どうやら大阪の陣らしい。
やっと脱稿した。
34P分のネーム、ドメル撤退の場面まで切ってあったのだけれど、
28Pでタイムアウトだった。悔しい。
それでも作画はとにかく一歩も逃げずに突き進んだ。
戦艦は描くのが大変だった。
ドメルもキャラとしてやっとこなれてきた感じ。
更新は28日の火曜日。
8月更新は角川の都合で9月頭になるらしい。
その分まででコミックス7巻に収まるので、きっちりと描いていきたい。
そうして物語はビーメラ星系、反乱編に入っていく予定。
ちらほら口にしているが、ボルゾン星も出したいと思っているけれど、
誰もがその話題をスルーするので、関心もなく、期待されてないのだろうな。
漫画を描きながら、
無駄な努力って言葉をずっと反芻していた。
誠実にあれ。己を磨け。そう努めても自分なんかには絶対に届かないものがある。
高望みをしている訳ではないという気持ちが余計に心を曇らせる。
ただ僕とその間には深い谷が横たわっている。
努力したからこそ、ここまで辿り着いたけど、
見渡す谷の向こうの風景は美しく、そして足元は残酷だ。
(「隣の芝生は青い」とかじゃないんだからね!たぶん)
以前に富士山を登っていて思ったのは、
何時間登っても風景が変わらないということ。
円錐形の形状がそういう視野を頂上付近まで維持しているからだ。
荒涼とした岩場を黙々と登るものの、
その積み上げすら無駄だと喝破するかのような山行は、
まさに己が努力の無意味を問う苦行だった。
でもそれは今の自分の普段の執筆となんら変わることがないと、重なってくる。
自分のつたなさがつらい。
少しずつ上手になっているけど、元が下手な分、糊しろがあるようなもので、
糊しろが産まれるその根幹の問題を考えるとつらすぎる。
劣っていることは生きている上での罪であり罰するべきだ。
でも愚かさ至らなさの根幹をどうにかする手当てが見出せないと、
罰は罰を与えることで自分の問題を誤魔化す安心の手段に摩り替わる。
嫌いな自分をいじめて喜ぶだけで、まったくの無価値だ。
もっと建設的に自分を痛めつけないと。
しかし皆、
自分の人生の理想や目標とのギャップとどう折り合いをつけているんだろう。
なんか血を吐きそうにつらいばっかりなんだけど。
昔はそんなに気にしないで生きていたように思うんだけど、
社長やってた8年間が自分には過酷過ぎて、忘れて(壊れて)しまったよ。
自分を罰する以外に何かあるのだろうか。真面目にそこは悩む。
僕のように自己肯定が殆どできない人間は、
絵を描く仕事は向かないのかもしれない。
一人でずっと自分に向き合い続けて、
自分は駄目だクズだ無能だと念仏のように唱え、
石臼で心を挽き潰してるみたいなものだ。
どうしたら自分を少しでも好きになれるんだろう。
前よりも少しだけでもましな人間になれたらと願う。
いや、早く人間になりたい。
子供の頃より親からは自分より劣った情けない存在、
周囲からは弱く惨めな虫のようにイジメの対象で、
僕は人間ではなかったのだから。
よく勉強できない子が「学校の勉強なんて大人になって役に立たない」って開き直る。
僕自身の経験では、どれでもなんでも役立っている。
逆に中高レベルの基礎学力が低い人は仕事でも使えない。
勉強はしておくものだと思う。
「学び」を意識し素養が多い人ほど「学び」の恩恵を実感できる。
逆は、もう最初から意味はないと、たかをくくって居直るか、
己の不勉強は実感するものの、
恩恵のありがたみや意味はやはり分らないまま。
「理解ある親」がよく言う「好きなものを伸ばす」も、そればかりに偏るよりも、
中学高校程度の基礎学力や一般教養がある「地力」の強さは、
「好きなもの」をより伸ばしてくれる。
読書学習とか書道などの専門技能的な、比較的ポータルで深めやすい学習に比して、
