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2016年6月24日 (金)

今日は一日「ガルパン」三昧

今月もなんとか脱稿。
出来上がった絵を眺めて、
今回もまたよく一人でこつこつ描いたものだなと思う。
でも零細の漫画家はそんなもの。誰かに頼ることもなく、一人描くだけ。
「作業」の効率化合理化をしろという声もあるけれど、
そういう言葉は会社を経営していた僕の方が余程使いもし、考えもしてきた。
そしてもううんざりなんだ。
世の中にはもっともらしい言葉で人を丸め込み押し切ろうとする気勢がある。
経営では「効率」「合理性」「省力化」などであるし、
世情では「不謹慎だ」「傷ついた」「不愉快になった」という弱者的立場を装った独善的支配だ。
そういう錦の御旗は、言葉を発する自身に自覚がないことも多く、
また心配や同情に根ざすゆえに病巣は深い。
信じる言葉に思考を停止され、型に沿って流される。
本当につまらないことだ。
生きることは考えることだ。
合理性から失われる要素に大切なものはないの?
自分が正しいと思うなら、人の数だけ正しいものは存在するのでは?
僕は「作業」をしているのではない。
「絵を描いている」のだ。
絵は、感じ、考え、自ら手を動かさなければ存在できない。Yc09_037

ということで連載に追われて、先月末のある休日にまつわるお話を遅ればせながら記す。
日頃から「おねえさま」とお呼び申し上げ敬愛しているイタリア軍研究家の吉川和篤さまから
https://twitter.com/yosizo
「週末、一緒に大洗に行きませんか」というお誘いの言葉をいただいた。
こちらの脱稿を見計らってのお声掛けでもあり、
その御配慮に感謝とともに、二つ返事で随伴させていただいた。
そう、その日は「おねえさまと大洗デート」のガルパン三昧の日とあいなった。

常磐線沿線の茨城は、日立や大みか、勝田、東海村、水戸など
かつて仕事の取材で何度も訪問したけれど、大洗は初めて。
JR水戸駅から大洗鹿島線へ。
程なく、高架から田んぼをなめて開けた視界の先に
大洗のマリンタワーが屹立した艦橋のように頭を覗かせる。
大洗駅に着くと、ガルパンのラッピング車輌が待機中。
駅の端々にも看板類があって楽しい。Img_19645
当初、レンタサイクルを借りて町内を巡ろうかという計画だったのだけれど、
10時の段階で残弾ゼロ。
おねえさま曰く「今日はけっこう人が出ている」とのこと。
なので予定は徒歩に変更。
このあと夕方まで6時間、歩いて町内を散策することになるのだけど、
僕はそもそも散歩が大好き。
急いで名所巡りとイベントをこなすことに躍起になる旅には意味を感じない。
路傍の草木や町の佇まいの何気ない豊かさを見ることが無上の楽しみ。
大洗の町は、旧い家がそこここに残っていて、
往時の漁師町の面影が感じられる。
Img_1976
結構な人出とは言うけれど、人影もまばらで、
僕が子供時代に夏を過ごした島根の海辺の町と雰囲気が似ている。
(太平洋側と日本海側はもちろん差異はあるのだけど)
ぞろぞろとしたイベント会場みたいな猥雑さがあるのかなと思ったけど、
凄く穏やかに時間が流れていて、そういう大らかさを楽しむように人がそぞろ歩いている。
知名度と顔バレがしているおねえさまには、訪問者や町の人から声がかかる。
僕は「ガルパンの人」ではないので、ニコニコとただ寄り添っていられるのが心地好い。
めぼしい商店にはキャラのスタンディ(立て看板)が飾られている。
それらを網羅した地図などもあるっぽいけど、http://ur0.work/uJdR
僕には特に目当てがあるわけでもなく、
おねえさまの説明と案内を楽しみながら、御挨拶周りにお付き合い。
あちらこちらに顔を出すたびに、何故か僕もサインや色紙を描いて、
お礼にと色々な品物をいただいてしまい、鞄はどんどん膨らむ一方。
とうとうメロンを1玉を貰ってしまったりw
海辺の人は訪問者に屈託がなくて、余所者の自分でも、心が落ち着ける。
僕の育った埼玉の寒村は街道から逸れた人の行き来の少ない場所で、
余所者に厳しく懐疑的な警戒心を隠さない。
どちらかと言えば山中の閉鎖性に似ていて、重く苦しい。
そういう暗さを大洗はまとっていない。
海は常に外に開かれているし、
物流や海水浴客など、歴史的に人の往来が前提の場所は、
ガルパンの流れが出来ても、それが特に騒動ではなく、
しなやかに受け入れる素地があるように思えた。
そして過度に熱を入れたり執着するでなく、
ガルパンの盛り上がりのその先を、町の歴史の中でゆったりと見ている心構えを感じる。
ミリタリの素養もなく、ガルパンの人でもない僕でも、
敷居を感じずに疎外感なく過ごすことができたのは、そもそもの町の懐ゆえなのだろう。
そういうあざとさやてらいのない雰囲気だからこそ、
人はまた訪れたいと思うのかも。
もしかしたら多くの人は、求めていた理想の「自分の田舎」を感じているのかも。
お祖父ちゃんお祖母ちゃんが住まい、のん気な御近所さんと立ち話ができる、
都会暮らしとか、あわただしく仕事に追われる日々から離れて
帰っていける場所に。

