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2015年7月 1日 (水)

雑記 4回目かも

【働くとか、働くときに考えたりしていること】

ネットのニュースを見てると、
外国人旅行者の「日本に来たらこんなに素晴らしかった、驚いた。ニッポンいい国」的な
いわゆる自画自賛記事が多くて気持ち悪い。
安易にナルシズムやナショナリズムを刺激してくれるけど、
悦に入っている人の大勢は自分ではそのどれも何もしていないことに気づいてないから。
自分で行動した人だけが、その言葉の対象であり、その賞賛を受けるべき。
それなのに、ネットのモニターごしに我が事のように誇るのは間違っている。
はたから見ると実に滑稽で恥ずかしい姿ではないか。
ただ僕がそうした記事で一つだけ嬉しいのは、
そういう善行をする日本人に今からでもすぐになれることだ。

自分に都合のいいことばかり、
調子よく採用しているような生き方をしてると、成長はない。
昨今のギリシャを見てると、国民は都合のいいことを言ってる政権を選択して、
自業自得の目にあう。
だけどそういう人間は、結局その後も都合のいいことしか聞かないので、
自業自得の意識も、反省も教訓も全然ないってことが恐ろしい。
ギリシャあたりは、不況で親族が自殺でもしない限りは、
何百年も続けているように、まったりと長い昼飯食って昼寝してるんだろうなと思う。
そういうのはどこか田舎に引っ込んでいてくれれば害はないのに、
どうして粉飾会計までしてEU加盟をしたのか。
勤勉な隣国のトルコと仲が悪いのも、なんだか頷ける。
自民党の自分に都合のいい増長と傲慢もたいがいだ。
野に下っているときの教訓ってのはどこの政党も大切にしないと、
つつしみのない馬鹿をさらすだけ。
人間は都合の悪い批判に身をさらして考えることで成長が促される。
教訓とは、そうしたブレーキがあるからこそ教訓で、
そういうものを採用しないという主義は
「ご都合主義」と言う。

「何を言っているかわからない」ってアニメのタイトルの一部じゃなくて、
僕が仕事でよく言う台詞。
これは勤め人時代から僕が励行していること。
人によっては説明しているつもりで、全然他人に通じる言葉になってない場合がある。
それを理解してあげたポーズをとると、
仕事では大惨事になる事が、えてして理解できない説明をする人に限って起こるので、
とにかく聞き返す。
失礼な奴とか、不愉快とか思われても別に構わない。仕事なんだから。
そういうコミュ不全から失敗やミスを犯して大損害より余程いい。
時々は「俺の言葉が分らないオマエは相当の馬鹿だな」って目で見てくれる人もいるけど、
構わない。馬鹿で結構。
それでも僕は仕事をちゃんとしたいので。
っていうかそうハッキリと「意味不明だよ」と伝えることで、
人によっては説明の方法を改めてくれ、理解に向けて歩み寄りができる。
何度繰り返しても全然意味不明な人もいて、それは本当に苦労する。
同じ日本語を使っているのに、全然意味が分らない。
ロジックが破綻してたり、ボキャブラリが貧相だったり、
自分勝手なロジックを一人で勝手にせっかちにどんどん納得して、
周囲の説明や対話を全然聞いてないで思考が閉じていく人もいる。
そういう人は同じ間違いや破綻を恐らく一生繰りかえす。
まぁ色々あるのだけど、
そういうのを超えて、これはもう出会いの悲劇なんじゃないかと思われるほど、
人間の相性が悪い場合もある。
ケンカするわけではなく、人間性の断絶が存在するのだ。
そこまでいくと、もうそれは珍妙なるおかしみが生まれるけど、
仕事では楽しんでいられない。そこが悩ましい。
どちらかが間違っているとかではなく、
同じことをしようとしてるのに、全然噛み合わない。
例えば請求書を作るって作業で、同じ金額を請求するのに、
片方はWordで作ってて片方はExcelで作ってて、工程がまったく違うため会話が成立しないような。
人間の思考方法が、同じ土俵に乗ってない。
なので、とにかくまずはハッキリと言うのだ。
「何を言っているかわからない」と。

