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2015年5月

2015年5月22日 (金)

後味

ということで連載が脱稿しないと日記が更新できないような日々は相変わらず。
今回はようやっとフラーケンたんも登場で、
これで7巻の構成がどうなっているのかが概ね見えるようになっているはず。

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http://gyazo.com/884089c1eaaf3a4f78f9b7c27d05d479
脱稿後すぐに、27日のBDの発売キャンペン用に色紙を描いて欲しいということで
4枚ほど描いて塗ったのだけれど、
なんというか、もう10年ほど前からデジタル彩色にしてしまったので
家にあるマーカーは使えるものがないわ、
アクリル絵の具は硬化しちゃっているわで、
思ったように彩色できなくて、申し訳ないばかり。
急ぎでなければ画材を買いに行けたのだけれど、その猶予も与えられなかったので。
(ちなみにキャラはバンダイさんの指定)
そして塗りが終わるや否や、次回連載のプロット・脚本を書けとのことで
また休む間もなし。
ただ月内はちまちまと外で時間を使う予定もあるので、
その分を前倒しでお仕事しないとね。

BDの発売前日は新宿ピカデリーで夜マトーク!だそうで、
前回のBD版上映会は原稿執筆のピークだったので断念したのだけれど、
今度はリテイク版も監督の舞台イベントも観られそう。
19時にはロビーでうろうろしてるはずなので、
見かけたら声をかけてくださいませ。
で、上映会ばかりではなく、
月末31日のヤマト講座に向けて、26は小林さんとミーティングをすることになりそうな予感。
もう中身は大分固まってきているし、
当日の特別メニューも決まったのだけど、
細かいところは顔を付き合わせたほうがいいので。
ちなみに特別メニューは、一応普段から自分で料理もする僕なので、
レシピ的な提案書を作ったのだけれど、
会場の厨房のキャパシティや、時間と給仕のパフォーマンスなどから、
さして難しい調理でなくても再考再提案を求められたりして、
手間をかけていたりする。
実は僕はけちん坊で、会場のロフト・プラス・ワンでは
お酒ばっかりで料理を食したことが殆どない。
なので知らなかったのだけれど、
限定メニューって当日限定ってだけではなく、
仕入れと在庫の問題があり数量限定・売り切れ御免なものなのね。
となると自分では食べたりできなさそう。
ステージで食事は出来ないしね。
(お酒はたらふくいただこう)

ということでさっき、脚本が仕上がったので、
ネームに入っていこう。

あとは雑感。

マクドナルドの凋落って
民放TVが80年代から低予算でお笑いや軽薄な番組作りをしてきて、
価値やブランドを「時間潰しのどうでも良い存在」という所に作ってきてしまい、
今現在、他の時間つぶしのツールが氾濫して
TV離れに歯止めがかからなくなっているのと似ているような。
頑張って良いものを作っても、
長年の会社の姿勢で良客がすっかり離れて注目もしていないから、
評価もされようがない。
そして失態だけがネットで拡散されて「やっぱりね」という評価だけされていく。
今まで構築した組織やビジネススタイルの存在方法が間違っていて、
全否定から企業再生しないと駄目ではないのかな。
それは別に他人事ではなくて、漫画雑誌などもそう。
大手を始め、出版社はその収益の柱が漫画だったりする。
一般文芸ではもう経営が立ち行かない。
週刊漫画雑誌を大量販売し、単行本を売る。
書籍ランキングで諸々の一般書と漫画が切り離されているのは、
漫画の部数が桁違いだから、並べられないのだ。
文芸小説の初版が4000部程度なのに、週刊誌のコミック単行本は数十万部初版。
ランキングは全部ほぼ漫画で埋まるだろう。
ただかつて通勤電車で漫画誌を読んでいたサラリーマンという光景が
今はどうだろうか。
殆どの人が携帯・スマートフォンをいじっている。
つまり「時間潰しの存在」でしかなかった読者が消失したのだ。
漫画は漫画である意味や楽しみ、
小説は小説である魅力や醍醐味、
大量生産品とは異なるものをもっと意識していかないと、凋落の連鎖に呑まれてしまう。
それはやたらと数が作られている深夜アニメの
ビジネススタイルにも通じるようで、
「シドニアの騎士」の海外展開や「この世界の片隅に」でのクラウド資金の方法などのように、
従来型の発想やルーチンを見直していかないとならないように感じる。

