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2011年9月26日 (月)

そして花咲け

マーガレットで連載されていた「シトラス」下巻を読んだ。 
香魚子さんの絵柄とか間のとりかたが、 
昔に親しんだ少女漫画の好きな部分を感じさせるので、 
ここのところ何冊か買って読んでいる。 
内容はちょっと不満。 
っていうかもしかして打ち切りなのかなと思うほど、 
ドラマとして必要なシーンがぽっかりとない。 
何かを取り繕うようにわざとらしく、伏線の回収や脈絡をつけて 
ドラマを収束させるような構成は好きじゃない。 
この作品のように、すれ違いざまに袖が擦りあう様な感覚で 
誰かと誰かが交差して、それぞれに違う方向を見ているドラマは、 
だから僕にとっては好ましい。 
だけど足りない。 
あと少しだけ心の内に歩み寄るシーンがあったらなと思うと残念。 
「コクリコ坂から」について友人と先日話していて、 
指摘される問題点は僕も首肯するものなんだけど、 
自分は昨今のドラマの収斂性というか、キャラクター主義の偏重とか 
そういうものに辟易しているので、 
あの妙な作品が好ましく思えてしまうんだと思う。 
冒頭、陰気に階段を降りてくるはずだった最初の絵コンテであったら 
どんな作品になったのだろうと思ったりもする。 
「わかってない」とプロデューサーと父親に否定され塗りつぶされた部分だ。 
それこそジブリ的な顧客獲得の常套手段をあてがわれた部分。 
でも、あの映画はどこを観ても 
近頃のアニメや漫画で使われる心理描写としての演出方法のセオリーを 
ことごとく外している。 
意図したものなのかどうかも分らない。 
ただ、僕には心地よい。 
宮崎御大が根本的に少女漫画を理解できないというのは判るが、 
それを否定したり侮辱したりすることで、自分を正当化する幼稚さは甚だ不愉快で、 
このクソジジイと思う。 
だからこそ、映画やドラマにならないとすら言われた「少女漫画」の文法で 
できることはあるはずだと考えていて、 
最近、それらを読んでしまっているのかもしれない。 

「花咲くいろは」が最終回を迎えた。 
半年間ずっと愉しく観ることができたのは、シリーズ構成のバランスのよさと 
作画の質の高さ、安定した演出があったからだと思う。 
まぁ作画に関しては、仲居服の背でタスキのねじりがちゃんと作画されてれば 
ちゃんとした人が描いている回、適当なのが駄目な回ってのが僕の基準。 
シリーズ構成と脚本、そして演出は、 
緒花と孝一の恋愛話はなんだかずっと上滑りしてるし、 
祖母のスイの気持ちの筋道がちょっとばらついていたと思う。 
また、朝の連ドラではないアニメとしての何かという面では、悔い足りなさが残った。 
でも、最終回の着地点は、脚本としてとても難しいものを選択したなと感じる。 
ありていで単純な勝利主義的脈絡で安手の感動を振り撒くのではなく、 
ひとつの敗北、手放すことから、関わった人がそれぞれにその未来を考え、託される。 
僕も自分の会社を畳んだ時に感じたこと。 
社員たちはそうしてようやっと現実を知り、自分を見つめ始めた。 
そうした価値のある道は、でもドラマとして簡単な盛り上がりを許さないし、 
観る者は、一人ひとりを想ってあげることで初めて深まり染みてくる。 
簡単なカタルシスを求める人からは易々と否定されるだろうし、 
そこに気持ちを向けられれば、自分の中で生きた作品として、緒花たちは永く記憶に残る。 
緒花やみんちやなこちがちゃんと好きだったなら、 
きっともう、彼女たちはどうしているのだろう、どうして行くのだろうと 
想いを巡らせているはず。 
だとすればこの脚本は正解だったんだ。 
僕にとって物足りなさを加えるなら、 
これが普通のドラマの手法であったこと。 
素晴らしい背景美術にキレイな作画があるのに、 
そこの空気の中にある人の気持ちに十分な間をさいたシーンがなかった。 
EDにあったような紅葉や夕陽にじっと身をおく中で 
時間を超越した人の気持ちの広がり。 
少女漫画が獲得したこの四次元的な心理の奥行きを語る術を 
「いろは」で用いられたら良かったのになということだ。 
多分それは、「アニメならでは」っていうリクエストと同義か、その解答なのかもしれないけれど。 

人の心は風景の中で生きているし、気持ちは時間を越える。 
実は僕がずっと自分の漫画でそれを模索し続けている。 
だからついアニメにも実写にもそれを求めてしまうんだろう。 
(その意味で、「コクリコ」は自分に好ましい間が存在しているのだと思う) 
寄稿した「いろは」のアンソロジーコミックの漫画も 
頁こそ貰えてないから不十分だけど、 
風景と人との気持ちみたいなのをトレスしたつもり。 
またそれはあの美しい風景を丹念に描き続けたスタッフと、 
誠実なメルさんの仕事へこめた敬意でもある。 
「ストライクウィッチーズ」のアンソロのときも同じ。 
少女とミリタリーの協奏こそスタッフの創意と努力であったから。 
そうした志への讃辞なしにキャッキャウフフを描くことは自分にはできない。 
まぁだから重くなりすぎて、巻末とかに除けられちゃうんだろうけどね。 

「いろは」は地元との振興も含めて 
1年に1回くらい1時間半程度の特番で新作が作られるような 
そんな続き方をしてくれると素敵だな。 
この先、緒花たちがキレイな花を咲かせてくれることを期待して。

Ohana5

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