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2012年10月

2012年10月16日 (火)

ヤマトと模型と

ネーム作業もとりあえず見通しがついてきたので、小休止。
今月休んで来月60Pのボリュームでと提案したけど、
担当の段階で堰き止められて、とにかく描けということになった。
まぁもちろん、描くのはやぶさかではない。
連載だけでなく単行本作業など含めた工程管理などを鑑みた提案だったけど、
基本はやはり毎月描くってことだし。

10月に入ってヤマト2199は第3章が劇場公開。
当然自分の中でも話題性というか、動きが活発になってくるのだけれど、
不思議にそこへ模型とか造形っぽいものが
タイミング的にからんでくる時間を過ごしていた。そんなお話。

僕は模型に対しての素養がない。
手先が不器用で、子供の頃から、自分のイメージと工作されるものとのギャップが大きい。
僕は耐え難いほどの落差が文字通り嫌で嫌でしかたがなく、
学校の図画工作の工作で、
上手くいかないその作品を大概は放棄して提出をしなかったものだから、
僕の通知表は小学校から高校生の「美術」に到るまで「2」がデフォルト。
相性の悪かった高校の美術教師と険悪になるのは当然で、
校内放送で呼び出して「通知表を1にして卒業させてやらない」とまで言われたのは
今でも不愉快だ。
あげく、不得手で美しくないものを提出することで「2」だけは貰い卒業したのも不本意だ。
(自業自得ではあるのだけど)
まぁそんなわけで図工がダメだったのと、
周囲数kmにわたって玩具店や書店などない寒村で育ったので、
本もプラモもなかなか触れる機会のない子供時代を過ごしてしまい、
組み立てから塗装にいたるまでチンプンカンプン。
とにかく全然作れなかったりする。
というかまともに作ったことがない!
ヤマトの作画資料ももちろん自分でプラモを買って作れるわけもないので、
お友達の作ってあったものを都合していただいたりという状況。
(1/1000ヤマトはなぜか桜井信之さんが組んだものが手元にきちゃって恐縮してるけど)

と、ここまでが前置きで、
つまりは模型に関しては「作る」ことには理解に乏しく
したがって興味も薄かったりする。
ただ、他人が作った「完成品」はその制作の苦労を1mmも理解しないまま
それでも表面のみを見て素敵だなぁキレイだなぁ、かっこいいなぁって思う。
子供が大人がしていることを魔法のように羨望の眼差しで見ちゃうのにも似ている気がする。

で、ヤマトの第3章の試写会があったその日の午前中、
会期が終了間近だった「特撮博物館」に行ってきた。
会期末ゆえ平日でも大混雑と聞いていたのだけれど、
なぜかその日は不思議に空いていた様子で、
開場20分前に着いて、その時点で列は10人もいない。
当日券を会場で購入の人が抜けた段階で、僕が入場のTOPになってしまうくらい。
で、ガラガラのまま、ゆったり眺めて3時間で見終わった。
感想としては「懐かしいな」の一言。
大体の作品は子供の頃から観てきているので、目新しいことはない。
ただ、本物を郷愁とともに間近で見る醍醐味を味わう感じ。
模型の造作は前述の通りぜんぜん素養がないので、
造形の観点から何かを創り手として受け取ることができない。
以前に見た「大友克洋原画展」なら、どうやって描く、どんな思想や理念で描いてるとか
その展示物からどんどん想像し吸収していけるのに、
模型だとほんとにそういう感受性が空っぽなのだ。
未来に向けて自分の中で情操が育まれることがない。
だから逆に印象に残ったのは成田亨さんの言葉にあった
美術家とデザイナーの意識の違いが怪獣(星人)のデザインの優劣を生んでる
というようなコメントだったりする。
あとは「巨神兵東京に現る」。
これは未来に対して特撮がどうその存在を問うべきなのかっていう
野心のような危機感のようなものが見えて、
とても面白かった。
ここにはノスタルジーではない、今と未来があったから。
作品自体は、巨神兵のスケール感がシーン毎にまちまちで変だったのと、
平常時のライティングがどうにもチープで、
そもそも自然光のらしさではなく、
特撮的な空間を目指したのかなって思うような画面だったので、
そうした違和感が気になってあまりスッキリしなかった。
この「博物館」に寄せられた展示品には
ご遺族を騙すようにして他人が私物化した「個人蔵」がいくつもあると聞いているので、
見ながらちょっと複雑な気持ちだった。
アニメ業界にもそういう輩がいるとは聞いていたけれど、
どこにもいるものなんだな。
でも、展示品の価値を損ねるものではないし、
とても懐かしい時間を過ごせて楽しかった。