大洗磯前神社の境内へ向かう道すがら、傍らには小判草がたくさん生えていた。
こんなに自生しているのは、以前に石川の小松空港の傍で見て以来だ。
境内では絵馬が大変なことになっていて、笑いを誘う。
よく見ると見知った人の名前がががwImg_1979

食事はどこもお安く、また美味しい。
肉じゃが食べたり、青果店でミカンを頂戴したり、
昼食にいただいた丸五水産のネギトロ丼(500円)は美味しくてかつお腹もいっぱい。Img_1974
それでも歩き続ける中で、更にあちこちでつまみ食い。
醤油が好きじゃないので、みたらし団子が嫌いな僕でも、みつ団子は美味しかった。Img_1990

なぜか燃料店でいただいたサルミアッキは意外に普通にいただけた。
鉄板ナポリタンは食べなかったけど、町の喫茶店で久しぶりにコーヒーを飲んだ。
民宿浅野丸に挨拶した後に立ち寄った「せんな里食堂」でビールとたこ焼きとか。
その「せんな里」から日照プラントの専務さんに鹵獲されて、
工場に格納されているCV33を見学に。
まぁ趣味と道楽でよくここまで再現したなと、
おねえさまの説明を聞きつつ、そのこだわりに感服。Img_1981
車内に乗せていただいたり、サインを書かせていただいたり。
そして、まいわい市場に戻って、あんこう焼を食べる。Img_1986b
そこから、タワーを眺めつつ、薬局兼書店という風変わりなお店へImg_1987
ご自身の研究成果をまとめた同人誌というか個人出版の冊子を
おねえさまが納品するのを眺めつつ、
何故か僕が大洗に来ているということを知っている方々からのサインの要望に応え、
店の奥で机をお借りしてこそこそ。
続くタグチ玩具店でお茶を一服頂戴しつつ、
小売店販促用の2199メカコレ・クリア仕様のキットを3つもいただく。
僕は不器用でプラモは作れないのだけど、嬉しい。
なんだか取り留めなく、さまよっている感じだけど、
6時間もウロウロと逍遥していると、文章もそうなるのだ。
あ、そういえば、町をウロウロしていてやたら目に付いたのは
野上さんの色紙。どんだけ描いたんだよ。まったくw

