« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月

2012年1月18日 (水)

17年

阪神の震災からもうそれだけの時間が流れた。
95年当時は朝の5時50分頃に起きて通勤をしていたから、
第一報を朝のTVで見た。
最初は不謹慎ながら怪獣映画を観るような感覚だった。
そもそも地震災害の対策にマニアックな面をもっていたから、
その被害の報道が伝わるにつれ、興味津々で眺めていたのだけれど、
あるとき朝刊紙に列記された死亡者の名前のリストを見て愕然となった。
それまで単なる数字だったものが、
名前のある、人生を生きていた人たちなのだ、その命や想いが絶たれたのだと、ようやっと思い至り、
それまでの愚かしい自分の目線を自覚できた時だった。
これは自分も何かしないといけないという思いが募った。
ただでもニュースからでしか受け取れないこの状況は
はたして世界各地でも起こる悲惨な自然災害とどう距離が違うのかという
理屈の葛藤があった。
友人や肉親が被災したでもなし、
TVを通じてのみであるなら、それは世界のどの事例とも等距離であり、
その均衡を壊して自分がなにかをしようと言うのなら、
そこにどんな理由が存在するのか。
もし神戸にアクションを起こすなら、
等距離の他の災害や被災者にも自分は働きかける必要があるはずだ。
もっと素直でいいはずなのに、
それこそ遠い平時の場所の人間として、そんなどうでもいいことを悩んでいた。
そうしたら職場で災害ボランティアを組織することになり、
自分がその場所に身を置けば、
それは自分が関わる必然性につながるなんてまた考えて、名乗りを上げ、
震災から10日もたたない神戸に乗り込んだ。
今では記録映像の中に収まってしまっている光景が目の前にあり、
被災者の方々に触れ、
ボランティア参加者の各々勝手な思惑を知り、
そして無能で無力な自分に向き合った。
その体験から得たものは拙著「虚数霊」にも少し反映されているけれど、
人としてとても多くのことを学んだと思う。
それはまだこれからもずっと作品の中で語っていけるほどだ。

昨年、東北一帯の震災があって、
やはり多くの方が亡くなってしまった。
政府や組織の無策を責め立てる声ばかりが目立つようだけれど、
17年前から日本人はちゃんと進歩も行動も起こしてきたと僕は思う。
95年はまさにボランティア元年だった。
以降、日本海の重油流出や中越地震、そして今回の東日本震災と
ボランティアが機能して被災地を支えるシステムも行動を促す心も、
そしてそれをカバーするNGO、NPOへの法整備も
阪神の体験が生きたからだ。
建築基準法の見直しも進んだし、
既存の建物の補強工事も随分と行われた。
役所や企業といった組織も備品の備蓄や対応のマニュアルを整えてきた。
時に牛歩のようであり、穴もあり、見当違いのものもあろうけれど
それでも備えをし、そして動けたはずだ。
95年はWindows95が発売され、
日本のネット社会の新たな開花に結びつける契機となった年だ。
昨年、Twitterやblog、SNSを活用して
縦横に情報交換が出来、素晴らしい貢献ができたのも
阪神でも被災時にインターネットの特性から
Eメールでの情報交換が断たれずに行えたという評価があったからだろう。
ただ、同時に関東大震災の流言飛語にも似た
善意悪意が入り乱れたデマゴギや無駄な情報と感情論が溢れたのも事実だし、
その混乱を自覚し対処しきれない人の心も露わにしてしまった。
メディアで言えば、テレビ放送は民放を中心にその存在意義と価値が
いかに失われているかを見せ付けてしまったのも大きい。
報道局の機能を低下させ、朝は朝刊紙の解説で誤魔化してきたツケであり、
被災時に「良質な」娯楽すら提供できない姿は、
もう無駄な存在としか言えない。

「想定外」は言い訳の常套句になってしまったけれど、
それでも想定できる枠が広がり、反省点や課題が見えたのなら
組織も僕らもまたそこから学んでいかないとと思う。
95年からここまで出来たのだから、きっともっと前へ進める。
もちろん震災は事後こそが震災の現実であって、
今も東北で進行中のそれを忘れてはいけない。
阪神淡路から3年後、僕は仕事で神戸を再訪したのだけれど、
あちこちに震災の記憶がモニュメントととして遺される傍らで、
埋立地にはまだ被災者の住む仮設住宅が建っていたのを僕は覚えている。

|

2012年1月 1日 (日)

