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2015年11月21日 (土)

つまり一億総自営業化ってことだな

しばらく開いてしまったけれど、日記の更新。
連載を脱稿した。
色々事情があって、とにかく角川からは原稿を描く事を強く求められている。
なのでずっと仕事をしている。
そうは言っても、朝9時から夜の3時まで、休日なしで机に向かうのは、
体力的にも精神的にも良くないので、
11月は少しだけ人間的なことをしたいなと、
睡眠時間を30分程度多くしたり、友人との会食や映画を観たりと
数日数時間の自分の時間を作ってみた。
そうしたら、絶望的な仕事の進行になってしまって、
また角川から怒られる。
つまりは、やはり人間であろうとすると、
仕事がままならないように組まれているということだ。
でも、背景の壁のシミの一つまで、たった一人で描いているのだから、
(駆け出しのぺーぺー漫画家なのでいたしかたなしではある)
早く走れと旗を振り、足が遅いと怒鳴るのは容易いが
そんなにスピードが上がるわけではない。
応援をしてくれようとしている気持ちからなのは理解しているけど、
応援は時に無慈悲だ。

Y41_17
脱稿をしたこともあり、昨夜は荒川区の社長会の月例講演会に出席した。
今月は僕の企画した講座なので、出席は必須どころか、司会進行と対談形式の講座だった。
連合の中央執行委員を相手に、http://www.jtuc-rengo.or.jp/
労働組合と中小企業経営者が目指すべきビジョンは何かの対談役をしてきた。
アリさんマークの恫喝動画を、https://www.youtube.com/watch?v=uex0k9g7W_w
労組によって仕組まれた罠にはまった、ブラック企業の無知と経営感覚の
久々の大失敗例として引きあいに出しながら、
労組という存在を恐れることなく、築ことのできるまっとうな関係の模索するもの。
僕は、ケンカ上等の狂った共産系労組をいかに潰すかのテクニックを披露しちゃったりとか、
加盟組織の顔色伺ってばかりで、共産系につけ入られてる連合の状況に文句言うとか、
結構容赦なしの発言ばかり。
中小企業は労組があるケースは少ないし、今後も増えるとは限らないけれど、
古い労働運動しか知らない世代の経営者は、
労組ができると銀行の評価が下がり、融資審査に支障が出るとまで思っている人もいる。
そういったイメージの齟齬を、現実的現代的に修正して、
いかに活用できるかまで意識を踏み込める、基礎を作れたらというもので、
参加者には良い刺激になった様子。
その対談や社長さん達との質疑応答の中でも触れたのだけれど、
働くことの周辺と意識の未来像みたいなものに、思い巡らせることが増えた。

そういえば、
「ヨハネ先生やむらかわ先生は、これだけの感性や知性を作品で表現していながら、何で未だに左翼なんてやってられるんだろう、と不思議に思う感じですね」
って言葉をネットで見つけた。
あれ?オイラ左翼だっけ?
アナキストではあるけど社会主義者じゃない。当然、愛国者でもないなぁ。
民主や共産党の支持者じゃない。もちろん自民党も支持しない。というか呆れてる。
それだけで左翼?
僕は単なる非国民のつもりなんだけど。
右だ左だと型にはめて、思考する手間をサボって自分に楽をすることは、
次第に排他性が優越して、敵味方や勝ち負けで判断し、
結局は自由な議論も会話もできない人になっちゃいやすい。
僕は長いものに巻かれる前に立ち止まって、
「それでいいの?」と思い、問いかける人でこれまでもこれからもありたいので、
それぞれの筋がオ好きなどなたからも非国民と見られる存在で構いません。
少なくとも、かつて仕事で地方や国の議員取材をしていた自分としては、
そういう左右とかの旧態なレッテル感覚こそが、記事も自分も駄目にすると思っているので。
あと、夜羽音といっしょにするなw