川崎の簡易宿泊所の火災のニュースの関連で、
高齢化した日雇い労働者の困窮を書いてるけど、
彼らは収入の良い若い時に殆ど貯蓄もせずに酒や女や賭け事に散財した
「宵越しの~」のノリの人が少なくない。
生活設計の無思慮無計画ゆえなので、自業自得な要素を
社会のせいに転嫁するのは首肯できない。
ホームレスを含め事業の失敗などの理由や精神疾患者もあるので、
無学怠慢無思慮無計画な愚かさと一緒くたにはできないけれど、
高度成長からバブルにかけての享楽にかまけていた
日雇い老人たちにはどうしても嫌悪感を感じてしまう。
昔はそのいい加減さを許容できる曖昧さと豊かさが社会にあったけれど、
そういう時代ではもうない。
それを意識して自分の人生の舵をきってこなかっただけ。「昔は良かった」じゃないだろ!
今の派遣やアルバイト生活者の貧困は若いときからだから、
もっと深刻になりそうだなとも思う。
それこそ日雇い土木のかつてよりも低収入で貧困だから。
企業側の利益に応える短絡なコスト主義からの人件費抑制の要請で、
政府与党は派遣法とかまたゆるめようとしてるけど、
結局はそこから生活破綻者を大量生産して、
国の財政を圧迫させる悪循環だと思うんだけどな。
さらに減っていく若年層で、
その新たなる派遣・バイト貧困老人層を支えるのはあんまりだろうに。
よく例にあげているけれど、
僕が90年代にフィナンシャルプランナーさんの講演企画の仕事をしていて、
その講師さんが、法改正による緩和の勢いで流行していた派遣社員や
自由を謳歌するかのようなニートやフリーター的なバイト生活者は、
「簡単な計算の積み上げだけでも、40代で生活が破綻するのは明確だから要注意」
って言っていた。
それから20年。まさしくそれが現実になっているのを見せつけられている。
つまり個人として予見できる状況にあったのだから、責任の一端は本人にある。
しかし社会がその哲学として弱者を救済するというものを掲げているのだから、
本人に責任があっても、保護するのが社会の使命と思わないとならない。
ただ国が産業界の目先の利益を優先することで
この20年、予見されていた貧困者をどんどん作ってきているのには
まったく別の責任追及がされてしかるべきだと思う。
アリのように働かされてるのにキリギリスってのは無常すぎる。

キリギリスで思い出すのが
「響け!ユーフォニアム」w あおい先輩最高。
「例の紐」のアニメは、6話リリアナの話でプロット構成の失敗でがっかりした。
そしてこのところ神様が単に周囲の女性に嫉妬しているだけのつまらない存在になっていて、
物語にちっとも有機的に関わってきてない。
原作と言うかアニメの脚本家がお話的にもう限界なのかな。
キャラをネタにしてそれを消化するだけの構成は週刊漫画のレベルの低い手法だし、
自分的にはなんか急激に魅力が失せた。
逆に絵柄が微妙に感じていた「ユーフォ」はじわじわと楽しさが高まってくる。
展開の端折り方とアニメとしての魅せ方のバランス判断も独特だし、
主人公の性格悪いし、
「甘ブリ」ではまったく描けていなかった、低迷する組織がゆっくり変わっていく様を、
たいていの人が出会ってしまうようなドロリとした日常感覚を、手を変え品を変えて遍在させ、
その重さと変化を空気感とナレのバランスで押し出すのが面白い。
これを見てると僕がどうして「けいおん!」が大嫌いなのか判ってくる。
癒しとかゆるふわとかで生きることの苦しさ厳しさを曖昧にする心のアヘンみたいな要素を
僕はまったく必要に思ってないからだ。
漫画や小説という「物語」は逃げることを優先するのではなく、
苦しみ悲しみを擬似体感できるツールとしての存在意義がある。
しかし、肥満患者に砂糖菓子やジャンクフードを与えて
儲かればいいとでも考えているような作品が氾濫し、
その価値と意義を失いがちな今に危機感を持っている。
後味の悪さや苦味、渋みだって魅力であっていいはずだ。

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