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2015年7月 7日 (火)

雑記 5回目にゃんぱすー

【描くこと観ること聴くことのあれこれ】

雲とか岩とか黙々と描いていると、
自分が理屈の伴わないパターンを繰り返していることに気づいたりする。
恐ろしいこと。
描く線や形に雲の息吹や岩の想いをイメージしていないと
雲は雲に見えず、岩は岩にならない。
無意識のルーチン化に抗わなければ、絵はどんどん腐って、
安易で怠惰な汚らしい手癖がのたうつ塊になる。
人物や機械ではなく、シンプルな雲や岩だからこそ、手癖の支配下にある自分に気づきやすい。
そういう表層のパターンを否定して、
もっとその先にある雲を雲たらしめるもの、岩がその形になった意味を知り、
そこから描かないと、支配しようとする力にからめ採られてしまう。
そしてそれは人物や機械にも確実に忍び寄っている。

二次創作同人誌で生計を立てるってことは、
闇市でパチモン売って生活しているようなものだよなぁ。
官憲が見逃してくれてるだけで、真っ黒。
まだ、買う方がパチモンだと知ってる了解の上にあるとしても、
仲間内のお楽しみの範囲にとどめておくほうがいいよね。
法に裁かれ失ったときに痛みも大きいし、人生が破壊されるよ。
僕は欧米型の著作権主張と管理による利権の発想は正直好みではない。漫画家だけどね。
先人や崇敬する作品の模倣や模写から学び、市場を押し広げる
緩やかな東洋型の思想はもっと許されていいと思う。
ただ現在の法制下で、「同人専業作家」なる人が
自分が好きな絵を描くとはいえ、
「闇商売で生活をする犯罪者」である意識と覚悟があるのかなと思う。
偽ブランドや、違法薬物売って逮捕されてる映像がTVに映る極悪人と見える彼らと、
自分はまったく同じなんだっていう自覚。
ヤクザ商売で生きていくという覚悟があるのかということ。
「ラブライブ!」の缶バッチの偽物を密造して販売して逮捕された男のニュースを見かけたけれど、
同人グッズと何がどう違うのかなとふと思うのですよ。

女性のヤマトファンは、どうして玲ちゃんをそんなに嫌がるのかなぁ。
漫画としてキャラを生かそうと試行錯誤を重ねて動かしてるのに、
女性の漫画家さんがヤマト講座の僕の発言にちなんで、玲ちゃんを評して
「本編に関係ないし面白くもないのでいらない」とか、言っていたと人伝えに知らされた。
同じ漫画家として作品を描く立場でどうしてそんな言葉を口にできるのだろう。
人物を出した以上はその存在を活かし、ちゃんと描く努力をするのが基本のはず。
コミカライズは自分の創作ではなく、与えられた条件として人物はそこに存在する。
だからこそ尚更に大切に、そして魅力あるものにしていくことが必定。
古代と森雪の結論が物語として見えていても、
その紆余曲折が楽しめずにストレスに感じるなら、
それは心の老化なんだけどな。
本編に関係・貢献するように描いてこそ漫画家だし、
結論という筋だけではなく、紆余曲折のドラマという血肉があってこその物語ではないのかな。
同業の漫画家のそういう努力にどうしてそんな冷たい言葉がかけられるのか。
心が漫画家じゃないのかな。自分の好きなキャラしか興味ないファン心理なんだろうか。
その先鋭化した冷淡さは何なんだろう。
ファンって狂うって意味もあるので、
楽しむ中である程度踏み外した言動は、笑って許容できるけれど、同業者は…。
また他に、早く篠原とくっつけちゃえという声も聞こえてくるけど、
思い通りにいかないと、いきなり髪を切ったり、ロッカー蹴飛ばしたり、
飛行機をかっぱらっちゃうような
あんな直情的で面倒くさい性格を、女性慣れした篠原が近寄るわけないじゃん。
(ああいうタイプは2199古代君みたいなのが被害者になるのだよw)
僕が玲ちゃん贔屓だと思っている人も不思議。
僕は小学生の頃から森雪一筋なのだ。

この数日、社長時代のあれこれを振り返る機会が続いてて思ったのだけど、
2199でのデスラー総統の心情ってものは、
代替わりした後継社長を経験した自分からは、その心中に重なる所が多い。
ファンは、ご乱心とか女にかまけて云々言うけど、
そういうことじゃないんだよってのを、漫画ではどう伝えるかを悩むのだ。
15話の対ドメル戦って、
幕僚団最後に登場だから、ちょっともったいない。
戦術戦略はよく分からないけど、
演出の呼吸として違う出番を組んでみたいなと、思案中。
アニメと漫画って、やはり演出とか物語の組みの発想が異なるなぁって、
この仕事してると凄く思う。
よく原作漫画そのまんまっていうアニメ作品があるけど、
原作ファンがそれを望んでも、それはナカナカ難しいことなのだ。