閑話休題。
先の国会で、派遣法に関わる改正が通過した。
自分の印象は地獄の釜の蓋が開く様子を眺めるようだ。
今、40代を中心に非正社員というか所謂多様な雇用形態に属する人の
低収入と生活破綻がクローズアップされている。
これは90年代の派遣解禁に端を発する。
当時、この自由度を持て囃す風潮があり、
僕の知人の何人もが、正社員から華やかに見える派遣へという道を選んだ。
キャリアを構築できる素養や能力がある人はまだよいが、
企業にとっての人件費抑制のツールとして安い労働力認定された人々が、
己のキャリアやスキルの薄さ、年齢と収入のギャップに喘いでいる。
「格差社会」の構成要素だ。
でも90年代半ばに僕が仕事でお付き合いしていたファイナンシャルプランナーの先生が
暇なときに手計算したと示した数字で、
「ほら、この人達は40代で破綻します」と軽やかに言っていた。
そう、この状況はもう20年前からとっくに分かっていたこと。
つまり国民は経営の要請に応えた政府に騙されていたのだ。
さらにもう一つ。企業は90年代から
「父親一人が働いて妻と子供を養えるような給与水準を目指さない」
という思惑をずっと貫いて、賃金上昇の抑制を推し進めてきたこと。
つまり現在は夫婦共働きが前提の収入水準になってしまっている。
それらの先にこの法改正が重なるのだから、
本当に派遣社員、非正規雇用は真っ暗だ。
民主党政権時には、この雇用問題の改善へ進んでたのに、
ここにきて企業論理優先になって、明らかに後退だ。
派遣法の改正は派遣会社に幾つかの義務という枷を用意した。
それが一部の改善に繋がると言う理屈はもちろんだ。
民主党政権時の歯止めは正社員化を阻む要因の一つともされた。
でも2006年辺りの派遣切りの横行に対して、
民主党の歯止めは明らかに雇用形態としての底を支える改善だった。
当時社長だった僕は派遣社員を積極的に正社員化したけれど、
他社はそれができる素地があっても、したくないからしなかった。
それは企業側の意識の問題でしかないと実感している。
しかし08年のリーマンショックで経済は萎縮し、
雇用や仕事自体が大幅に減る。
それらの停滞を示して民主党政権の施策に価値がないとするのは短慮。
歯止めが低迷する経済に対する企業の萎縮とともに正社員化への枷になったのなら、
では雇用環境を後退させていくべきだったのか。
それが社会を支えるということに摩り替えた安易ではなかったのか。
そして今、企業論理による環境後退を改善と称して、
派遣会社に特化した義務を課したが、
それはその派遣社員を雇う先の無責任には対応しない。
ようは、見せ掛けでダシだ。
そして90年代には既に労働人口の激減が見えている中で、
労働力不足は規定の路線だ。
今回の法改正が求人市場にリンクし雇用創出をするという論理だけでは
妥当ではない。
人件費が必然的に上がるような筋書きに見えるだろう。
逆にそういう人口と求人市場の高騰にどう抗うかを、経営も政府も見ている。
そこに立つとき、企業は正社員雇用を減らし、
人件費抑制と雇用の調整弁の役回りを担う派遣雇用を助長していく流れがある。
その端緒の一つがこの法改正に見える。
国や企業がそれを目論むのが理念として間違いだとは思わない(嫌いだけど)。
ただ派遣や非正規の道が多勢になるのであれば、
国や企業はそれを国の指針として国民に誠実に示し、
その上に描く生活のビジョンを示さなければ、社会と働く場に安心は生まれない。
キャリア指向の人は意識しないけれど、多くの人はこの安心の絵がないとならない。
でないと結婚や出産や消費活動など人生設計を描けない。
国がそれを示さないで、90年代と同様に誤魔化そうとしていることが大問題だ。
国民に意識と環境の変化を促す「絵」を示さなければならないはずだ。

国と経営の本音が、ここにあるなら、
これから多くの若年層もそこに組み入れられていくことになる。
もう学生時代がモラトリアムって言われた時代が終わろうとしている。
というか、大昔のように学問と知識で身を立てるために、
学び備え、武装する場所になっていかざるをえない。
生徒も学校も意識できているのだろうか。
このままなら銃も持たせずに若者を泥水に浸かる塹壕戦に投入することになる。
だからこそ、国に姿を示せというのだ。

