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2016年3月

2016年3月20日 (日)

8巻がでます。

3月末、Amazonや書店の発売日がなぜか異なるので、
月末というような言い方になってしまうけれど、
「宇宙戦艦ヤマト2199」コミックス第8巻が並びます。
見本はもう手元に届いているので、印刷は完了しているということで、
早いところは23日に入庫、24日に店頭へ出るかもしれません。

Yamato2199_08cover2
今のところ特典は御馴染みのコミックZINと丸善・お茶の水店になります。
ZINは桐生さんのポストカード。
http://buff.ly/1pq0OyX
8巻では桐生さんをビーメラ4降下班に入れたので、出番があるゆえ。
というか他のヤマト側の女性キャラは大概、特典用に描いてしまったので、
あとは、イスカンダルとガミラス組になってしまうため。

Kiryu
丸善は伊東のポストカードと森雪のペーパーが同梱されます。
以前少し試した画面処理をポストカードでは施してあるので、
絹本に描いたように感じてもらえるはず。
もう少し彩色を淡く水彩調に出来たらよかったのだけど、
ちょっとしくじったw
図案は丸善・お茶の水のTwitterなどでオープンになることでしょう。

サイン本は書店から角川への依頼があれば、署名するつもりです。

今回の本の進行は、本当に厳しかった。
角川の3月決算に間に合うように出版することを大前提に、
最初から交渉の余地がないまま、
進行が厳しくなっても
「事故案件」扱いをちらつかせて予定を変えず、執筆を強制されて、
1日25.5時間ないと終わらないような(当然睡眠時間は含まれない換算)ペースを
示される中で、ひたすらに描き続けた。
執筆中に、胸に鋭い痛みが何度も走って、
仕事中に心筋梗塞で机で倒れて亡くなった父親を思い出したり、
睡眠時間を4時間半から3時間に減らして朦朧とした日々を
3月の頭は送っていた。
そうした都合で、毎月の更新にタイミングを合わせられずに、
掲載頁数が少ないことになり、それに対する苦言ばかりが聞こえ、
もう何十頁も描いているのに、それは読者には判らないことと、
悔しさ悲しさに胃の痛みが増していった。
僕は20代の頃は小心者であることや
職場の先輩のY氏に執拗なイジメを受けていたこともあって、
(今なら訴訟になるレベル)
胃潰瘍・十二指腸潰瘍を患い、
胃痙攣で救急へということもあったから、
間違いようのない痛みだ。
〆切を限界まで延ばし、それでも残された時間が足りなすぎる状況で
編集部へ発売の4月への延期を懇願したが、聞き届けられず、
逆に提案を受けたのが、物語最終部分16頁分のカットだった。
印刷工程で頁は4の倍数、8、16、32が単位になり、
16は1折と言われる技術的なパッケージ量だ。
「ネームを見て言っていますか?」
「いいえ」
電話でのそういうやり取り。
これまで、ヤマトのコミックは1冊の読後感というものを大切に描いてきた。
それが作品の満足度や意味に繋がるよう計らってきた。
そういう作り手の心や作品性とはまったく関係ない
決算期に間に合わせる都合を優先させろということだ。
実は6巻の時、やはり映画公開に合わせろという角川の指定による
スケジュールの逼迫でも、まったく同じ提案をされた。
これは断固として拒絶した。
それはカットする位置がまずくて、お話や演出が成立しない状態になるからだった。
そう。つまり僕は提案を頭ごなしに否定するのではなく、
検討検証をして答えている。
そして8巻のネームを検証した結果、
演出的にここでカットは可能であると判断し、提案を受け入れた。
(それでも入稿まで苦しい日程なのは変わらない状況)
なので、ヤマト側の反乱編の顛末まですべて完結できるよう
物語、ネームは完成していたのに、
それは次巻送りになったということだ。
https://gyazo.com/6f7141b4c5a1ff776084e4fef7c863e4
そのためデザインが入る必要で、先行で描いて納めてあった8巻の最終頁は
描き直しの差し替えになり、
使われることは無くなった。

Y43_85
残念ではある。
でも、そもそもが3月に刊行という急なピッチを求められたがゆえに
十分に盛り込めなかった演出や描写を
再度盛り込めたものに仕立て直せるので、
カットになったとはいえ、より良いものに仕上げられるという
機会を与えられたようにも考えている。
その意味では、16頁カットの提案は、必ずしもマイナスではなく
プラスに働くきっかけを作ってくれたのだ。
漫画家は自分の作品に呑まれているからこそ
踏み込めない判断もある。
その検討の機会を作ってくれたという意味で、
編集にはお礼を述べた。
なので、8巻は「引き」で9巻へ続く。
それでも楽しんで読んでもらえるものにはなっていると思う。
手にとっていただけたら嬉しい。

9巻はバラン星突破までを描く予定。もうプロットに入っている。

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2016年3月17日 (木)

さようなら あかりや

8巻はなんとか脱稿した。 
とても厳しくつらい環境だった。 
書店特典のイラストも描き終えた。 
諸々については近々に機会を改めて記すつもり。 

昨夜は、お別れをしに出かけてきた。 
そのことについて。 

家を出て一人で暮らすようになった東京・荒川区。 
数年の間、自分に課していた戒めがあった。 
それは、最寄り駅である地下鉄千代田線・町屋駅を降りたなら、 
食事は自炊を前提に家でとること。 
スーパーへ寄って食材を買い、 
小学校の家庭科で習った程度のところから独学で料理をした。 
接待や取材先との付き合いなど、 
週のうち3日ほどと、お酒を呑む機会が多かったこともあり、 
栄養バランスを含めた体調を整える意味もあったけれど、 
自堕落になりやすい自分に、枷を与えておくべきと思ったからだった。 
そうした日常が一変する。 
亡父の会社を継ぐはめになり、 
家庭も生活も、仕事の夢も破壊されつくして、 
そして雇用を守るためにと継いだ会社でも、社員と馴染めず、 
大嫌いな埼玉の寒村に引き戻され、会う人も減り、居場所のない日々が続き、 
自分の人生が絞め殺されていく絶望感に苛まれていた時、 
社長の勉強会仲間に連れられて訪れたのが、 
開店まもない「あかりや」だった。 