で、その夜は試写会。
第3章はオリジナルの要素は強まるのだけど、
誰もがどこかで思い描いていたようなヤマトな色をちゃんと備えていて、
その上で2199が新しく拓いていくであろうストーリーを予感させて楽しかった。
また作画が第2章と比較して素晴らしく良い。
例えば2章はコスモシーガルのコクピットが背景でなくセルで描かれてるのだけど、
全然設定を読み込み理解した絵になってなくて、唖然としてしまったが、
3章はそんなホコロビを感じない。
今後もこのレベルでいったら最高だなぁ。
そして公開初日にも行ってしまった。
前の晩には西川伸司さん達が登壇したLOFT PLUS ONEの「ヤマト講座第2章」を
こっそり観にいって、ちょっと前夜祭というか徹夜組的な高揚感も得て、
新宿ピカデリーで鑑賞となった。
2度観ても、実に良い。
スタッフでもある僕があまり褒めてもアレなのだけど、
ガマンできずに劇場でBDを早速購入してしまった。
またすぐにでも見たい、そんな出来。
漫画連載が休みになる12月には
また少し設定をお手伝いするつもり。
そうそう、初日は舞台挨拶があって2回目の登壇前に
ちょこっと楽屋裏を覗かせてもらって、監督と雑談などと思ったら
そこにNA誌の編集長様が!
原稿描かずに観にきてるのを見つかってしまって、にゃっはっは。
「よろしく頼みますよ~」と笑顔のプレッシャーを受けて退散。
お昼ゴハンを劇場で会った北崎拓さんたちといただいて、一応帰途へ。

と思いきや寄り道をひとつ。
スケールアヴィエーション誌などに作品を発表されているモデラーでご近所様のsimさんが参加されている
(SA誌11月号の表紙はsimさんの作品)
テングモデラーズ第1回作品展「飛行機モケイ」を覗いてみた。
http://tengumodelers.blog.shinobi.jp/
理由はフライヤーの飛行機模型の写真が素敵だったから。
http://file.tengumodelers.blog.shinobi.jp/tengu_B5.jpg
光の色と影が絶妙に美しい。
聞けば自然光で撮影したとのこと。
こういう存在感と空気感から生み出される広がりと予感が好きなのだ。
展示されている模型も面白かった。
普段は戦車とかマシーネンとか、飛行機模型を主体にしていない人たちが
自分なりのアプローチで飛行機に表現を求めているから、
そこここに遊び心や主張がある。
素人の自分には完成品にあるそうした踏み込みがちょうど良くアプローチをしてくれて
飽きが来ないものになっていた。
simさんだけでなく、イタリア軍研究家のよしぞうおねえさまも会場にいらして、
模型に不案内な黒子に、色々と説明をほどこしてくれましたの。
また参観されていた模型誌の編集さんや
参加されていたMAX渡辺さん、山下しゅんやさんにもご紹介にあずかった。
渡辺さんは実はヤマトファンで、かつてはメカコレを全部作ったこともあり、
ヤマトがなければ今の自分はなかったとお話してくださったり、
以前から僕の漫画を読んでいただいているとか、
リップサービスとはいえありがたくも嬉しいばかり。
WildRiver荒川さんとはお会いするのは二度目だったけれど、その時は数分もなかったので、
今回はゆっくりとご挨拶もできた。
なんと現在、ヤマト2199のジオラマを作っていて、11月には模型誌で掲載になるとか。
絵に描くと大変なものを作っていらしたので、
ぜひ参考に拝見させてくださいとお約束をさせていただいたり。
実に刺激的な時間を過ごせた。

