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2016年9月28日 (水)

自分の中の火

体調は悪くないけれど色々と事情が錯綜していて
漫画の掲載は止まっている。
だけど原稿は描いてるし、脱稿したものは編集部に預かってもらっている。
https://gyazo.com/bfbdabd051c8fc9c369c948a14626923
https://gyazo.com/a4e838e7fc2676d72a95120d05ff5e45

角川編集部も連載の再開に向けて親身になってくれているので、とても心強い。
心強いが、漫画家は原稿が載らないと基本的には稿料が発生しないので、
この3ヶ月間は無収入ということだ。
それに秋に予定されていたコミックスの発売も当然ながら延期になってしまった。
社長時代に、経営責任から手取りで7万円という月給で5年も過ごし、
赤貧に喘いだ経験があるので、貧乏には強いつもりだけど、
それでも無収入は重く、心虚しいものだ。
併行して新作アニメのお手伝いもしている。
羽原監督の頑張りは凄いし、小林さんのビジュアルイメージも魅力的。
福井さんの物語へのアプローチもユニークで惹かれる。
玉盛さんのメカもカッコイイ。
自分も連載の中断でできた時間を使って設定を描いている。
来年2月の公開に向けて盛り上がっていったらいいな。

ブランクを自分が責任放棄をしてサボっているように見られてしまうのも
個人商店として信用やブランドを作り守る必要のあるがゆえに厳しい。
ずっと仕事はしているのにね。
忙しくしてるので、映画もゴジラ以降観てないし、出かけることも少ない。
なので世間様の話題とずれてしまうのもいたしかたない。
ずれたついでに、遡った話題なども含め少々。

僕はロボット物があまり好きじゃない。というか興味ない。
僕は極めて無趣味な人間で、
アニメや漫画で扱われるその手のアイテムやジャンルで好きなのは宇宙戦艦だけだったりする。
自分がなぜにロボが好きじゃないのか、気になっていたので
チケットを譲ってもらったこともあり、昨年夏に上野での開催されていた「大河原邦男展」へ行ってみた。
http://www.okawara-ten.com/
これがなかなか興味深かった。
デザイナーとしてコアにある個性がしっかりあるのに、
時代に影響され、周囲の若い才能と流行に迷い、
工業技術系の素養の少なさゆえに葛藤して、
表現がブレまくっている姿が見えてきて、心に痛みが走った。
マクロスの河森デザインを真似てみたり、
リアル指向の潮流の中で、むやみに線を増やし、
しかしそこに技術的な裏づけがないから、意味不明のまま、かっこ悪くなっていたり。
まるで素人のような模索をしているさまに、
ロボットデザインのアイコンとして一線で活躍している御大の印象とは
別の姿を見たような気がした。
大河原風の立ち姿で描かれるヒーローロボを、
玩具メーカーの要請か方眼紙に多面図に置き換えた所在なさとか、唸ってしまった。
奈良の大仏を肉眼でなく、図面的に見たときの不恰好さに通じるもの。
本来アニメとして大きく見せるものを小さく収める商業的必要性が、
デザインの魅力を殺しかねない恐ろしさ。
そしてそれを本人に描かせるむごたらしさ。
今のデザイナーさんは六面図の上でもカッコよく見えるデザインを
最初から意識しているだろうし、要求を理解してるのだろうが、
それでもアニメのロボで3DCGと手描きの表現でなかなか埋まらない、
外連味というか、印象に基づく調整の姿を
同時にデザインの現場で垣間見た感じ。
その意味で御大のデザイン画は、絵としてのびのびとし懐かしい香りがする。
そういう「デザインする」苦労に触れながら、同時に思ったのは、
大河原的ヒーローロボが網羅されているのを眺めて、
昔からまったく自分の趣味でなかったものばかりという衝撃。
そう。僕は大河原的ロボの容姿が嫌いだったのだ。
僕のロボ嫌いの根幹は、長く時代の主流にあったものと、
自分の趣味との隔絶感が根幹にあったのだ。
僕はスーパーカーより、野良の耕運機や市場のターレットが好き。
よく考えたら、ロボだって、
パトレイバーやザブングルのギャロップとか働くロボは好きだった。
ヒーローロボなんていう役者顔した、
日々の仕事に何の役にも立たない存在に、
自分は魅力を感じないのだ。

