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2017年5月 7日 (日)

日光行

数年ぶりになってしまったけれど、
日光市にある別宅へ家族に顔見せを兼ねて訪れた。
別宅といっても、そもそもが父方の祖父の出身地で、親類縁者も多く、
亡父がそこで第2工場を興したから、
週の半分は日光に滞在するゆえに用意した家だ。
GWを機会に母と妹の一家が集まるので、
僕は自由業で祝日休日は関係ないのだが、日程を合わせた。

さすがに大型連休で、北千住から日光へ向かう東武特急は満席。
数日前に切符を購入しておいてよかった。
以前は特急料金のかからない快速や鈍行を乗り継いで行ったのだが、
以前のダイヤ改正で本数が半分近く減り、また乗り継ぎもよろしくなくなっていたため、
今回は初めて特急を利用。
当日は宇都宮のアニメイベントが開催されていたらしく、
よしぞうおねえさまもガルパン関係のステージを観ていたらしい。
http://www.tochigi-tv-anime.com/festa/
何故か僕のサインが書かれているCV33も来場とのこと。
気付いていたらJRルートで宇都宮経由にしたのに…orz
東武の高架からは富士山とさいたまスタジアムと、さいたま新都心が見える。
あの高層ビル群は僕の実家周辺から見ると、
機械化人の住むメトロポリスに見える。
埼玉の殺伐とした光景は格差社会のむごたらしさを象徴するかのようだ。

P1000884

SLの運行が近々始まるという下今市駅で下車。
http://www.tobu.co.jp/sl/
久しぶりの駅前は駅舎もレトロ調に建て替えられ、
道路の拡張などで商店がなくなり、妙なこざっぱり感。
以前は地方の駅前の雑多な感じがあったのに。
そこから徒歩で、2年ほど前に開業したという「ニコニコ本陣」へ。
http://www.nikko-honjin.jp/
ニコニコ動画とは関係ない道の駅。
販売スペースを眺めたが、あまり欲しい物が無いのでスルー。
併設で地元出身の演歌作曲家・船村徹記念館が出来ていた。
先般亡くなられたが、この人は僕の伯父の疎開時代の友人だった。
同い年で学校で出会い、一緒に野山を駆け回って遊んだ中で、
戦後というか数十年後に銀座のクラブで再会したというw
ちなみに、美空ひばりの父親もこのエリアの出身で、うちの遠縁にあたる。
でも、自分は演歌は好まないのでスルー。
通りの向かいにある造り酒屋で純米吟醸酒を買って、家へ徒歩で向かう。
http://www.watanabesahei.co.jp/

家族との昼食ののち、ふらりと散歩へ。
ソメイヨシノは終わってしまっていたけれど、スギ花粉もお仕舞いだし、
周囲はすっかり若葉が芽吹き、明るい緑色になって、散歩は実に快適。
河岸を1時間ほど歩く。

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家は水田に隣接しているので、夜はカエルの大合唱。
大音量なのだけど、耳障りがよい。
ネットも通じないしTV放送も映らない家なので、
(ネットは回線契約して無い、TVは地デジ非対応)
夜風とカエルの声を楽しみながらゆっくりと夕食をとり、11時半には就寝する。
早く寝ると早く起きる。
5時半には起きて、畦を散歩する。
不思議なのは夜半にあれほどの音量だったのに、
朝の田はカエルが静まっていること。
舗装されていない畦道を踏みしめる心地よさは格別だ。
土と草が織り成す弾力と、複雑な起伏。多様で大きな曲線。
アスファルトで舗装された道にはない、歩いている実感がある。
下草に隠れた足元の起伏が、一歩一歩の足運びを考えさせ、
そして普段は刺激しない筋肉に力を求めてくる。
水面に映る青空が美しい。
風に揺れる細い苗の姿が愛おしい。
ヨモギなどの草の匂いも、鳴き始めのウグイスの声も良い。
用水路を流れる水音のリズムの楽しさ。
ひんやりした空気がアロハの袖を抜ける心地よさ。
早朝の1時間ほどだけれど、久々にまともな田の畦道を堪能した。
さいたま市の実家の周囲も農村だけれど、
区画整理や舗装化、あげくは減反に乗じた耕作放棄で、
このような畦は消滅した。
心無い農家は農地の姿もおのずとみすぼらしくする。

家に戻り、朝食を済ませたら
中禅寺湖畔にある旧イタリア大使館別荘を見学に義弟の運転するクルマで行ってみる。
8時前だというのにGWゆえか、道路はすでに結構混んでいる。
東照宮前のT字路は渋滞のメッカ。
そこを越えて、いろは坂を昇って、目的地に近い無料駐車場に停める。
開館は9時でそれより30分以上前に着いたので、
湖畔を散策しながら時間を待つ。
ヒメマス狙いの釣り人の姿が多い。
中禅寺湖は標高がさらに上がるので、
(僕の家が標高500m位だが、それより更に700m高い)
風景も空気もまだ冬の名残を見せている。
妹は風が冷たいと襟を立てたが、
僕はアロハで心地よい。