だけど家には仕事があるので、
陽が傾く前には家路についた。
不思議に造形物とヤマトが相乗りしてくる月初だった。
さて、ネームの続きを…。

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2012年10月11日 (木)

2巻は1月10日

角川との会合で「宇宙戦艦ヤマト2199」第2巻の発行は来年の1月10日に決まった。
どうやらちょうど第4章の劇場公開がその翌々日の1月12日ということなので、
タイミング的にも華やかだなと思う。
仕事的には現在、2巻に収める分のプロットは切り終わった。
エンケラドゥスの「ゆきかぜ」のお話までを収録する。
残り60頁ほどなんだけど、
頁配分がちょっと掴めなくて、
場合によっては一回で描いてしまう方法がいいかなとも思い、
編集部には今月はお休みして
12月発売号で一気に載せるという案も打診している。
その方が単行本の修正作業にも時間配分ができそうだし。

単行本は、カバー画が肌色ばっかりの昨今のコミックス事情の中で
「メカ」それも艦船で行こうってのは、
ニュータイプA編集部がガンダムA編集部と同じだから
発想的に理解をしてもらえてる部分だと思う。
また、僕が描くのでなく、玉盛さんにお願いすることを許してくれているのも、ありがたいことだ。
だけど次回の絵柄については方針を巡って平行線。
1巻はヤマトを据えた訳だけれど、
2巻は点から線、つまり単行本のデザインの方向性が見える巻でもある。
だから僕は、艦船(メカ)をラインナップしていくのだという表明の意味で、
2巻の内容とリンクする「ゆきかぜ」をカバー画に希望しているのだけれど、
編集部は『「売るために」また「ヤマト」だ』を譲らない。
つまり点であり続けようとしている。
僕はコミカライズの使命として売ることはもちろん理解するものの、
ヤマトにしたら今後も同じ理屈でヤマトを繰り返す前例を作ってしまい思考停止に陥る。
また各巻のデザインとしても区別がつきづらい。
なので色々対策案を出して議論中。
そもそも漫画の単行本表紙は作家に裁量があって、
ほぼ自由に描いたその絵をカバーに据える。
なのにもめなくっちゃならないのは弱った事情だ。
こちらから提案した対応が通ってくれればいいのだけど。

ヤマトの漫画は相変わらず一人で描いてる。
(PC作業のオペレートとトーン作業のアシさんはいるけれど)
連載第1回のときは、友人二人にお願いして描いてもらったが、
一人はさすがの出来だったけど、
僕の望む感じにと僕自身でそれに手を入れてったら、
最初から僕一人で描いたのと変わらない時間をかけちゃったので、
こりゃ自分で描いても同じだって結論になっちゃった。
(しかも単行本では依頼した17カットのうち10カット以上を僕が新規で描き直しちゃった)
もう一人は、「手伝わせて」と言ってきてくれた人だったけど、
リテイクを繰り返しているうちに時間切れになって、結局僕が自分で描いてしまった。
僕が1時間で描くものを数日かけていては、漫画はまかりとおらない。
そしてその彼も後日手伝いを辞退してきた。
ヤマトや戦闘機のシルエットを美しく描ける人だったので、期待していた分、もの凄く落ち込んだ。
仮に自分のオリジナルならば、そこまではリテイクも出さなかったろうけれど、
これは「ヤマト」なので。
以来ずっと一人で絵を描いてきたわけだけれど、
さすがに作業的に厳しい局面はあるので、
夏だったか編集部にメカの描けるアシさんのつてを尋ねてみた。
前述のようにガンダムA誌の編集部も兼ねているので、
月半ばに〆切があるGA誌であれば
月末に〆切になるNA誌ならタイミング的に
手が空くガンダム系のアシさんがいるのではないかと思ったのだ。
それで編集部があたってくれた結論は
「ロボは描けても戦艦や飛行機は描けません」って人が多かったとのこと。
僕はメカが苦手というか興味が全然ない人間なので、
ロボと戦艦と何が違うねん!って愕然としたのだけど、どうやら違うらしい。
僕は「漫画家は嫌でも下手でも描かなきゃならない」っていう考えだし、
これまでもそうして描いてきているので、
よくわからない。
そんなこと言っていたらヤマトなんて描けないし。
僕にあるのは、苦手なものでも、キレイにカッコヨク描けたら嬉しいから頑張れる
って気持ちだけだ。
かくして、これからも一人で描いていきまする。