地元で初めて入ったお酒のお店。 
僕はその時に自分の戒めを解くことに決めた。 
自暴自棄になり色々な過ちを犯した。 
平生を装っていても一番自分らしくない頃だったと思う。 
通勤で立つ駅のホームから飛び込めば、きっと新しい段階へ移れるんだ。 
その誘惑を堪え抗うように、無茶の幅は大きかった。 
地元でも酒を呑むようになった。 
そんな荒れた心をもって失敗を重ねたけれど、 
「あかりや」に通うことだけは間違っていなかったと振り返る。 

滋味深い料理やお酒の揃いが魅力というだけでなく、 
銀座の一流店に長く勤めていた女将さんは 
やさぐれていた僕の言葉に耳を傾け、何度も励ましてくれる 
懐の深い人だった。 
他人に甘えることを知らなかった僕に、 
心を休める居場所と救いをくれたように思っている。 

お酒の呑み方も教わった。 
仕事の接待で、年に何十回と宴席を設営し、 
お酒を呑む席に出ることがあったのに、 
逆に接待という立場や上下間のある関係性の中でしか酒席を経験せず、 
職場であるとか漫画家であるとかの肩書きではなく、 
一個人としてお酒を呑み、人と会話を楽しむことを知らなかったのだ。 
以来、僕はお酒の場では人の言葉に耳を傾けることを大切にし、 
楽しめるようになった。 
常連のお友達も少しずつ増えた。 
中には銀座時代からの常連というフデタニンのお父さんもいらした。 
(なのでフデタニンより先に知り合っているw) 
楽しげにウクレレを奏でる姿を今も思い出す。 
「心得た」大人のみなさんのお酒に多くを学んだ。 

僕の初めての原画展もこの店だった。 
内装を改めた機会に展示スペースを壁にこしらえたのでと誘われた。 
学生時代に漫画家の原画展を見かけて、生原稿の美しさに憧れを持っていた僕は、 
そのように丁寧で美しい原稿であるよう自分でも描くよう心がけてきた。 
そのきっかけを作ったような機会が僕にもできるのだと、喜んでお受けしたのだった。 
親しい人に声をかけて、絵を眺めながらの酒宴なども催したっけ。 

経営不振の責任をとって、自分の給与を生活保護以下にまで切り詰めたり、 
漫画家になって、〆切過ぎるまではお酒を呑めないという事情などから、 
なかなか通うこともできない状況になってしまったけれど、 
それでも、女将さんや常連さんたちは、いつも暖かく迎え入れてくれた。 

そのうちに、女将さんが引退し、娘のまゆちゃんが二代目女将になり、 
お客層も若返って、新しいお客さんたちと花見やBBQをしたりと 
最近不義理をしている駄目常連な僕でも、 
この居場所はまだまだ安泰と思っていたら先月、 
今日3月17日で町屋の店を閉めて、福岡の天神へ移す事を知らされた。 
しかしコミックス8巻の原稿の進行は苛烈を極めていたので 
どうにも身動きできず、 
脱稿したら、すでにお店は閉店を惜しむお客さんで満員の賑わい。 
閉まる前日の昨夜、ようやっと潜り込むことができた。 
引退した先代女将さんもカウンターに立っていた。 
懐かしい常連さんの顔も見える。 
その和気あいあいの輪の中に入れないで、 
黙って飲むだけの自分はやっぱり自分らしい。 
仲のよい輪のいつも外が僕の定位置。 
一歩も二歩も引いた所で、楽しそうな人たちに憧れる。 
自分からは語り掛けない。 
たまに叶って輪に入れることが、凄く嬉しいんだ。 
天神への移転は、まゆちゃんのお兄さんが経営する 
イタリアンレストランの近所になる予定だと教えてもらう。 
都内で有名店を渡った人なので、天神でも人気店らしい。 
http://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400103/40036337/ 
常連さん達が口々に言う。 
「もう町屋ではどこで呑んでいいのか分からない」 
そう。そういう希有なお店。 
一人またひとりと家路につく常連さんたち。彼らとももうお会いするのは最後かもしれない。 
いままでありがとうございました。お元気で。 
そう言って握手を交わす。 
0時を過ぎて僕も店を出る。 
まゆちゃんが見送りに出てくれた。 
ちゃんとお礼が言いたいのに、やっぱり僕は声がつまる。 
先に退席された先代の女将さんにもちゃんと挨拶ができなかったな。 
皆に慕われて「よし子さん」と呼ばれていた女将さん。 
僕は気恥ずかしくて、この15年間とうとう一度もそう呼べなかった。 
だからここで。 
よし子さん、まゆちゃん、本当にありがとうございました。 
「あかりや」は僕にとって、心を救ってもらえた 
まぎれも無い僕の居場所、僕のお店でした。 
さようなら。 
どうぞお元気で。 
http://tabelog.com/tokyo/A1324/A132401/13018365/

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