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2014年2月

2014年2月20日 (木)

このラーメンは!

荒川区民は豚骨ラーメンが嫌いだ。 
僕はこのことを10年近く検証し続けて、 
同時にその豚骨の絶望的貧困に苦しんできた。 
スーパーの売り場担当者には 
「売れないから置かない」という明言を聞かされ、 
たまに間違ったように豚骨店が出来ても、 
不味いか、サービスが悪いかで短期間で消えるか、 
はたまた埼玉県が本社のチェーン・日高屋のように 
まがい物のような豚骨ラーメンを出すところで、 
ガッカリさせられることばかりだ。 
荒川区の周辺、足立区や台東区、北区には 
名店と呼ばれる豚骨の行列店も多いのに、 
現状でうちの区にはサービスも味も薄い博多の系列店が1軒のみというこの豚骨砂漠。 
ラーメン成分を身体がどうしても欲するときは、 
やむなく北千住へ出かけるか、 
近所の愛想とサービスの良い味噌ラーメンの店に赴く。 
(オイラは下町生まれだけど醤油ラーメンは大大大嫌い) 
スーパーで数ヶ月に一度、マルタイの豚骨乾麺が入荷すると大量購入。 
そんな空しいラーメン生活を送っていた。 

ところが風の噂で、濃厚クリーミィなスープのラーメン屋が荒川区にあると聞こえてきた。 
脚本も仕上がったことだし、探検ぼくのまち! 
自転車で荒川深部へダイブしてみた。 
そうしたら変な路地にあった! 
その名も「らーめんタンポポ」。 

Tanpopo
(写真はネットの拾い物:僕は食べる場所へカメラ持ちこむの嫌なので) 

東京都荒川区荒川6-53-11 
営業時間は、11:30〜14:00 + 18:00〜22:00 
定休日は不明 
https://twitter.com/tanpopo2013226 
Twitterのアカウントみると、どうやら去年の2月に開店みたい。 
伊丹十三の映画「タンポポ」と店名も味も関係ないみたい。 
店内はレゲエがかかっていて、店主もレゲエ風なヒゲ面w
「笑っていいとも」とか流れてる店は料理が美味しく感じない。
ああいう狂騒的なものが食事時に相応しいと考えられない。どうかしてる。
なのでこうした音楽は心地よい。


11時45分頃に入店したので客は僕一人。 
メニューは 
あっさりシジミの「タンポポらーめん」 
ほっこりこってりの「とりまみれらーめん」 
の2種類のみ。 
当然僕はこってりの砲を注文。(トッピングに白髪ねぎ) 
あっさりで醤油ラーメン出されたら血涙ものだし。 
ラーメン1杯にしっかり時間を使ってくれているのが好印象。 
チャーシューを炙っていたりと、手際はいいのに手数をかけている。 
出てきたラーメンはまるでポタージュのような濃厚なスープ! 
純粋な豚骨ではないのだけれど(鶏白湯?) 
鳥や野菜の旨味とコラーゲンスープのようなたんぱく質系の量感がある。 
(実際、食べたあとの唇がコラーゲン鍋のあとみたいにベタベタに) 
熊本ラーメンのような強烈な動物臭は皆無。 
天下一品ラーメンよりは軽いけれど、 
それより味が滋味深い。 
麺との相性もいいし、 
スープの濃厚さが蓋をして冷めるのが遅い。 
チャーシューは豚かと思ったら鶏チャーシュー。 
臭みがなく、繊維質で解れやすく、かつ焼き目がほのかに香ばしい。 
メンマは太めで存在感がある。 
青菜があってもいいかなと思うけれど、 
青臭さはこのスープの旨味を上書きしちゃうだろうから 
主張の少ないチンゲンサイあたりが限界だろう。 
現状の白髪ねぎなど、ねぎ系の辛味と臭みのほうが良い。 
これは荒川区に近年なかった素晴らしいラーメンだ。 
食べているうちに昼12時を過ぎ、お客さんが来たけれど、それでも5人ほど。 
やはり荒川区民はこうした類のラーメンを敵視しているようだな! 
以前、「中国嫁日記」の井上純弌が僕に向かって 
「アンタとあさりよしとおの褒める漫画は絶対に売れないから、俺の本を褒めるな!」 
と言ったけれど、 
(ゆえに僕は仮にたまに面白くても彼の漫画を褒めてない。友達だしね) 
でもね、僕は本当は好きなものは堂々と褒めたいんだ。 
褒めると潰れちゃうかもだけど、褒めたいんだ。 
美味しかった。 
店主に「ごちそうさま。美味しかった。また来ます!」って言って店を出たよ。 

追:とりまみれらーめんは¥700 白髪ねぎなどトッピング類は各¥100

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2014年2月15日 (土)