請けた仕事を能力不足で完遂できず、
ゴメンナサイ。ワカリマセンで済むと思ってるのはどうかしてる。
職業人ならそれを補う手当てを何とかしてからの謝罪だろう。
ただ謝っただけで免れると考え、それでやり過ごしているのは最低最悪だ。
失った時間、資本、手当てに使う他者の労力を全部軽視し、馬鹿にしてる。
何年その仕事をしてきたのだろうと思う。バイト以下だ。血反吐をはいてこい。
そういう馬鹿なOLとか、勤め人の時にけっこう見てきた。
女性の就労問題を扱っている人が、
「地位向上、待遇改善、キャリア形成に頑張っている働く女性の最大の敵は女性です」
って言っていたのを思い出す。
若い男性にも多いけど、仕事の意味や向かい合い方が狭く小さくて、
発想が子供の延長で止まったままなのだ。
当然、オイラも20代ではそういう器だったのだけど、
30過ぎて働き盛りってのは、
そこから抜け出て四方を俯瞰をしながら仕事をできるってことで、
つまり30過ぎてそれなら、ボケナスってことなのだ。
ただ、派遣社員や単純作業の専門など、
人材を伸ばせない就労のスタイルが原因もある。
(それが若年層貧困の遠因でもある)
本人の無能って場合ももちろんある。
ただ誰のせいにせよ、
今、この時ってときに使い物にならないボケナスは、
「最悪の存在」ってのは悲しいけど普遍だ。

目先のことを場当たり的にこなしていることは
成功の合成をしてるだけで、
大きな理念や美学がない。
ペン1本、包丁1本あればできることを、
なんだか100円ショップの便利グッズを山のようにして、
「自分デキル子」みたいな自覚を持つのは、
着膨れし、ごてごて荷物ぶら下げて出かけるような、
何だかもうとても美しくない姿であることを自覚しないと。

勤め人時代に、オイラに数字や統計を解釈することを教えてくれた方の訃報が入った。
朗らかで楽しい人だった。
とても淋しい。
労働統計研究所所長・ブロンソン丸山さん、ありがとうございました。
考えてみると僕にとっての「先生」って、
学校でも仕事でも不思議に知識や技術などテクニカルなものを教えるのではなく、
感じること考えることを教えてくれる人ばかりだった。
イメージすること、大きな流れを意識することが大切だと、
着眼や想像のきっかけを示唆し機会を与えてくれた。
考えること想像すること調べること試してみることをする前に、
指示を求めたり、解答を尋ねたりすることは、
自分の成長を妨げる人生で最悪の甘えだと思うし、
自らの考えや創造したものを他者とぶつけ合って切磋してこそ飛躍があるのに、
プライドが傷つくから嫌だと予め逃げをはるのも、
最低の愚考だと思う。自分を甘やかすのは危険だ。
学生ならいざしらず、仕事をする身になったとき、
それまでの人生で学んできた全部の感受性と知識と行動力半径をもってして
臨むのが基本であり、
他者とそれを殴り合うように揉みあって、そこからモノを作り上げて何ぼでしょう。
自分を根底から否定されて血を流して心痛めつけられるのは、当たり前のこと。
自営業はもちろん職業人はそういうもの。
僕は多くの先生から教わったものは、その戦う術と思っている。

フデタニンが
「実売数万数千でハガキの数も少ないアンケート順位発表を丸呑みに信じる編集者っているのでしょうか?」
ってTwitterで書いてたということを教えてもらったんだけど、
あるよ!
それはF書房のDAって雑誌だよ!
月に100枚程度しか返ってこないアンケート葉書を御神託みたいにね。
100枚とか統計的には実態をまるで表さない価値のない数字のランキングを根拠にして、
連載の継続とか、コミックス化の判断をしていて、
順位半分以下だとコミックスは無しとか平気で漫画家に言っていた(数年前までは)。
もう脳味噌どうかしてるっていうか、
誰か統計とかマーケティングの基礎を教えてあげてくれ。
ならばと、漫画家が自分で雑誌を大量に買って、
それを友人に配って葉書送るように依頼して、
連載の継続とコミックス化をプッシュするという、
100枚程度の数字ならではの票操作をしてしのごうという、
狐と狸の化かし合いみたいな愚かな展開まであった。
生活のかかった漫画家の気持ちも分るけど、どっちももうおかしいから!
というかこういう、珍妙極まりない状況を作っていたのは、
紛れもなく、編集部が数字を扱う勉強もせずに
アンケート葉書を妄信するルーチンを珍重していたからだ。
フデタニンの言うように数万数千の葉書なら統計的価値が十二分にあるけど、
その格好を猿真似しただけの浅い仕事は、本当に馬鹿らしいし、迷惑だ。