ひらこーの漫画「ドリフターズ」。
アニメ化もされるらしいけれど、恥ずかしながら正直な話、
何が面白いんだか、まったくわからん。
というか僕が人生や物語に求めるものが何も感じられない。
この間の「マッドマックス・怒りのデスロード」を観たときと同じ。
ジョージ・ミラーは70過ぎてよくこんな温度の作品が撮れるものだ。凄いなーとは思うけど、
僕の心に何も残らない。
楽しいと思う要素もないから娯楽にもならない。
散歩しているときに見る空に浮かぶ雲の形の方が魅力的に感じる。
これもなんだかロボ嫌いに通じるな。
日本史にあんまり興味ないので、史実の武人や豪傑に惹かれないからなのかなぁ。
それともそういう業を負って無為に戦う姿を、
物凄く遠くから、それこそ雲の形のように眺められれば、面白くなるのかもしれないな。
あの中で雷雲が起こっているい違いない!的な感動が。
キャラをばら撒いて勝手にケンカしてる姿って、
水槽にカブトムシとかクワガタを適当に入れて、争うのを眺めるのと同じじゃないんかね。
僕は「カブトすげー!」ってのは、その場の見世物としか見えないし、どうでも良くて、
そこに物語はあるのだろうかというのが気になる。
でも虫には五分の魂はあろうが、虫だからね。
それが生き様?この様?諸行無常なの?
ジャンプの漫画もそうだけど、子供の頃から自分には面白くもなんともない作品が多い。
40年200冊だろうが、自分の心に何も訴えてこない作品というものはある。
ただ娯楽としてとてつもない規模で許容されている
そういう作品とかジャンルとかがあるっていうのは凄いことだ。
漫画の地平が広いってのは良い事。フロンティアが開かれているのだから。
僕は漫画を描くって行為は、もちろんお仕事なんだけど、
基本の基本は、こんな小さくて偏屈な自分ができる、友達づくりなんだよね。
自分はこういう人様が面白くもないものを愛でて生きてますっていう自己紹介みたいなもので、
そうなると多分商業的なメジャーなものが目指す視野とは見ているものが違うんだろうな。

KIYOさんのつぶやき見てたらこんなものが。
https://twitter.com/kiyo1205/status/774261104411148289
うーん。1位2位ともオイラが表紙描いてるけど、
オイラのサークルはこんなに人気もないし売れもしないぞ。
つまり同じものを扱っていても
オイラの色がつくことで、流行らないものをやってると見なされているのだろう。
これは井上純弌が自著「中国嫁日記」の発売に
「絶対褒めるな。アンタが褒めるものは売れないから」と言い放った意味に
通じているように思う。

僕は新卒での就職のときもそうだったけど、
大企業とかメジャー指向がそもそもないし、
企業の営利主義的活動ってのも好まない。
昔から日々寝食に困らなければそれで善し。
経済成長なんて馬鹿らしい限り。
顧問会計士から「アナタの様な人は社長をやってはいけない」って言われるのももっともだ。
大学出て、給料は安くても人に喜んでもらえる仕事に満足して働いているのに、
父親から
「そんな安い下らない仕事してないで、俺の会社にくれば、今の3倍の給料だしてやるぞ」
って言われて、ぶん殴ってやろうと憤ったのを思い出した。
会社は畳んでも多くの社長さん達と今も親しくお付き合いをしている中で思うのは、
企業経営者って普通の人以上に、心の中に強い火を持っているということ。
執着でも欲でもいい。名誉や金、アイディアやドライブ感、それらを求める熱を抱えている。
僕は自分の会社にそういう熱をまったく持つことが出来なかった。
努力はしても経営が行き詰るのは当然なんだよね。
漫画家も個人事業主ではあるけど、
そこには熱を持っているから、なんとかなっているんだろうな。
やはり、井上純弌に「アンタ、なんで漫画描いてるんだよ」と問われて、
「友達が欲しいから」と答えたときの妙なものを見るような顔を思い出す。
でも、自分にはそれがとても大切な火なんだ。

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