そして16時の電車で、我々は水戸へ。
シネプレックス水戸でガルパンの4DXを観るためなのだ。
よしぞうおねえさまは今回で50回目の鑑賞。
僕は3回目。(うち4DXは2回)
大洗を歩き回ったお陰で、土地勘が養われていたため、
映画での戦車の動きがどこをどう走っているのか、物凄く分かる。
町を知らなくても楽しい映画だったけれど、
大洗を知ったら、もっと楽しめた。
押し付けではない。こういう含蓄が作品の楽しみを深めることができるのも良いね。
前述したように、僕はガルパンの人ではない。
TVシリーズにはとても不満が多かった。
戦車はあんなに軽くないとか、謎カーボンとか、市街戦への嫌悪とか、
そういうことは、僕は1話の車輌倉庫から引いて学園艦への俯瞰へ臨むショットで、
ああ、そういうことは気にするな、これはそういう世界だ!と
宣言したんだなと思ったので、
ミリタリは専門外でもあったし、自分の中ではクリアされた。
ゆえに僕はドラマの雑さというか、心理描写の甘さが気になっていた。
例えばやはり1話。
戦車道への履修を拒むみほを弁護する二人の友人の気持ちに、決意を翻すけれど、
学食や保健室で一緒に過ごしただけの相手に、戦車道への忌避が克服されるのは
軽すぎやしないか。
アバンの戦車のシーンや、みほのそそっかさを見せるための重複するシーンを数秒でも削って、
「初めて普通の友達できた」と自室で本当に喜ぶみほを加えたなら
友人への想いの重さが高まり、戦車道履修と比して劣らないものになる。
22分という限られた時間でも、そういう数秒を作ることができれば
ドラマや人物は俄然、生き生きしてくるはず。
それが弱い。また、全編にわたって「戦車道」という言葉は用いられるが、
その精神と規範たる軸がまったくない。
空っぽで、キャラの心理というよりスタッフの作劇に都合の良い
便利な言葉でしかない。
なので物語に骨がなく。最後には「私の戦車道」という
個別化セクト化分離化して軸を蔑ろにし適当に終わっている。
(実際、スタッフコメントでも戦車道はなんだか決めてないと語っている)
華道、戦車道と並んで女性の嗜みとされる茶道の名取である僕としては、
それはあまりにも奇異に見える。
茶道には「一期一会」「侘び寂び」と言った一般に知られる理念から
禅語などの人間観世界観に至るまで、「道」として示される核があり、
そこに色々な人生の局面で
通じるものに気づいたり、またはそこへ向けて己を律するものだ。
ガルパンのドラマはそれがない。
なので観ながら、とてももどかしく思っていた。
それが、アンツィオのOVAを経て劇場版は
それまで積み上げてきたキャラの人となりがやっと着地して、
上映時間の半分以上が戦車戦のシーンであるのに、
新キャラを加えながらも、人物の心の機微が感じられた。
ガルパンは、この劇場版を持って、基礎が確立したと言えよう。
なのでとても楽しかった。
また4DXもお話の展開や題材と相性が良く、
BDが発売になっても劇場で「体験」「体感」したいという客層で
席が埋まったということも肯ける。
で、水戸にて二人、その4DXを堪能し、夜の特急で東京へ戻り帰宅。
そ し て、自宅ではガルパンのBDを観る。
ヘッドホンでDTS Headphone:X音響の本編を楽しみ、
続いて、おねえさまも御出演のコメンタリーを聞きながら.
かくて僕の、今日は一日「ガルパン」三昧は完結した。

ガルパンの劇場版ソフトの販売数は第二週までの通算でBD+DVD足して
20万枚を越えるセールス。
また、BD発売後にも観客動員は延びて、約13万人、22億円の興行収入となった。
このBDでは、ポーランドのオペちゃんの輸入購入の騒動がネットで話題になっていた。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1606/14/news133.html
萌えミリが大好きで日本語覚えたというくらいの愛すべき人物で、
よしぞうおねえさまとも親しい方。
その顛末でBDを手にしたオペちゃんをねぎらい讃える日本の人たちの言葉を見て、
ミリタリー趣味の世界は
敷居が高い、壁がある、権威主義的と言われた時代から、大きく変ったんだなと思った。
萌えミリの先駆けとなった雑誌「MC☆あくしず」が創刊10周年とのこと。
それまでのミリタリのあり方では同好の士は減る一方だと、
鈴木貴昭さん、野上武志さんたちが、もっと間口を広く、
親しみやすいアプローチをとイカロス出版で模索してきた場だ。
「萌え」を扱いながら、おねえさまを始め、世代の近い専門家研究家の方々が
一緒に楽しむ目線で、より豊かな世界の広がりを説いてくれる構図。
それが併行する、アニメ「ストライクウィッチーズ」を経て「ガルパン」へ至り、
「艦これ」なんかもあるけど、そうして花が開いたと思うと感慨深い。
そのお陰で、僕の様な門外漢でもとても素直に楽しめ、
芳醇な世界の存在を知ることが出来た。
この10年の歩みに寄与された方々には感謝と拍手を贈りたい。

そして、よしぞうおねえさまに重ねて感謝を。
僕は自分が嫌いで、自分の存在がつらくて、
時々ヘトヘトになるほど自分を責め抜いて、
自傷しそうになるのを堪えるような日々を過ごしてます。
だから、可能な限り大嫌いな自分の人間としての存在の痕跡を遺したくなく、
写真の撮影は遠慮してきましたけれど、
大洗の神社で撮ってくださっていたお写真、
ああ、自分のお葬式にこれなら安心して使えそうと思いました。
お写真の拝借のお許しも恐縮です。

過日は大変ありがとうございましたの。
黒子は幸せ者です。
Dsc_6232

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