々と催していこうという人がいないんだ。
その態度のどこが被災地への配慮なんだ。
どうしたもんだろうね、この大人の理念や哲学の不足と無責任っぷりは。

責任は問われるのを避けるものではなく、
果たすためにあるものだ。
いつからそれが変わった?
そうそう、免罪符ってのはやましい心や罪がある奴のためにあるのだった。
彼らにとっては「被災地へ配慮して」の文言はそれなんだろうね。
昨夜、被災地へ医療ボランティアに入っていた人達と夕食を共にして
色々と話を聴いたので
このギャップについ憤ってしまったよ

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