新年のごあいさつ

新年あけましておめでとうございます。
今年は春から新連載をスタートすることになりそうで、
自分のできることと向き合いながら、なお一層、頑張って参ります。

大晦日はコミケット81の最終日でありました。
久々の新刊を携え、訪問いただいた多くの方とお話ができて有意義な1日を過ごすことができました。
でもこうしたイベントの日は同時に自分の虚栄と現実を刷り合わせる日でもあります。
恐らく多くの人はどこかで勘違いをしておられると思うのですが、
僕は漫画雑誌に寄稿している者であっても、
子供の頃に思い描いたような立派な作家サマなんかではないのです。
細々と仕事をし、皆に支えられ、口に糊することが出来ているだけの小さな存在に過ぎません。
どこかのサークルのようにコミケで数千の冊子をさばいて
マンションを現金で買ってしまうようなことなどありえもせず、
僕は出展しても利益がでることなんて殆どありません。
なるべく廉価で提供したいと、原価を下げるために無理して数百部刷ろうとも
印刷した数の半分も売れず、基本はもの凄い赤字です。
(今回も売り子さんに内実を話したらそうとう驚かれた)
じゃあなんで、そんなことするの?といえば、
それはまず、道楽として好きなものを作る機会を持ちたいから。
そして以前より何度も触れてきたように、
僕のような者と好きなものを通じて気持ちを結んでくれる人と出会いたい、
話をしたい、それがもっとも大きいのです。

人様に作品を示すような場で仕事をしていると、
時としてそういうクリエイティブな行為がとてもたいそうで、しかも大きな数であり
自分が同時に大きなものであるように感じてしまいます。
でもその感覚が実際にどうなのか。
自らバイアスをかけた数に虚栄を満たすような気持ちになってはいまいか。
それを現実と向き合わせてくれるのが
手ずから自分の作った本を売るコミケなどのイベントだったりします。
そこで僕は自分の小ささを意識し、慢心を戒めます。
長く漫画を描いているからって偉くなんてない。
丁寧に絵を描いているからって評価も人気も別物。
絵を描くという能力がでは、他の職業のスキルとなにか優劣がつくものであるはずがない。
相手にしてくれる人を大切に思わないといけない。
それを肝に銘じる日だったりします。
blogの日記を始め、漫画の中で語る趣旨もしかり、
だから僕は、自分の発信から誰かに何を恣意的に押し付け、塗り替えること、
支配的な位置から影響を及ぼすことなど意識も興味もありません。
だって前述したようなそんな矮小な自分にそれが叶うと考えること自体、
とっても馬鹿げているでしょう。
こんなマイノリティな自分でも、どこかの誰かと同じ感覚を共有できるかもという
淡い期待を寄せているのがやっと。
(その感覚だって人の気持ちや考えの僅かな部分が重なるに過ぎません)
そんな誰かが見つかる幸せを求める以上に何を求める必要があるのか。
コミケのような場は、
そうした気持ちや考えがどこか繋がることのできる人と会える大切な機会。
それは赤字がどうとかいうものとは比較にならないほど大切なこと。
だから浅はかな錯覚からの慢心、増長を抑えるとともに、己の小ささを現実の数字として思い知り、
今、周囲にある人の縁のありがたみを意識することの意義を感じています。
ということで、昨日おこしくださった皆さん、本当にありがとうございました。
楽しい時間をすごすことが出来ました。
そしてもっとお話しする時間がとれなくてすみません。
挨拶にうかがったり、お出迎えに時間を費やして、
今回も殆ど同人誌を購入することはできませんでしたが、
お向いのブースでいらした鈴木小波さんのサインを貰えたのは嬉しかった。
(ブラック★ロックシューターの単行本もってった)

元旦は曇りだとは天気予報で知っていたけれど、
それでももしやと思い6時には起きてみたものの、東の空には雲がいっぱい。
河川敷から初日の出を見ることは叶いませんでした。
なので朝から新年のご挨拶の日記など入力。
お正月のTVの多くは僕の苦手なお笑い番組が多いし、
いつもと変わらず机に向かってFMでも聴きながらお仕事をする予定。
年末に買ったお大根と白菜、ソーセージの類でスープでも作ってみようかなと思います。
みなさまもどうぞ穏やかに健やかに新年をお過ごしくださいませ。
本年もどうぞよろしくお願いします。

|

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »