心はどこへ
世間様はクリスマスだ。
24日はお誘いを受けて親しい人たちと目黒の五百羅漢寺で精進料理を食べてきた。
http://rakan.or.jp/
全然クリスマス気分じゃないけれど、美味しかったし楽しかった。
自分は茶道の茶会で懐石料理をいただく機会は多いけれど、精進料理は初めて。
この数ヶ月、ずーっと仕事に追われていて、
Instagramの更新がやっとという状況だったので、
息抜きのできた時間だった。
年内まだまだ仕事は山積しているので、引き続きがんばろう。
NHK-FMでクリスマスPOPSの企画で曲がかかっていた。
聴いていて、男性グループのダンサブルなものの歌詞って、
ベタベタとロマンチックなシチュエーションを男っぽく語るばかり。
ああ、女性の夢や憧れに訴えているだけなのね。
女性歌手は女性の理想や心情を語るばかり。
日本って 男 の 心 の た め の 歌 はどこへいったんだ?
男性グループの歌うベタベタなバラードも、
歌詞は俺様的な立ち位置から女性に向けて、
オマエのことが一番だって想ってやってる優しい俺(でもそれは俺がエライから)
って心の底では意地の悪いナルシズムに満ちた馬鹿男の浅はかさ全開。
男の歌ってこんなに独善的で他者に対して汚らしいエゴをなすりつけるものなのか?
番組の最後にかかった桑田佳祐の「白い恋人たち」はさすがに大人の歌詞で、
桑田は別に好きじゃないけど、姦夫姦婦へ向けた商売臭い甘い歌より100万倍はまし。
歌は、人生の伴走者だと思うので、なんだか虚しい。
来週末はコミックマーケット93だ。
年末だ。
僕は31日の日曜日、東4ホールの ヤ-54a で参加。
新刊を出す予定。
この数年のイラストをいくつか選んで補筆し、
原画とほぼ同サイズで収めたA4判フルカラーイラスト集。
KIYOCLUBで描いた、魔法使いサリーなども収録。
その冊子には、特製付録も同梱。
というか付録のためにいささか高価になってしまった。
蓄光印刷を用いて夜間でも発行する丸メーターのステッカー。
貼り直しのできる糊を使用しているので、
冷蔵庫とかノートPCに貼って楽しんで貰えたらいいなと思う。
https://gyazo.com/92f57f6b897e53e378e2bfdb51dc01b6
他にもいくつか寄稿などしている。
最近おなじみのKIYOCLUB(30 日 東と-11a)の新刊2種類のどちらにも参加している。
一つは横山光輝本。
もう一つはエロマンガ先生本で、
後者は緊急特命編集長をいつのまにか仰せつかっていたのはいいが、
エロかわいい小動物のような妹本を作ろうと思っていたのに、
集まってくる原稿が重量級のオッサン臭漂うくどいエロスにまみれていて、
下克上的に編集コンセプトの転換を迫られる結果に…orz
よしぞうおねえさまの伊太利堂(31日 東V11a )で発刊する
斎木先生の「フランス戦車本」にも寄稿。
こちらは本文掲載だけでなく、
コミケ会場での購入者特典にもイラストを採用していただいている。
そしてサークル甲冑娘(30 土 東A-74a)の
「激突!女子高生お色気戦車軍団10巻」へ寄稿。
以下は、ザクッと塗って、細部を整えていく前のもの。
https://gyazo.com/f666cd33c3ea15bca7b2f7af3465071e
最近の僕の彩色の方法は
ラフ画に大まかな彩色をして色調や大きなタッチをつけ、
それを清書した線画の上にどっこいしょって拡大して乗せてしまう。
それでちまちました筆先で見失うような大きな筆さばきを維持したり、
大胆な色使いを残して、詳細を仕上げる。
だからこの絵でもレイヤーは背景を入れて5枚。
しかも凄く早いw
そしてパーツわけを細かく気にする絵にしていないことを利用し、
境界での混色などそういう偶然性の遊びをどんどん入れる。
アクリル絵の具で塗っていた時の感覚に近づけつつ、
細部を整えたあとで、効果を足していく方法。