出版社が山のように毎月コミックスを発行するゆえに、
営業部署が1冊に手がける時間が減り、
漫画家自身が自作を宣伝プロデュースしていく必要が
でてきている状況にあるとは認識している。
僕は広告代理店でSPとかしていたのだけど、
心の伴わない薄っぺらな宣伝は嫌い。
漫画家が短絡で軽薄な宣伝屋になってどうする?
僕らの仕事は想いを届けることじゃないのかな。
漫画の中で語るべきことがある。それをまんま宣伝に乗せることは誤りだ。
では宣伝は発売や更新を告知する即物的な情報だけでいいのか?
そんなものは宣伝ではない。
だとしたら広告代理店とそのクリエイティブは存在価値が無い。
広く伝えていく宣伝には、技術技法とその前に、心を乗せていく理解と意気というものがある。
軽薄な言葉、薄い情報で宣伝とするのは、
そうした広告に集う人の心も仕事も軽んじ馬鹿にしているのと同じ。
そして受け取る読者も安く見ている。
自作を自ら宣伝プロデュースするならば、
そこを理解してその仕事を自分で行わないといけないこと。
心を言葉や広告という場に乗せて語っていかないといけない。
以前、漫画家の一部のグループが「編集者はいらない」と、
自分達で漫画雑誌・媒体を作っていけば、もっと自由に創造的に作品発表が出来るなどと言って、
編集の仕事を「原稿取りの御用聞き」程度にしか理解してなかったゆえに見事に失敗した。
宣伝を軽んじて、軽薄なものを送り出すのはやはり同じ失敗になるだろう。
広告も作品と同じだ。僕らは漫画家だ。
そこにちゃんと想いと技術を凝らして発信しないでどうするんだ。
安っぽい言葉を垂れ流して、自分のブランドが向上するのか?否!
その視点で見ると、よしぞうおねえさまのTwitterからリンクされたつぶやきは、
最上級の自己宣伝とプロデュースですの。https://twitter.com/yosizo
語るごとに深みと豊かさとお人柄が伝わり、そのご活動に興味が沸きますの。
Excelさんは真逆に振り切れてますが、あれも最高ですの。https://twitter.com/EXCEL__
人は狂気に魅入られますから。
でもそうやって自作を宣伝しようと努力するほど、
出版社の営業部から「何勝手なことしてんだ」という面子を潰された的に、
漫画家が嫌われていくという頓珍漢なジレンマが生まれていくのは、また別の話。
だったらちゃんと宣伝してくれよぅ!と思うのに、
彼らは以前と変わらないルーチン仕事をしていても給料が出る。
元社長としては、もう1歩踏み込んだ創意を持った仕事にして欲しい。

「これ売れないと次でない」は読者に向ける前に、
出版社が作家にまず向けてくる常套句。
そしてそれは角川あたりでは喫緊の現実。
そして物語の夢をむさぼる読者はそれを知らない。
「買ってくれないと、アナタのその楽しみの続きはない」
そんな脅迫めいた言葉を作家が口にするのは潔しとしない考えもあろう。
でもその乖離は埋めていかないと市場が滅びる。
作品でその実情を訴える必要はないが、
作品の外で広告という中では危機感の共有も必要かと思う。
ただ前述しているように、広告で作品や裏事情を伝えるにしても、
その方法や技術というものがある。
脅迫ではなく、危機感を作品の楽しさに併せて伝える能力はある。漫画家だし。
雑でもんきりな言葉ではなく、
作品と同じように伝え方に創意を凝らしていけば良いのだと思っている。
ヤマトの読者の皆さんは幸い、
「コレ、最後まで描けるんかいな!」という危うさを感じていただいているみたいで、
支えていただいてますがw
それでも、買ってくださいなお願い(脅迫)モードでの発信は必要かも。
僕の作品だけでなく業界はそういう状況なのだと。

