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2011年9月 6日 (火)

「拡散希望」ってそれだけで警戒しちゃう

何日か前に複数の人とやり取りしたコメントの転載。
時間がないので応答があんまり丁寧な文章じゃないけれど、
おおまかには自分の持っている今のイメージ。

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日本の報道の信憑性もそうですが、
そもそも海外の報道の信憑性も応分に疑うべきでは?
海外は逆に緑の党などの圧力で偏向報道がありえるのでは?
グリーンピースやシーシェパードのような団体がスポンサードなら
やすやすと偏向報道されます。
クジラ漁は偏向報道で反原発は正しい報道ですか?

いろんな訴えをスルーするのも
訴える側が訴える場所や相手を適正に選んでないとか
役所も1人の言葉ではなく大勢の意見を集約しないと動けないとか
組織としての行動基準や事情も調べてみる必要があるのに
感情的に無視されたのごとく判断する軽率な人も多いです。
自分が窓口担当だとして100人に色んなこと勝手なことを言われて、
それを全部100%叶えられますか?
100%叶えられないと、偏ってる腐敗してると批判されて、どう思いますか?
情報は伝え方がある、伝えないことが大事なときもある。それが失敗だったこともある。
それは例えば何かの責任者になって部下がいれば、当然経験する現実で、
もちろん失敗は批判される責任もとるとして、でも無思慮に嘘つき呼ばわりの人には疑問です。

フジテレビへのデモも人数が多くても報道が少ないのは別の理由では?
そもそもフジが他局よりとりたてて多く、韓国関係のドラマや情報を多く流しているという
統計的に根拠のあるデータはありません。
逆にこういうデータは公的にとれるそうです。
http://blog.livedoor.jp/nob_kodera/archives/3909024.html

つまり批判されるべきいわれのない「勘違い」連中の大騒ぎを、
どうして報道しないといけないのかという筋になるのではないでしょうか。

警鐘とはどうしてもこういう信憑性の疑わしい「事実」を表にだすと
とたんにほころびがでます。
ならばそれらを危険に思う気持ちを丁寧に自分の言葉とイメージで連ねるほうが大事なのではと
自分はこの1年近くずっとそう思い続けています。

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僕は地震や原発の前から、九州の牛や青少年育成条例改正の辺りからなんだけど、
自分なりに今の世の中の情報の流れとか人の心の動きを見てきて、
「拡散希望」っていうラベルつきの情報は警戒するべきってのが
ひとつの吟味の結果なのですよ。
Twitterを中心に、この手の脊髄反射的情報流布は
多くが一手間や吟味をすることなく流される。
ある種の情報発信における責任感すら皆無の無意識さと、善意がからんだ
とても危険な状態で加速度がつくから、僕にとっては暴力装置と同じですよ。
そしてTwitterでの情報の評価を僕が下げて見るのは
実は昔から情報を扱ったり、人にモノを語ることを生業にした人、もしくはその作法や意識の整った人、
そうした人の1次情報の貴重さ大切さに比して、
他の多くの人がそれを丸投げで転がしてるだけの、どうでもいい存在の情報が9割近くのこと。
必要ならそのソースにあたればいいだけなのに、ネットの中はそのパスやトスのものばかり。
その最たる例が「拡散希望」ですよ。
自分は夜中まで睡眠を削って仕事してますし(無能で時間がかかってるともいう)
その限られたリソースの中で
「拡散希望」っていう言葉で情報の質に警戒するのはまちがった「吟味」じゃないでしょう。
別に警戒であって否定してるのでもないんだし。

あと僕は情報に体制側とかこちら側なんて視線で見てない。
確かに組織的にフィルターやマスクのかかった情報はあるけれど、
それは市民側かどうかはしらんけど、
そこからの情報も恣意的だったり、嘘やデマ、誤認、訂正なし、無責任に満ちていて
その質たるや最低最悪ですよ。
そちらを重宝しろ、信じろ、っていうのも無茶だと思う。
だからそんな色分けは意味を感じてない。
それにそういう二元論は社会の図式を単純化しすぎて物事を見誤るきっかけになる。
世の中は複合汚染のルツボの中だと思うので。
敵と思って撃ったら、同志や親の背中だったりするのです。
読み解くためには複雑化したものを細やかに解きほぐしていくしかない。

情報や意見があって話し合いがあるのは素晴らしい。
可能性や仮定での議論も大切。
だから情報があるのはかまわないけど、
「情報拡散」なんて恣意的に加速度つけられて重要を装う枕詞はごめんなんだ。

僕は仕事でかつて長く、政治的、思想的にマイナー側のスタンスの活動を手伝ってましたから、
署名活動なんかの忌避感、違和感を持たれるのも肌身に染みてます。
こちらが情報ソースなのにTVで誤った形で報道されて
それに弁明したら「だってTVが言ってることが正しいでしょ」なんて
言い返されてびっくりしたこともあります。
そして世の中を動かしたり変えたりするのは、マイナー側からでは
今の日本人の大きな属性や国民性からは途方もない時間がかかるのも知ってます。
でもだからって「少々必死になってもしょうがない」とは思いません。
誠実に愚直にやっていかないと
結局は先鋭化して歪んでポキっと折れてそれは終わっちゃいます。
必死に頑張る、その力の向き方や方法をせっかくなら、
もっと実現に近づけるアクセスをしたらと思うのに、
その手段や行動に結び付けるには
日本の市民運動はまだ黎明期なのだなと思います。

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自分の恣意を成就させるべく、疑わしくも虚実かまわず流布するような
それが社会を良くするからいいんだみたいな
目的のためなら手段を選ばない。それは本当は小さなキッカケから。
僕はそういう善意が転じて悪に変わりかねない瞬間を垣間見ると、怖くてなりません。

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