解像度600dpiで塗ると、
どうしても相対的にブラシの筆先が小さくなってしまうので、
この拡大どっこいしょ方式はそうした筆先の大きい使い方が生きてくる。
デジタルゆえに出来る発想でやってみた、今の僕の彩色方法。
ガルパン最終章の上映がスタートしている。
僕は試写会で観た。すごく楽しい作品になっていた。
でも疑問や不満も散見されて、少々複雑な気持ち。
まず、戦車戦を前提にしたゆえに音響が試写室では大失敗してて、がっかりした。
戦車砲の音は低域の成分が多く、その迫力は左右の振り分けではなく、センターに定位される。
そこを強調しようとすると、必然的に真ん中の音が強くなる。
結果、OPの歌のボーカルが左右にある楽奏より前に出過ぎて、
気持ち悪いほど前にきてしまっていた。
まるで演歌歌手が目の前で歌謡ショーやっているようなクドさ。
OPの問題は、もう少しミックスダビングの段階でボーカルの成分を減らして
オケを前にこさせる配分があってしかるべきだろう。
前代未聞の酷いステレオ感だったよ。人生50年で最悪レベルのもの。
これが歌のレコードエンジニアの立場だったら逆上か号泣の酷さだ。
スケジュールの厳しさから、音響デザインで配慮を欠いてしまったのかな?
本当に驚いた。
そしてお話に関して。
大洗の面々がとった行動は悪手であって正義ではない。
それを認めるのではなく、反省がなくては、世の汚ならしい大人の馴れ合いと同じだなと思う。
ガルパンって、そもそものTVが高校廃校を阻む理由から、
生徒会が生徒をだましたり強制したりしてでもなんとかしようっていう悪手に出た話で、
でもそれは大儀になりえるものだったけど、
今度は一個人の便宜をはかるものだから、
それってコネとかズルとか裏で手を回すとか、替え玉受験と大差ない、
そういう汚らしい人間の馴れ合いだ。
やっぱり、戦車道ってものに劇中で基本的に芯がないからこうなるのかなぁ。
自分が正しいと信じることで、でもその実現に不正や悪手を行ったら、
それは悪の秘密結社と同じなんだよ。
この点について、苦言を言ってるのは結局僕だけで、
みんな、わーい たーのしー!なのかなぁ。目をつぶるのかなぁ。
TVの頃からガルパンの脚本の問題を述べたりはしてるけれど、
OVAを経て劇場版でやっと落ち着いたかなと思ったら、
また人間性としての存立に頓珍漢をかましてくれて、困惑してしまった。
願わくば、主人公達がそういう汚らしい手を使ったことで手酷い失敗をし、
正々堂々それを糾弾され、恥じ入り、それを悔いて
更生していく話であって欲しいな。
ハートフルタンクストーリーでこの汚さを出したのなら、
ハートフルに反省と償いをしてもらいたい。
それができれば素晴らしい最終章であり、その第1話だと思う。
この気持ちは先日お会いした総作画監督の杉本さんに話しておいた。
ともあれ、年内には今度は劇場で観たいなと思っている。
そういえば何かのファンド的なもので、
漫画家が対価と引き換えに直筆サイン入り年賀状を描くって企画を目にした。
アメリカは日本と印税や稿料のシステムと違うので、
サインや生原稿を売るのは収益の一つとして確立されてるし、認知もされている。
日本でもイベントで色紙に絵とサインを添えて売るのを見かけるようになったけど、
金くれれば年賀状描いてやるぜ的な企画を聞くと、
年始挨拶の厳かさを金目当てに摩り替えるいやらしさしか感じない。
僕は絵を商売にしているので、絵を描いて売るのは是とするが、
サインを売るのはどうかなと思う。
さらにここで気になるのは年賀状という年始の寿ぎは皆で分かち合うものであるのに、
そこに金銭要求するような商売の構図を持ち込む下品さだ。
清貧たれとは思わないが、
なんでも金がらみの商売にしてしまうのは、人品がえげつない。
人の心の持ち方が問われるのではなかろうか。
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