2017050508450000
建物は外国人の設計によるものらしいけれど、
旧い日本家屋の間取りにも似て、
以前に行った森鴎外の旧宅の間取りにも通じる。
外壁は杉の皮を用いつつ市松模様に。
屋内の天井はそれを網代に編んで、茶道の数奇屋建築のよう。2017050509030000
そして縁側のようなテラスからは、
中禅寺湖の水面と男体山に連なる峰々が一望できる。
南を背にして眺めるから、日差しを気にしない最高の避暑別荘だ。
(建物の南も木々の葉が自然のカーテンになる)2017050509050000
この建物は当時の再現を主眼に置いているが、
近隣の旧イギリス大使館別荘は内装を改めて
外国人避暑地としての資料館の装いになっている。
http://www.nikko-nsm.co.jp/building/italia

帰宅時に「日光だいや川公園」の地元産品の直売所へ寄る。
そこで、甘酒ジェラートなど食べつつ食材を物色して、
ワサビの葉や かき菜を買う。
帰宅して昼食と短い昼寝ののちに、また1時間ほど散歩。
昨日や朝とはまた異なる方向へ進む。
散歩には地図など持たないし、僕はガラケーでGPSもないが、
フラリと出かけて知らない道をひたすらに進み、
同じ道をたどらずに勘で帰ってくる。
山並みの形と太陽があれば、方向は自ずと判るものだ。
ちなみに買ったワサビの葉はサラダに。
かき菜はベーコンと炒めて、残り物のウイスキーでフランベして香りをつけた。
そういえば母親に僕が料理を作ったのは初めてだったw
亡父は、男子が厨房に立つのは沽券に関わる重大な恥だと主張する人だったので、
そういう勘違いも甚だしい御仁のいる時にはできなかったのよね。

日光では今までになかったくらい家族と話した。
亡父は善良で真面目なれど、
己より劣っていると認定した長男の僕を恥じて、
嘆き蔑み、叱咤し続けた(激励はない)ゆえ、
子供の頃から僕にとってはとんでもないストレス源であり、
圧力と理不尽を子供に体現する存在だった。
まぁそんなだから、僕は家族や恋人であっても
自分の中の何か大切な部分を預けるような依存や甘えの感覚を持たないし、
家庭に居場所を見つけられなかったりするのだろう。
それはこの度を越した圧力源が招いた僕の心の欠陥でもある。
ただ、もし仲良し親子・友達親子だったら、
引っ込み思案の僕は自立もできなかったし、
ストレス耐性も弱く、外のストレスの逃げ場を家に求めて、
依存心を助長し、外へ向かう心を養えなかったろう。
そんな結論に行き着いた。
父親が生きてる頃の母親は、
険悪な僕と父の間を苦慮しつつも結局は父に従属していて、
父親と同じように好きじゃなかったが、
寡婦になってからの母は本来の自分らしさや人間としての魅力が表に出てきて
好きになったとか、本人にはっきり言ってしまったり。
「女に学問は要らない」と妹の進学希望を否定し、
口論のあげく妹を殴ろうとした父を僕が羽交い絞めにして制したら、
逆切れした父に僕がとばっちりで殴られたっていう家庭内最大の事件の一つを、
当の妹がまったく覚えていないということが判明したり。
妹は父と似た気風で、激昂しようがメンドクサイ事は
いちいちグダグダせず忘れてしまう人だとは思っていたが、
母と僕は唖然としたのちに大笑いした。これは今だから笑い話。

翌朝も散歩。
またそれまでと異なる方角へ向かう。
生まれてこれまで一度も通ったことない道を歩く。
家からたかだか4kmくらいのことだけど、
初めて見る世界がそこにある。
戻って、母と厨房に立って、また朝食の簡単な料理をする。
その日の午後には妹はクルマで僕は電車で日光を離れて自宅へ戻るので、
妹たちと昼に食べる野草摘みに出た。
日光はそこここに美しい小川が流れ出ていて、水音が絶えない。
そうした傍らでセリやフキを採る。
コンフリーや土筆もあったけど今回はなし。
ニラやタンポポは家の庭に自生してるのを摘む。
ヒバリの声を聴きながらの1時間で沢山集まった。

2017050613210000
以前、アシさんの一人に「野草を食べるのは気色悪い」みたいに言われた。
自分は土に近いところで育ったし、
ヨモギやノビル、フキノトウなど学校帰りに摘んで、家で食べるなど当たり前。
スーパーで売っている野菜だって、畑に植わっている姿がイメージできる。
路傍の野草も畑の野菜も違いを感じない。
先人からの豊かで尊い知恵で、季節を味わう楽しみと喜びを知っている。
都会人的な衛生観で、汚いモノ扱いでそうした人の心と営みは途切れてしまうのかな。
畦に残っていた蓮華の花を小さなグラスに生けて眺めながら思った。

そんな日光行だった。

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