やはり90年代末、メーカー脱却を進めていたIBMの人事担当役員と話をする機会を得た。
そこで役員曰く、
IBMは社員の持つ技能やノウハウ、業務上の人脈、情報などを
全て会社にオープンにさせて、共有を高めながら組織のボトムを上げていく。
業務において俗人的な技能や知識に固執し評価を求めるのは、背信行為と同じだと。
とっくに情報などの共有はLANとサーバでどこでも始まっていた時代だったけど
(まぁ個人が情報を握って、それで評価を求める風潮は強く残っていたが)、
業務手順だけでなく例えば営業ノウハウやコネクションまでも提供せよというのは、
営業成績を問われる仕事では、
自分の評価と価値を揺るがす要因にもなりえることで、少し驚いた。
会社としてはそれすらも提供して、共有、汎用化することで
総合力の底上げを図るというのは理解できるが、
当時そこまで踏み込んだ言及をするところはなかった。
社内の反応や抵抗もあったろうが、それよりも、
では個人属性の軸を奪われ、
並列化される環境で人はどう評価されるのかという点になった。
会社も走り続けている中で、
適正な考課と抽出・平準化する能力がどこまであるかは、今後変化をしていく前提で、
当時では表面的な個性・属性のその先にあるものが個人評価になるだろうとのことだった。
それは何かといえば、思考する力、イメージする発想、それを形にする創造性という
行動的な知力と感受性などに支配される部分であり、その適合性だ。
適合性とは、その「クリエイティブ」が会社の事業・業務に何を与えられるか。
会社の計画に具体性を加える力になるか。
合わなければ評価はされないのだけれど、
個人の根に備わったものこそが「価値」となる時代になるという意識だった。
つまりクリエイティブな人間以外は正社員としては不要。
技術だけでは足りないのだ。
指示待ち社員とか、誰でもできる仕事程度とかは契約やパート社員か中国外注で十分。
技術技能は高くても、そこに脳味噌がなければ、
高価で便利なハサミにしか過ぎず、
扱う職人不在ではただ道具が机に転がっているのと同じ無価値無駄な存在。
今の就労を見ていると、
低賃金労働・非正規社員はまさにそういう仕事に配置されている感じがする。
考えること、イメージすること、具体的に創造へつなげること、
そしてそれが恐らく、洗練されて美しいこと。
そのことが職業人という存在の本質として問われるものになってきているだろう。
エンプロイアビリティ=雇用される資質という言葉は
既に90年代には言われていた、正規従業員には意識されているべきもの。
見方を変えれば、
個人が会社へ能力を売って、その価値がいくらかを常に問われ続ける
自営業者と同じ感覚だ。
企業内において、その感受性を教育することは果てしくなく難しい。
逆に企業からの厚遇を望むなら、自分を研ぎ澄ます不断の努力をすること。
僕も自営業となった今はなおさらに、
考えているか。
イメージを豊かにできているか。
それを創造的に形につなげているか。
美しいか。
を自分に問い続けているのだ。それを社員もせよというのだ。
大変だけど。漫然と生きていたらアウトだと思う。
(あ、なので普段から記憶や思考を妨げるようなツールは携行しないとか、利用しないほうがいい。
ヘッドホンステレオとか、スマホでのゲームとかは危険。自然音を聞きながら文庫本読むという昔のスタイルのほうが情報が多様で、思考も自分のペースで巡らせるのでよい)
この話題で怖いのは、営業職とかIT技術者とか総務職とかそういう人に、
「オマエら漫画家になれ」って言ってるのと同じだから。
ワンマン社長とか技術者あがりの経営者で、
仕事上で社員には自分の奴隷を求めているタイプの人は、
社員の個性の発信を嫌うので、
こういう人事評価とか業務のあり方を求めたりはしないと思う。
なので「うちは違う」という例もあろう。
また全員が漫画家になれるわけではないのと同じで、
そういう厳しい環境に合わせられるかどうか
違う素養を求められる業務もある。
やはり人間の根に目を向けないとシステムとして成立しない。
そして施策を求める役員の多くがこうしたフルイに自分をさらさないというのが問題。
経営は自分に厳しくあってこそ、他者に厳しい判断をもって臨めるのだから。
しかし企業は確実にそれを意識してきている。
そして果たしてIBMはそれをどう実現したのかは、
その後転職して町工場の社長になっちゃったので知らないw

さておき、昨夜の質疑応答でも、このエンプロイアビリティが
企業が望むだけではない、
労組も就労者としての意識として求めるものであることが確認できた。
それが、これから変わっていく日本の雇用環境の中で、
普通に生きていくために必須になっていくと。
サラリーマン化が進んだ戦後日本のスタイルから、
また個人商店というスタイルが、形を変えて現れようとしているように見える。
シャッター通りの一店舗に自分がならないよう、
努力しつづける時代になろうとしている。

自営業者として生きる備えと心構えはできているか?

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