僕がオセロゲームをする理由

今週やっと連載を脱稿した。 
アシスタントさんたちの仕事にとても助けられた。 
仕上げ効果に色々提案もあって、 
仕事はジャムセッションでありたいという僕にとってはそれも凄く嬉しい。 
僕の漫画というかネームは、 
本当にどうしようもないほどまったりとした、 
凡百な構図を切り取ったりしてしまって、自分の無能無力を痛感するけれど、 
それでもなんとか頑張ったつもり。 
もっと上手くなりたい。 

さておき表題のお話。 
以前の日記で少しだけ触れたけれど、 
僕はカードやボード、ビデオゲームの類を殆ど知らないできない。 
世代的にはオーソドックスなカードやボードのものと 
ファミコンなどのビデオゲームの黎明期に接しているので、 
広い視野と体験を伴っていてもおかしくないし、 
同世代の友人には造詣の深い者も多く、仕事にしている人もいる。 
ゾルゲ市蔵さんの著作など読んでいると、 
地方でもこれほどの温度を持って向き合う体験をしている人がいたのだなと本当に驚かされる。 
だけど自分はゲームの素養が極めて少ない。 
なんでそこまで欠落しているのかはさておき、 
片手で足りるような数の遊び方を知っているゲームの一つに、オセロゲームがある。 
子供の頃に父が流行りに乗って購入してきたのだが、 
親はいい加減な人だったので、ルールをまったく知らず、覚える気もせず、 
買ったはいいが、五目並べの要領だろうと勝手に考えて使い、 
当然ながら飽きて放置してしまった。 
その哀れなゲーム盤の正しいルールを小学生の僕が知るのは数年後になる。 

数年前に携帯電話の機種変更をした際に、 
そのアプリの中にオセロゲームが入っていることに気づいた。 
(というかリバーシという名なので最初は知らないで触らなかった) 
ちょっとした時間があると、それをやってみるようにしている。 
初級・中級・上級というレベル設定があって、 
僕は中級で8割くらいは勝てる感じだ。 
上級になるともちろん辛い勝ち数なのだけど、 
面白いのは初級での勝率は5割程度。 
プログラムのせいなのだろうか、 
弱くするために、時々筋道としてありえないような 
妙なはずし方をした手を打ってくるから、 
読みや調子が狂ってそのまま負けてしまうケースが多いのだ。 
ようは非常識な手なのだ。 
その意味では中級は常識的。 
僕はそうした階層の妙を楽しんでこのオセロをしているわけではない。 
目的はまったく違うところにある。 
一つはJAZZ的な即興性の感覚を大切にすること。 
「読み」と前述したけれど、自分に課しているのは2手先は考えない。 
長考はしない。 
その場の配置から感覚を大切に一手を決める。 
そして勝てる定石やパターンが感覚的に見えてきたら、それを捨てる。 
そういうルーチン化こそ感受性の敵だから。 
JAZZの即興演奏はいい加減な音の羅列ではない。 
音楽的な理屈と筋道を実直に踏まえた上にある感覚的な自由を展開するものだ。 
オセロゲームでは相手より数を稼ぐという理念とルールがそれだ。 
それを前提として、即興性を模索していく。 
当然ながらそれは上手くいかないこともある。つまり「負け」だ。 
そしてこの「負け」がもう一つの大切なことに繋がる。 
全能感の放棄、敗者としての自分を常に自覚し続けることだ。 
人生はままならず、常に脇役である己の愚かしい主人公願望を捨て、 
感覚を信じても到らない惨めな自分を隅々まで意識し、恥じて嫌うためのツールにしている。 
ゲームの世界ですら敗者であり、逃げ場などないのだと思い知る。 
駄目人間でみすぼらしい存在だからこそ、 
人様なみに扱ってもらえるよう、努力できる。 
「妖怪人間ベム」の「早く人間になりたい!」って言葉は 
自分にはとても理解できる感覚だ。 
時々、思うようにいかない人生に憤り、自暴自棄な犯罪に走る輩がいるけれど、 
僕から見ると、どれだけ自分が可愛いんだよと思う。 
一体何処でその全能感欲求と自己顕示欲を育んできちゃったのだろう。 
自分のポジション設定がどこかで間違っているのではないか。 
最初から最低に設定してあれば、 
心血注いだ努力がそれでも僅かな結果しか得られなくても、 
自分にとっては紛れもない成果であり進歩であり、 
人生上向きに感じられる。 
失敗して3歩下がっても、それは自分が駄目人間で自分のせいで、 
また最低から積むだけのことだ。 
恥をさらしても歯を食いしばって生きるだけだ。 
ゲームはインタラクティブにバーチャルに 
自分と違う世界や道を歩ませてくれるように語られることもあるけれど、 
自分にとっては紛れもなく、負けることを何度も叩き込んでくれる、 
心の修練の場だ。
だから僕はオセロゲームをする。

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