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2013年3月 2日 (土)

とぎれないのは

連載は無事に脱稿。 
今月もアシさんの手伝いに頭が下がる。 
僕の原稿料は安いものなので、 
今の角川を含め業界ではなかなかベースアップは望めないかもだけど、 
それでも印税はありがたいことに増刷があることで入ってくるので、 
色んな形で感謝を返していけたらなと思ってる。 
2月発売号の原稿はほぼアシさんの手のままで入稿してしまったけれど、 
今月は、そこから全部僕が手を入れたので、 
自分的に納得のいく仕上がりには持っていけているはず。 
アシさんの仕事が悪いのではなく、イメージの差を埋めていく作業なのだ。 
でも人と仕事していて素晴らしいなと思うのは、僕が考えている以上の仕上がりがアシさんの手であること。 
そういう幸せな感覚があるから、自分の原稿でもドキドキする。 

今月号は後半にコスモゼロやファルコンがたくさん出てくるので、かなり大変だった。
(こんな密接な編隊飛行は作戦時にしないだろうけれど、そこは漫画的表現ということでw)
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僕はメカは得意ではない。 

自然物を描くほうが好きだから。 
だからヤマトの艦容も戦闘機も自然物と思って描いている。 
最新鋭の戦闘機はもちろん切れるような鋭角性や 
シェイブ感の美しい曲線で構成されているのだろうが、 
そんなことは恥ずかしながら素養がないので、 
僕は超ジュラルミンを打ち出したり、溶接したりして作られたような風合いが 
描いた線にあるようなものを目指している。 
カップやきそばのお湯を切るときにステンレスのシンクが「ボコン」というような、ああいう金属の感覚。 
定規なんかですぱーっと描いたらもったいないよ。 
変だから良いんだ。歪んでるから愛らしいんだ。それが自然のものだもの。 
空も雲も星も美しい。描くことの幸福を感じる。 
ヤマトは城のよう。 
誰かの心と想いを載せて作られた、人の結晶。 
無骨だから惹かれる。 
色んな見え方をするのが素敵。 
大きなシルエットはきっと人の心に刻まれる形となる。 
それをテンプレで描いたらもったいない。 
丸だって曲線だって直線だって、手で描きたい。 
だから厳しい日程でも逃げないで描いた。 
そんなこと言ってるから、誰も描いてはくれない。僕が描くしかないんだけど。 

そのようなこともあって、〆切は自分が申告した日より一日オーバーしてしまった。 

で、そのオーバーのせいで 
自業自得ながら、あれこれその後の日程に負担が増えてる。 
4月のTV放映、劇場での5章公開を睨んで、 
あれこれとカラーイラストなどの発注が増えてきている。 
仕事が途切れないのは良いことだけれど、もうかなりアップアップな感じ。 
今月は来週中にカラー5点は納めないとだし、 
そうこうしていると連載原稿に完全にしわ寄せがいって、大変なことになる予感。 
行きたい映画もあるけど、あきらめるしかないのかな。 
いや、それより確定申告の準備が済んでいない。これも急がねば。 