今でも区の社長会の幹事をしている。
これまで見ていて思うのは、
人柄も誠実で、やる気も根性も事業のアイディアにも優れた起業家が、
ビジネスパートナーとのトラブルで破綻する。
事業は起こす事より、
お金や人を巻き込みながらきれいに回るように形に落とし込むことが一番難しい。
アイディアマンは意外にその固める資質が足りない。
そしてそういうアイディアマンは堅実な経営者や資本家には、
山師に見えてしまう(そういう山師もいる)。一途猛進で勢いがあれば尚更。
そして隙も多い。そうなると自然と堅実ではないパートーナー、
いい加減な会社や事業家しか相手にされず、
あげくネタや信頼や金をむしられて、事業が破綻する。そして繰り返す。
僕自身が8年間社長をやっていて、
経営者としての資質の何が足りないかを痛いほど分析しながら、
その越えられない壁に苦しみ続けた訳だけれど、
勢いのある起業家はそこを意識しない。それが強さでありながら、決定的な弱点。
事業の取引先やアイディアの受け皿の相手を探す前に、
自分の理解者であり弱点をカバーできる人材が一人でも内側に必要。
そういうチームが出来ない限り、事業を外にむかって動かすのは、控えるべき。
というか迷惑をかける人が増えて、自分を追いつめていき、悲劇しかない。
そして裏切り者だけ甘い汁を吸って逃げる。
中国の製造業と仕事している時、
そういう資質の足りない人が国の勢いだけで経営者をしているケースを多く見てきた。
彼らは欠けた資質を国の勢いで誤魔化していたけれど、
それでも、商売と交渉にしたたかで、強かった。そこが大陸的だなと思うところ。
普通の日本人はそこがのん気すぎる。
美徳ではあってもビジネスではマイナス。
とても珍妙かもしれないが、
僕は事務能力や企業体質の現代的見直しの視点を銀行などから高く評価されながら、
対人関係の資質のなさから経営者としては失格だったけれど、
唯一完璧に出来た仕事は会社を畳むことだった。
それは社員と取引先に誠実に限界まで迷惑を少なくという考えを理解し、
最後までつきあってくれた会計担当の女性がいたから。
亡父の代の古株ばかりだった中で、数少ない僕が採用した社員だったけど、
僕を信じてくれて、不安をこらえ、
会計という知識と能力から、僕の組んだ綱渡りのような事業閉鎖への計画遂行を支えてくれた。
僕から見れば、彼女が社員や取引先を救ったのだと思う。
内側のパートナーとはそういう人材ということ。
ちなみにそのあと、転職先を僕が探して、彼女は昨年そこを無事に定年退職。
今は郷里へ戻って暮らしている。

2014年の日本の国内家庭用ゲーム市場は、20年以上前の水準にまで縮小。
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/51494028.html
ってあるけど、
僕の学生時代位から伸び始めて、漫画やアニメの多くの人材が流れた業界が、
後退局面を経てもう寿命を迎えようとしているのかも。
特に日本においては。スマホゲームみたいな短小軽薄な暇つぶしが主流で、
大きな予算を組んでがっちり作るようなゲームが細っていって、
人気タイトルの焼き直しばかりの臆病な保守主義に支配されてしまってるし、
ハードの更新に振り回され続けてて、
ユーザーやメーカーのゲームとの距離感がおかしくなってるような。
4000億円の市場って大きそうに見えるけど、
僕の経営していた町工場でさえ年商3億だったのだから、
大手のゲーム会社を除けば、数百社程度しか会社存在できないって状況は極めて少ない。
ちなみにパナソニック1社の年商は8兆円程度(グループ連結だろうけど)。
ゲーム業界が、どれだけ小さいか分るはず。
ハードのしばりやスマホゲームばかりの状況で、
業界を広げるような新しい優れたゲームも会社も新規参入できるのかな?
産業としては恐ろしいスピードで発展と縮小を駆け抜けて、
老後を迎えようとしているように見える。
ちゃんと予算をかけて、世界市場で商売する欧米企業が主体になって、
日本の大手はそこに密着し、
他はスマホゲームを作るマンション系のソフト会社的な所が、
安い予算でたたかれて生きてるような状態になってしまうのでは。
そんな二極化していくような気がする。
経営とか業界が若く新しいゆえに、
利潤の極大と製品のバランス、市場の育成とユーザーの育成など、
産業を育てそこなった印象がある。

この数日、友人の驕りと無知、無思慮と我欲にまみれた行状が多く聞こえてくる中、
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」がこの歳になって染み入ってくる。
どんな人に自分はなりたい?その問いかけを持たないと、または誤ると、
人は迷走していく。

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