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2012年8月 5日 (日)

明るい話 暗い話

例によって少し長い日記なので
その前に情報的なものを。

来週のコミケット82ですが、
僕は今回、初日(10日・金)に出展します。
東5 ピ-45b です。
新刊はありませんが、
友人の「ヤマト2199」本や「帰ってきたウルトラマン」本に寄稿しましたので
それらを頒布する予定です。
表紙はこんな感じ。

Hyousi_b5_tombo_600aUltraman_cover_3
過去のヤマト同人誌などの在庫も持参します。
もし初日にいらしてる方がいれば、
覗いていただければ幸いです。

脱稿して同人誌の作業も済んだので日記を書く。

適度に休ませながら仕事をしているつもりなのだけれど、
4時間半の睡眠と15分程度の仮眠を数本、
運動はまったくなし、
食生活は1日1食半とタイトに絞ってる、
ほかは全部仕事、という生活は、
そろそろ身体が悲鳴をあげてきている気がする。
前より集中力や能率が落ちてきているので。
12月には1回、コミックス2巻の発売の準備も兼ねて、
連載のお休みをいただく約束は出来ているけれど、
工程だとか、仕事のシェアだとか、考えていかないとならないなと感じている。
現在はスキャンやトーンといったPCワークを主体にアシスタントさんのお世話になっているけれど、
絵の方も考えていかないとという感じ。
「急ぎではないので」と編集部には相談してみたけれど、どうなるかな。
背景をお願いするにしても、
これは「ヤマト」なので単なる背景じゃない。
SFのそれはアニメでも美術さんが普通に描く風景ではなく、
意思と意味と目的に情感をあたえるメカでありキャラである。
窓枠一つ描くにも、その向こうにたくさんの人の生活や生き様があるのを想像して
それが集合無意識のように空間全体に雰囲気を与える調和をもって描かないと。
クレーターの大きさも遊星爆弾の大きさとか地殻の状態とかその意味とか加減がある。
なんてずーっと思って描いているから、
よくある風景的に定規でさらっと綺麗に描いたり、記号論的な型なりスタイルで
描かれると全然納得いかなくて、
リテイクに次ぐリテイクや、修正ばかりしてしまう。
あげく、絵ってのはこれまで生きてきた人生全てで描くものなんだ。
今まで何を見て聴いて感じてきたんだ。
なんて凝り固まってしまっていけない。
自分だってでは他人からみたら至らない部分の多い絵を描いてるのにね。
なので、アシさんはみつかるのかどうかは、わからない。
今回、第6話では、尊敬するあびゅうきょ先生に大ゴマの背景をお願いした。
先生は人物のみならず、背景の中に意味を見出し、
線描にそれを込められる絵を描かれるので、まったく不安がない。
僕の描線とのギャップがまたきっと面白い効果を出してくれると思う。
また、ワープの背景素材として
ヤマトの撮影監督の青木さんから、
「輪廻のラグランジェ」のOPに使われている素材をいただいた。
これは、その日の作業でのマウスの軌跡をトレスしたもの。
人の手の動きながらも、考えていては出来ない美があって素晴らしい。
でもこうした人とのセッションのような機会を持てることは稀なのかもしれない。
絵は難しく奥深い。
そして僕は大変でも絵を描くのは好き。
もっと上手くなりたいな。

「宇宙戦艦ヤマト2199」のコミック第1巻が発売になって一ヶ月ほど過ぎた。
品切れの書店があったり、Amazonでも在庫切れが続いていて、
その飢餓感というか稀少なイメージが先行してか勢いがついて、
編集部からも出足が好調だとあったけど、
(というか初版が多くなかったのだろうね。いまだに部数を知らないけど)
再版が決まったと一昨日連絡があった。
YRAラジオヤマトで再版の呼びかけをしていただいたりと
読者の方々の声があって、
当初予定を早めての再版になったらしい。
とてもありがたいことだ。

