« ほんとほむほむ | トップページ | お詫びと訂正 »

2013年11月19日 (火)

食と老い

昨夜、単行本の加筆修正をほぼ終えた。
既発表分の90%位の頁には手が入っている。
もっぱらトーンのフィニッシュとデッサンの修正などだけれど、
新規に描き直した部分もあるのでお楽しみに。
(旧)

Y16_18
(新)

Yc04_020
ついさっき、食事にと老いた女性二人が切り盛りする近所の定食屋へ。
老いたと書いたけど、二人ともきびきびと仕事をされていて、店の雰囲気が良い。
量も値段も満足な品が多く、最近は週1回は顔を出している。
[参考] http://syounanlife.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-70c8.html

今日はめずらしく、お客さんが老人ばかり。
いつもは労務者風の人とかが多いのだけど。
で、その老人たち(男性も女性もいた)の食事の仕方が、個性的というか汚い。
箸の持ち方も正しくないし、
皿に顔を突っ込むようにする、所謂「犬食い」、
咀嚼しながら口をあける、
サラダの上にお新香とマヨネーズと醤油とふりかけをかけて食べる、
皆んなメチャメチャ。
まぁ、魚の食べ方が下手なくらいは許せるし、
サラダの件も譲れはする。
だけど美しくない。癖や嗜好が駄々崩れしただらしなさが滲み出てる。
なんだか傍にいて、人生の終わりってこんなんでいいのかなって気にさせる。

もし仮に若い人が同じことをしていたら、
多分、やんちゃで微笑ましいとか、
しょうがないなぁって笑って許せる部分もあろうし、
時に楽しささえある。
これが中年になると、とたんにいやらしい感じな残念賞になるのだが、
老人になると哀れに映る。
身体に覇気がないから、みすぼらしい。

食べる姿は猿に見えるから、人前で食事をしない~というような台詞のある映画があったけど、
摂食行動は確かに生々しい行為だ。
だからこそ社会や風土の中で人は食事作法を確立させてきて、
動物とは異なる線引きを意識してきた。
作法自体は多様であっていいとは思う反面、
個性としての嫌悪や忌避感という感受性の直結する部分でもあるので、
周囲には公約数としてのボトムを願うのもまたしょうがない現実。

いじわるばあさん
がんこじじい
ってのは昔からあるけど、
現代に照らすと核家族化や独居老人、個の切り離しの進む社会の中で、
生活面でも他者(非自己)とかかわりが減ってきている。
そうすると生活も個の「癖」や習慣が肥大してくる。
頑固とか意地悪とかもそうだし、
思想や発言なんかもそうだ。
家に篭ってとんがった言葉を無責任に垂れ流してるネトウヨみたいな連中も
そんな個室からの肥大した甘えの姿だ。
それは当然、生活習慣にも出てくる。
食事作法なども、個食が続けば、次第に他者を意識しない自分流が横行する。
今日の定食屋の老人諸氏もまさしくそんな感じ。

人は人の中で人になる。
では切り離された人、特にネットもない孤独な老人たちは
人ではなくなる危険にさらされている。
歳を重ねるほど、人のかかわりをもって、自分に厳しく、襟を正して生きないと、
本当に惨めな姿になってしまうんだなとか、
失礼ながら定食屋で感じつつ、ごはんをもぐもぐするオイラ。
その客の老人たちとさして変わらない年齢のご婦人が目の前できびきびと働き、
接客のモラルを高く持ち、笑顔で人と接している姿と妙に対照的で、
色々考え込んでしまったよ。

さ、それよりネームネーム。
次回分で単行本4巻の原稿はまとまるのだけど、なかなかに時間がないw

|

« ほんとほむほむ | トップページ | お詫びと訂正 »