酒席も控えめにしよう。 
まぁ、漫画にかかると外には出られないから、 
本当に月に数回、友人知人と会食するだけだけれど。
 

昨夜は親しい編集者さん二人と夕食。 
考えてみると両人とは仕事ではご一緒したことが無い。 
片やすでに大ベテランの編集長さま、 
片やデザイナーから転身の若手編集者。 
どちらも漫画読みで、漫画馬鹿。 
どちらも漫画を愛してやまないし、漫画のこれからを懸命に考えている。 
そして編集者としての気骨と胆力にに満ちている。 
僕はもっぱら聴き役だったけれど、ざっくばらんに安心して話してもらえるのは、
僕も元編集者だし、
一緒に仕事してないからかな。 
随分厳しい実情にも触れた。 
かつては作品がテレビにもなったような漫画家の多くに仕事が無く、 
「何でも描きますから」と持ち込みに来ていることとか。 
お話はもちろんのこと技巧も演出も優れているのに、描く場が無い。 
それは漫画雑誌を含めた市場の問題も反映してるだろう。 
作家などという呼称も使われるけれど、そこに「商業」の文字を足すのが漫画家には相応しいはずで、 
時に定量的に、時に定性的に漫画という仕事は常に測られている。 
自分の市場価値ってものと、漫画家としての自負がミスマッチをし始めると 
こうした状況を生むことにもなるんだろうなと思う。 
ベテラン漫画家の確立した自らの漫画の文法やルーチン、型が、 
そして実績という成功体験が 
現実として作家を追いつめているのではないだろうか。 
例えば前者の「型」だけれど、 
ようは培った技巧やパターン、手癖などは、漫画の時代や流行、表現の刷新の中で、
いつのまにか陳腐化しているのに、
そこに思い到らず、
自分的に生産効率の良いルーチンとして廻し続ければ、
それは市場ニーズと乖離してしまうし、 
自分も技巧技法の柔軟性を欠いてしまう。 
個性なのだと主張しようとも、その陳腐化の闇を超えて、 
普遍性を獲得できる絵柄はまだそう多く存在してない。 
後者の「実績」は 
依頼先として扱いづらい、使いづらい商売相手になってしまうということ。 
つまり市場の現評価と原稿料が噛み合わなくなっているのではないか。 
以前に面白い記事をネットで読んだ。 
どこかの漫画編集部のコラムみたいなものだったと思うけれど、 
「原稿料=単行本の部数」という数式だ。 
(ここでの原稿料は雑誌掲載の一枚当り単価) 
例えば10000円の原稿料なら、その作品の単行本は10000部をクリアすれば合格というもの。 
つまり18000円なら18000部は売らないと出版社の損益分岐を超えない。 
実はこの数式は厳密に関連性もないし、帳簿から理屈に従って求められた解でもない。 
「不思議な符合」なのだ。 
でも実に分りやすい。 
僕の「虚数霊」が続けられなかった理由もこの数字で明確に分る。 
そしてここから導き出されるように、 
ベテランの漫画家や、大手でそれなりに原稿料の高い水準を経験してしまった人は、 
この稿料と部数の関係が示すような状況にギャップがあるのだ。 
生活水準への執着や自己本位なプライドなども、艦橋変化への対応や自己診断を誤らせる。 
ようはしがみつくものを心に抱えた時に危機は本格化する。 
そしてもう苦しんでいる漫画家が出てきている。 
油断していると自分で首を絞めているのだ。 
不誠実だと言うのではない。 
普通に真面目に漫画を描いてきて、そんな自分を信じて、価値を意識して、やってきた結果に落とし穴がある。 
エンプロイアビリティという、もう10年以上も使い古された言葉の認識が、 
漫画家には少し足りなかったのかもしれない。 
それが仮にあっても、漫画という仕事は易々と矯正のきくものでもない。 
他人事ではないのだ。恐ろしさに震える。 

イラストで食いつないでしまっていて、漫画家へ脱皮できない人たちの話も聞いた。 
漫画家になりたいと希望を掲げ、口にしながら、でも漫画1本をろくに仕上げられず、 
それを他人のせいのようにして、逃避し、イラストを描いて心を誤魔化し、 
そして「いつか漫画家になるはずの自分」に作家でございと溜飲を下げる。 
岸田メルさんがUSTの配信か何かで 
ラノベ関連のイラストで食べていくことの難しさを語っていたけようだけれど、 
イラストであれ漫画であれ、それを仕事として続けて食べていくのは 
努力と研鑽と、そして市場を読む力が求められる。 
漫画家になりたけいどイラストで…でなんとかなるものではない。 
(それはイラストを仕事として食べている人を愚弄してる) 
そして漫画とイラストは根本的に求められる技能や技量、仕事のリズム、技法など違う。 
極論を言えば、イラストをこなして漫画家になるつもりなら 
それは考え違い。 
逆にイラストを描いていると身も心も漫画家から遠ざかってしまう。 
そこすら理解できないで、過ごしているなら、漫画家にはきっとなれない。だから脱皮もなにもない。 
そして若い人には、大手3社を目標にしているがゆえに、 
不思議なプライドが自分の中に生まれて、 
他の雑誌社を低く見てしまうこともあるのだそうだ。 
モチベーションとして何をその源泉にするかは人それぞれだけれど、 
まだ大手偏重みたいことを思ってる人がいるんだなぁというのが僕の感想。 
漫画はどこからでも作品を積めるし、 
ちゃんとしたものを発表しているなら、それが自ずと道を拓いてくれる。 
他誌を低く見るような理屈を自分の中でつけて、 
結局は漫画を描かずに、イラスト仕事では、どこへ行くやらだ。 

と、聴いた話であれこれ考えたりしながら、夜はふけてしまって、 
雨の上がった道を自転車漕ぎながら、アロハの半袖を抜ける風が気持ちよく、
春が来たんだなと思う夜だった。 
そんなことを脱稿後にしているから時間も無くなるのであって、 
さぁ今日もあと数点はラフを描いて、提出せねば! 
今月も漫画の原稿が待ってるしね。

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