ヤマトというタイトルをどのように配本したらいいのか
角川もつかみかねている中で、
今回はそのテストケース的な目論見もあったようにうかがえる。
再版になり、おいおい店頭に充足していくのかもと思うけれど、
買出しがてらに漫画コーナーの充実した書店を覗いたら売ってなかった。
ところが僕の住まう近所のTSUTAYAではちっとも売れてない。
ネットで見たら、売り切れのために3度目の入荷をしてくれた書店もある様子。
配本にどういう目論見があったのか、もう僕にはよく分からない。
でも前作「虚数霊」とはまったく違う動きをしているのは分かるし、
それは角川という母体や「ヤマト」というタイトルの力だなぁって素直に思う。
僕の知りえた数字では発売後の1週間近辺で、
紀伊国屋でコミックス売上4位。
秋葉原の書泉ブックタワーでは3位。
同、コミックZINでは2週連続3位。
御茶ノ水・丸善では100冊の初回仕入れは先週半ばで完売、すぐに追加発注とのこと。
Amazonでは漫画部門瞬間最大19位だったかな。
これは明るい話だと思っていいのだよねと自分に言い聞かせてみる。

僕は今まで自分の本の数字を気にしてこなかった。
もちろん売れるように願って、よい作品をと心がけて描いてはきたけれど、
僕の目標は実はとても私的で、
作品に込めた自分の小さな想いとか感覚だとかを理解してくれる人がいればいいいな。
それは友達みたいなものだよね。
もう少し売れたら、そういう人が増えるってことだから、そうしたら嬉しいな。
そんなものだった。
なので商業誌である以上、出版社や書店さんへの責任があるのに、
ニッチな市場だけどそこで友達が広がって、
それで食べていける程度のお金が入ればいいくらいの考えでやっていたのだ。 
(漫画の販路や市場を押し広げようっていう野上武志さんからは怒られそうw)
でもコミカライズってそうじゃいけないって僕も思う。
自分の作品でありながらも、人様からお借りしている作品でもある。
伴走者として、しっかり盛り立てていく使命があるのだ。
それにこれは「ヤマト」なのだ。
漫画に携わる前にスタッフとしてスタジオで頑張っている人たちを知ったがゆえ、
一緒にヤマト2199を作っている皆の努力にちゃんとエールを送れる自分でありたい。
それが僕が描いたら見向きもされないってことだったら、申し訳なさ過ぎる。
応援どころか足を引っ張るハメになってしまうから。
だから、数字を意識した。
その結果は、今のところお荷物にならずに済んだようで、
胸を撫で下ろしている。
お話や絵への評価も概ね好感をもって見てもらっている様子。
このままちゃんと描いていきたい。

ただ、この評価って自分には怖いものだなと感じる側面がある。
僕はお金には興味がなくて、
社長をやってたときも
「君のようにお金にまるで興味のない人間は社長をする資格がない」
と顧問会計士に叱咤されるくらい。
お金があってもなくても自分の生活も行動も主義主張も変わらない、
自分の中では「足るを知る」が基本で、それ以上は余剰なものなので。
ただ「良い評価」には飢えている面があるように思う。
出来の悪い恥ずかしい残念な息子として親から馬鹿にされて育ったことや、
マイナーな漫画家であるという「評価されない自分」というものが
どこかにやっぱりルサンチマンとして存在しているから、
存在を肯定してくれる仲間を欲してというところに繋がって
漫画を描く力になっていると思う。
でも友人からの叱咤激励を含めた評価ではなく、
数字的な顔のない評価は何かを見誤りやすいし、慢心や増長を生みやすい。
またそれを求めるときに落とし穴がある。
先日もそれで実は自業自得な失敗をしたのだ。
それは来週に控えた夏コミ(Comicket82)のことだ。
申込時のこと、
3月からのヤマトの連載を控えていることを知っている友人が、
夏ごろには単行本も出ているだろうし、
「むらかわみちお」はもっと認知されていいはずだから、
ここは思い切ったことをしようと打診してきた。