あ、でも敬愛する あびゅうきょ先生に描いていただいた
恐竜さんパォ~ンと木星は素晴らしかった。
1本たりとも線を加筆したり修正したりしていない。
僕のイメージ以上のものに手など加える必要がないから。
また機会があればお願いしたいなぁ。
その意味ではスポットではあっても厳密には一人ってことはないか。


追:
今月末だったかに発売になる電撃ホビー誌のヤマト特集の記事に
次号(11月発売号)の付録、コスモファルコンの模型の予告宣伝カットを描きました。玲ちゃんのイラストです。
模型はちっちゃいけど、凄く良くできてますよ!
不器用なので模型はやらないため、完成品を一応資料としていただきました。
これでメカ作画の助けになるるる。

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2012年10月10日 (水)

骨の音

先日、黒葉さんの葬儀に出席してきた。 
最寄り駅で野上武志さんや神崎将臣さんたちと待ち合わせて、郊外の斎場へ。 
天候にも恵まれ、秋空が高く広い。 
今年亡くなった伯母の葬儀は雨だったのを思うと、やはり天気はいい。 
葬儀会社もいれず、本当に簡素で簡潔なつつましい葬儀だった。 
過去の仕事柄、あれこれと葬儀には出席したし、裏方も務めてきた。 
自分の父親の葬式も、父の会社の従業員や葬祭業者を指図して、 
300人を超える弔問と式を取り仕切ったこともあった。 
そうした経験の中で、一番に質素な葬儀だったけれど、 
でもこうした規模と内容も静かでいいなと思った。 
母が自分の葬儀は人も少なくごく小さなものがいいって言っていた覚えがあるけれど、 
なんだかそれに通じるものがあったように思う。 

ただ不満というか失敗もあった。 
公営の斎場で職員から10時から始まると聞いて、 
指示された待合でスタートを待たせてもらっていた。 
ところが11時を過ぎても音沙汰がない。 
親族であり喪主のお姉さんも葬儀会社を入れていないし、要領をえない。 
そりゃ葬式などの段取りにそうそう慣れて明るい人は多くない。 
ご遺体を燃やす前にお別れをして、 
数人はそこで引き、親族も少ないから野上さんたちがお骨を拾うのに立ち会う 
そんな段取りを内輪で話し合いながら、ただひたすらに皆で待っていたら、 
斎場から、「焼きあがったのでお骨を拾って欲しい」との通達。 
つまり出席者の誰も、黒葉さんの顔を拝むことがないまま 
いつのまにか荼毘に付されてしまっていたのだ。 
葬儀会社が入っていたら、こういう段取りにセレモニーを混ぜていくので、 
都度都度に動きを知らせるのだろうけれど、 
公営の斎場の職員は役所の人間なので、 
業者が入った葬儀に慣れすぎていて、基本的な通達すらせずに、サービスの概念もない。 
迂闊だった。 
喪主であるお姉さんがどんなお考えなのかを予め知らなかったし、 
おそらくお姉さんもどうなっているのか理解していなかった。 
出すぎたことはいけないだろうと、サポートを申し出られなかった我々。 
しかも神崎さんが弔問の主体だと考えてしまっていた僕らも遠慮していて、踏み込んでいけなかった。 
ようは三竦み状態になっていて、 
役所の無能と無配慮を放置する結果になってしまった。 
あとで、神崎さんが「斎場の職員のせいで顔が見られなかった」と立腹されていたが、 
まったくそうだ。 
踏み出せない参列者の均衡を崩せるのは、職員の言葉なりサービスでしかなかったはずだし。 