学校教育という長い時間をかけていく地道で広範囲な学習は、
大人になったあとでは、ほぼ取り返しがきかないもののように思える。
成績優秀であれという意味ではなく、
貴重な機会として、そこそこ基礎は修めておく大切さを感じる。
専門職での技能って一定のボトムがあり、差も拮抗していくから、
実は専門外の部分の素養が優劣に左右したりするのかも。
一般教養の堅実さとか趣味の多様さ深さとか。
漫画なども、例えば和服が好きとか、ミリタリに強いとか趣味があると有利だったり。
逆に一般教養が低いと、能力からの減点要素になってしまいそう。
オイラ、無趣味だからなぁ…。
せめて好きなものくらい、深めておきたいなぁ。
はて?好きなものってなんだろう…。
パンダ、散歩、UFO、おっぱい、ハンバーグ、お寿司、ヤマト…ううう。なにかアカン気が。
無趣味もそうだけど、嗜好品もないオイラは、
この1ヶ月ほど「コーヒーの飲める大人になろう!」と決心し、
でも猫舌なので、ブラックのアイス缶コーヒーを色々試してみて、
やっとJTの「Roots AromaBlack」の味なら美味しいかも!
と思ったら、JTが飲料事業を閉鎖してサントリーに売却したせいで、
小売店から消えちゃった…orz
「ガルパン」の再放送が始まっている。
シリーズ序盤はやっぱり、脚本が粗い。
何かを感じて変わっていく瞬間の強さを描くんじゃなくて、
決まった時間内に設定とストーリーを消化していく段取りみたいなシーンばっかりで粗野だ。
1話に一つでいいから心に寄り添う丁寧さを織り込んであればいいのに残念。
(まぁ「GATE」の500倍くらいはましなんだけど)
華さんとやだもーさんが、みほの家名とか関係なく友達になってくれた、
初めての体験の嬉しさとか充実とか、そういう感じを、もう少し掘り下げてあれば、
1話はもっとストンと、戦車道を履修する決意にいくのに、
そこの内面へ触れるシーンが弱すぎ。1分あればできることなのに。
みほも戦車道から逃げるだけじゃなくて、
もっと自分への不信を抱えていないと。
自分の判断で動いた結果が、トーナメントの敗北であり、
それを肉親から全否定されているのだから。
その再生があってこそ、
最終回で「自分の戦車道を見つけた」と姉に言えるようになるのにな。
腹蔵のない友達ができることって、
自己肯定ができる救いのようなもの。
だからこそ1話はその1歩を丁寧に描けばいいのに、弱いのが残念。
1話に求められる情報や設定説明みたいなのは理解もするが、
だからこそ有効にシーンなりを構成して欲しい。
例えば、自室でみほがぬいぐるみを抱いて
「友達できた」って一人嬉しそうにする20秒だけでもあれば、全然変わってくる。
でもそうシーンは無く、ギャグとか無駄な動きに配分してる。
シリーズ後半は好き。(よしぞうおねえさま監修のアンツィオ戦OVAは素晴らしい)。
ただやはり好みのドラマ構成がされているわけではない。
戦車道という存在が他校から、そして経験が、
大洗の生徒達に何を与えるのかという部分も何も無いので。
そういえば大使・杉山Pとお会いした時に
ガルパンでなにかお仕事頼むかもと言われたけれど、
果たしてそれは実現するのだろうか。
ネットで読んだこの記事
「私は子どもが嫌いだ」http://allabout.co.jp/newsdig/c/67437
小松左京の「復活の日」とか知っていると、
種としての存在を維持するという喫緊の問題への対応が迫られたら、
この記事の吹聴する産む自由はどうなるとか、
少子化日本を見て考えるのだけど、
その前に、「子供達を責めないで」がスネークマンショーからってところで間違ってるよこれ。
事情があって産まない産めないは軽視して良いものでは当然ない。