僕のサークル「むらかわみちお党」は活動は長いけれど、
極めてマイナーな存在で、訪ねてくれる人も本当に少ない。
ちゃんとしたものをいつも作っている自負はあるし、
それを楽しみにしてくれている人もいる。
だけど周囲はその数の印象とギャップがあるのだろうと思う。
友人が以前、僕の所へ委託で数十部預けていって、
そのままコミケの閉会後、顔も出さずに帰ってしまっていた。
僕の机には売れ残りの委託本の山。
どうしましょうと電話したらビックリされた。
僕の場所だったらあの程度の数は全部さばけて、
夜の打ち上げで委託分のお金の受取りだけで済むと思っていたと。
実際、他に預けた所では全部売れてしまっていたとのこと。
つまり僕の認知度が人並み以下だってことを友人は完全に見誤っていたのだ。
ヤマトの同人誌を作っていた時だって、
あんまり出ないので、「ウチで売ってあげるよ」と同情を買うほどだ。
(実際、寄稿してくれた人に申し訳ないほど)
あげくこちらは在庫があるのに転売屋が高値で売りさばいていた
その異常な姿に悩ましい思いをさせられた。

「思い切ったことを」と言ってきた友人のプランは
・自分は曜日は異なるが壁サークルがほぼ常態化してる。
・合体サークルで出れば、むらかわも一緒に壁。
・競争相手の多い最終日ではなく、曜日を変えることで目立つ。
それで認知度をあげていこうというものだった。
別の曜日に出たことはないし、その雰囲気も知らない、
合体とかコミケのシステムもよく分からないので、
全然乗り気ではなかったのだけれど、
「もっと認知されるべき」「いい本を作ってるんだから」という言葉に
気持ちがうずいているのは事実だった。
結局僕は回答を留保してしまって、
必要事項を記入した申込書に、ジャンル欄だけブランクにして
「任せるから」と友人に預けてしまったのだ。
当然、友人は自分のプランを実行する。
そして当落が判明した。
結果は当選はしていたけれど、
彼の思惑とはまるで違うものだった。
狙った曜日でもなく、館でもなく、壁でもない。島の中の一部。
10日の金曜日って平日だ。
特定のジャンルを指向するする人は別にして
僕の描くような傾向のものを求める人は土曜日曜にリソースを集中するだろう。
そのほうが無駄がない。
そして無名の僕をわざわざ平日に訪ねるなんてありえない。
つまりこれまで以上に絶望的に誰もいない、来ないことに決定したのだ。
今風に言えば僕の「夏コミ終了」。
僕にとってコミケって何かと問われれば、
友人と会ったり、お客様とお話したり、他人の絵をみて刺激を受ける機会だった。
それをも失ったのだ。
訪ねてきてくれる人を裏切ったようなものだ。
自分が馬鹿な欲を出した為に
大切にしてきたものを自ら放棄したんだ。
愚かな自分。醜い自分。汚らしい自分。本当に大嫌い。
友人は善意で言ってくれたことなので、別に恨んでもいないし、感謝もしてる。
悪いのは、認知とか存在の肯定に己の分を超えて強欲を発揮した僕の心だ。
そういう欲をもって、これまでの人生で一度でも叶ったことがあったか。
どれも手痛いしっぺ返しや後悔にまみれた失敗ばかりだったのに、
それを肥大した我欲から忘れてしまった馬鹿者。
だから、ヤマトが好調、好評と言えども、
己の浅はかさから負ったこの罰をちゃんと意識して、
作品を描くことに気持ちを傾けていかなければと思う。
これが暗い話。

ただヤマトを描いていて、
誰かのためにっていう想いだけではダメだなと思ってる。
作品として、自分の生き様から語れるものを刻んでいかないとと考えている。
「アニメを補完をしてくれている」っていう評価は好意的でもあまり嬉しくない。
補完をしたいわけじゃない。僕は語りたいことがあるんだ。
そういう欲だけは持っていいよね。

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