葬儀を済ませ喪主とお別れし、皆で駅へ出て、昼食兼献杯の席。 
顔を拝められなかった気持ちは残るけれど、 
だけど顔を見たら泣いちゃうし、 
なんだか姿を見せずに飄々といつのまにか去っていっちゃったのが 
黒葉さんらしいねって 
皆で話し合って思い直して、 
それで故人のことを話しながら笑いあって、お仕舞いになった。 

そんなとてもとても小さく静かな葬儀の中で、僕の印象に残ったのは 
焼きあがったお骨を骨壷に納めるときの音。 
サイズの小さな壷に大人の男の骨を納めるため、 
職員が壷の中のお骨を手で押し潰していく。 
そのなんとも軽い音が無言の僕らの間で響いていく。 
そして頭蓋骨の名残を一番上に乗せる。 
それもカリカリとした本当に軽い音。 
焼かれた骨の音。 
人間という固体が最後に出す音ってこういう音なんだなって思った。 
何度も親族の葬儀に出たのに、 
初めて音を意識した。 
そんな静かな葬儀だった。 

黒葉さん さようなら。

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2012年10月 3日 (水)

言葉と気持ちと

からくも脱稿し、月が明け、たたんだ会社の件で関係各所ををあちこち巡ってきた。
そのあとメーカーを経営する親しい社長さんと話をした。
漫画を描いている時間とはまったく異なる、
多くの人の言葉と思惑の洪水に身をさらす時間。
自分はかつてこの中にいたのだと思い出されると同時に、
その時の感覚も甦ってくる。
この二日間は確かに僕は以前の「社長」だった。
お酒を酌み交わしながら、
若い社長さんからは企業後継者としての苦しい胸の内をたくさん聞いた。
頑張っている。動いている。そして迷っている。
自分が拠り所にする筋道を探している。
それを聞いてくれる人は周囲に決して多くない。
僕はそれをすでに過去形にしてしまった人間だけれど、
彼は今まさにその場にいる。
あのときの僕に社長仲間がそうしてくれたように、
話に耳を傾け、ねぎらい、気持ちを重ね、
そして考えを伝えた。
彼の会社は僕の会社よりよほど立派で、社会にも必要な存在だ。
僕の言葉で彼の行動に勇気と軸が添えられたならと思う。

もどかしく、苦しい心根の言葉をたくさん聞いて帰宅をしたら、
訃報が届いていた。
野上武志さんのスタジオで僕と一緒にお手伝いをしていた
漫画家の黒葉 鉄さんが急死された。
自著の他にも神崎将臣さんや青池保子さんの作品のお手伝いもされていらしたので、
長いキャリアと現場に裏打ちされて、
色々と楽しいお話を聞かせてくれた。
僕のまかない料理をおいしそうに食べてくれた。
そういうことが思い出されて、涙がこぼれた。
野上さんから電話で事情を聞いていても、泣けてしまって僕は言葉にならない。
一緒に仕事をしていた人が亡くなるって感覚は
こんなにつらいものなんだな。
以前、ある人の漫画連載に助っ人で急遽呼ばれたことがあった。
その時は予定していたアシさんの体調不良ゆえのピンチヒッターでという事情だったのだけれど、
アシさんを心配したその漫画家さんが
知り合いに様子を見にいってくれるよう頼んだら、
そのアシさんが自宅で亡くなっているという連絡が飛び込んできた。
僕は傍らで絵を描きながら、そのやりとりを聞いていたのだけれど、
あのとき、とてもショックを受けていらした漫画家さんの気持ちも
この僕の気持ちと同じだったのかな。
こんなにキツイことだとは思わなかった。

残念だとか、ご冥福をとか、そんな気持ちに全然なれない。
理解できないし納得できない。
ホントでも嘘でも、
黒葉さんがいなくなったという言葉だけで
その悔しさと喪失感から涙がでる。
昨夜は泣きながら眠ってしまった。

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