でも人口問題は経済問題であり、国の存在の根幹であり、
社会生活の維持に不可欠な要素だ。
少子化の数字遊びで**年には日本人が0という試算があるけど、
産まないことが「非国民」扱いされる時代が来ないとはいえない。
産むことへ今、どう社会が舵取りするのか。
[人それぞれの考え方を主張できる(違いを認め合える)成熟した世の中になるのは、まだまだ先なのかな]って、
少子化の深刻に進行する世の中で逆に傾きかねないという状況に
まったく無自覚な能天気な記事すぎる。
論点の方向付けが安易なお定まりで、視野がお気軽過ぎる。
昼にスーパーで買い物をすると、この下町エリアの老人の多さに圧倒される。
そして皆、とても動きが遅く、ブレと無駄が多い、
簡単な計算を含め頭の回転が鈍い、
周囲への観察力が低下して、自分の事しか目に入らない。
赤瀬川原平「老人力」の様に逆手にとって楽しむ生き方もあろうが、
この沈滞と喪失に満ち、活力なき社会が日本を覆うのだ。
(下町だけなく、限界集落ではもう重い現実だ)
全ての老人が、こうした老人臭を放ち、恍惚とした表情で
視界1mの空間に生きているわけではないだろうが、
若年層、壮年のいない社会とは、
物凄い喪失感を伴う、未来のないものだという恐怖感を、
もっと人は触れてみないといけないのかも。(特にこの記者は)
これは領土や経済といった外向けの脅威論に隠された、紛れもない国の危機だ。
黒い森雪はやめてという声があるけど、
女性らしい女性の黒さって、もう完全に愛憎と怨念と妄想にまみれたナルシズムであって、
純文学的なほど恐ろしい。
文学的でも、男性からは恐怖だし、
人間としてどうよ?と思う位に暗黒。
(白馬の王子が来ないと呪いながら待っている魔女みたいな凄み)
女性の多い職場で男性が未婚になっちゃうのもこれに触れちゃうからかもしれないな。
そんな森雪にはしないよ!
以前に、ヤマトのコミックの帯への推薦コメントを誰にしようかと、担当編集に相談されたとき、
自民の石破さんと、民主の枝野さんなら、人脈あるよって言ったら、
青い顔して拒否られたのを思い出した。連名とか面白いのになー。
亡くなった中里融司さんと最後に会ったのは、
原作をされたコミックの帯に石破さんの推薦貰ったって、
にこにこ新刊を見せてくれた、浅草での漫画家の原画展だった。
(あの場で、環のんちゃんは今の嫁さんに出会ったんだっけ。懐かしいな)
石破さんはヤマト好きで有名だし。
枝野さんは漫画の表現規制反対で尽力してくれたのと、
僕の経営していた会社が選挙区内だったこともあり、
以前はよく工場に顔を出してくれていた。
漫画の編集者って、一般誌などと違って、
著名人の方々への取材申し込みや取材経験がないのか、結構臆することが多い。
僕は業界誌の編集者だったので、当たり前の仕事だったのだけど。
そして結局、帯のコメントは業界内の人になって、新房監督に。
しかも推薦文を取材で取ってこないという名前貸しだけの仕事。
理解できない…。
ということで「宇宙戦艦ヤマト2199」コミック第7巻は
当初予定から10月10日の発売日に変更になりました。
出版社の営業戦略だそうです。
本当は9月末の発売日に合わせて
大阪での「ヤマト講座」をセッティングしていただいたのだけど
見事に瓦解w
ともあれ、楽しい時間になればと
ハリセンの購入も検討しています。
今日あたりからチケットも販売開始らしいです。http://homepage2.nifty.com/myou/yamatoKOUZA/
まだネタは仕込んでいませんが、頑張ります。
講座は9月27日です。
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