「のんのんびより」を見てると、
子供の頃に「自分語」を喋っていた子を思い出すのん。
とても利発な子で、うちの地元では珍しく大学へ進学して、
仙台の高校の先生になって、今は北海道の牧場の嫁なのん。
「おったん」元気かなぁ。

「響け!ユーフォニアム」最終回、楽しかった。
構成の妙というより、どこかで自分が体感する、体感したかもしれない、
焦燥や緊張、ときめきや歓喜といった感情の空気感を
シーンとしてそれぞれ「感じる」ことのできる間をもって描いてあったから。
それは脚本では埋められず、石原+山田の演出組の個性が出たところなのかもしれない。
僕は山田尚子演出は、人間理解の浅さから大人が描けないという評価を持っているけれど、
同時に奇麗な空気感のあるシーンを作れる人だとは思っている。
それが今回は演出補助としての参加で活かされてる。
ちなみに京アニお家芸の山田EDは、やっぱり嫌い。いい加減、「けいおん!」のパターンは止めよう。
ユーフォはNHKで再放送すればまた違った力を得るかも。
深夜ではない「全国」の切符を。
ビデオソフトやCDなどの収益に頼るアニメの資本体制が強すぎると、
作品に見合った場所という展開の自由度は限定されていくのかもしれない。
吹奏楽とか普段からちゃんとフォローしているのはNHKだ。
そういうネットワークをしっかり活かせると思うのだが。

「シドニアの騎士」2期は楽しく観ていたんだけど、
EDの歌がどうにも「ビジュアル系バンドの実は歌謡曲なロック」みたいな
ヘッポコな印象があって興醒めする。
っていうか、あんまりにもダサいので、狙ったお笑いにしか聞こえない。
狙った先に何を見ているんだ…。

音楽や映画、小説や漫画などの過去の作品に触れるとき、
今のこの漫画いらないじゃん!とか、
この映画リメイクする意味があるの?
っていう思いをすることが多々ある(営業的な必要じゃなくて、作品性として)。
旧い作品で十二分に足りているのに触れる機会が作られないことも嘆かわしいが、
CG映画の「ガンバ」どうなのよ?

FMで久々にホルストの「惑星」をフルで聴いたけど、
やっぱり人気あるのは肯ける。
組曲としての構成は映画のようなドラマ性を有しているし、
旋律各々も個性的。硬軟併せ持った編曲の妙。
神々の名前を持ちながら同時に科学としての天文の近代性を抱えて、
クラシックの歴史を踏まえて尚且つ20世紀音楽の未来を示している。
実際、映画音楽への影響はとても強い。
ジョン・ウイリアムスやビル・コンティ、冬木透さんの楽曲にはその色が感じられる。
まさしく未来を開き、押し広げた1曲であるんだろうな。
劇伴は無言劇としてのバレエ音楽の影響がもちろんあってのことだけど
(宮川さんはチャイコフスキーっぽいし)、
「惑星」はその殻も破ってる。
約50年前の録音だったけど、とても艶があって、いい演奏だった。
1960年代からの再評価の中での録音はまさに旬だったのかも。
当時発見されていなかった冥王星がないことも、
今の準惑星という結果からも予言的で面白い。
冥王星探査機ニューホライズンズの観測も楽しみ。

CDを買ってみてビックリした。
カマシ・ワシントン、凄いな。
参加50名超え、収録172分のデビューアルバムが化け物みたいな出来。
洪水の中にいるみたいだ。

ミュージシャンが32名にコーラスが20名って、まるで映画のスコアだ。
最近、シンプルな構成のピアノ曲に傾注してたけど目が覚めた。
これがオイラじゃん!
ロダンの「考える人」を見てその気になってた。
違う!「地獄の門」を見なきゃ駄目なんだよ。

7月7日が「ポニーテールの日」らしい。
ポニテ芸人の小林治さんが嬉々としている様子が目に浮かぶ。
今度のヤマト講座は原稿の執筆で行けないけれど、
vol.10の景品に提供した色紙の線画に彩色をしたので、
それをアップ。
Photo

さぁネーム、ネーム…。

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